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第11話 晴れ渡る空と、いつもの小言

 古き良き大戦期の遺物――その中枢である巨大な制御基板を前にして、アルドの瞳は狂気にも似た知的好奇心に侵食されていた。

 分厚い装甲が腐り落ち、むき出しになった盤面。そこには魔導インクで焼き付けられた、現代の技術では到底再現不可能なほど高密度な論理配列が、妖しくも美しい幾何学模様を描いている。

「すごい。この論理密度があれば……」

 恍惚とした表情を浮かべたアルドは、背後でガレットが何かを叫ぶ声も意に介さず、手にしていた愛用のスパナを握り直した。そして一切の躊躇なく、その分厚い鋼の柄を基板のロック機構の隙間にねじ込み、全体重をかけて強引にこじ開けた。

 火花が散り、ロックが外れる。アルドは純粋な知的好奇心と物欲の赴くままに、その巨大な論理基盤をズボッと引き抜いた。


 直後。

 最深部の施設全体から、重低音の駆動音が完全に消失した。

 それだけではない。彼らがここへ来るまで数日がかりで鼓膜を叩き続けていた、あの外の狂ったような地響きまでもが、嘘のようにピタリと鳴り止んだのだ。

 異様なほどの静寂が、空間を支配する。

「あ、止まった」

 抱えた基盤を見下ろし、アルドが間の抜けた声を上げた。

「おいおい、施設が沈黙したぞ……外の地響きも消えやがった」

 ガレットが信じられないという顔で周囲を見回す。

「嘘だろ、あんなにうるさかったのに完全に無音になった……」

 ルカもまた、周囲を包み込んだ唐突な静寂に圧倒され、ぽかんと口を開けていた。

 そんな、事の重大さに一向に気づかない三人の静寂を破るように、通信機から氷のように冷たい合成音声が響き渡った。


『……マスター、全員バカなんですか』


 その声のトーンに、三人の肩がビクッと跳ねる。

『現在稼働中の巨大設備の起動回路をいきなり引き抜くなんて、一歩間違えればショートして命に関わります! エンジニアとして何を考えているんですか、私のマスターであることが情けなくなります……! それに、百年続いた異常気象が突然止まったんですよ。企業連が確実に異常を検知して、大規模な調査隊を送り込んできます!』

 怒涛の勢いで叩きつけられたベルの痛烈な説教に、ようやく現場の空気が変わる。

「そりゃまずいな……。企業連に目をつけられたら、尋問で足止めされるし、何よりベルや空間拡張のことがバレちまう」

 ガレットが心底うんざりしたように顔を引きつらせた。

『そこまで頭が回るんだったら、マスターが何かバカなことをしようとした時に、物理的に殴ってでもまず止めるのが用心棒であるあなたの存在意義でしょう!』

「うっ……」

 思いがけない角度から飛んできた火の粉に、ガレットは完全に言葉に詰まった。

『ルカ、あなたもです。ここが自分が生きていくための大事な稼ぎ場所なんですから、周りが何かしでかす前に防ぐ心構えくらい持ちなさい!』

 まさかの自分にまで矛先が向いたことに、ルカはビクッと肩を揺らした。気まずそうに視線を彷徨わせ、口を尖らせる。

「……だってさぁ、ベルねえ。アルドがいきなり何するかなんて、わかるわけないじゃんか……」

「と、とにかく、取り返しのつかないことをしたってことだな! 早く戻ろう!」

 アルドの号令で、三人は弾かれたように施設の出口へと駆け出した。


---


 外に出ると、百年近く空を覆い尽くしていた分厚い雷雲が、嘘のように晴れ渡りつつあった。

 雲の切れ間から差し込む眩しい光を見上げ、ルカが「すげー、本当に空が晴れていく……」と圧倒される。しかし直後にベルの説教を思い出し、ルカは頭を抱えた。

「ってことは、数日後には企業連のデカい回収業者が押し寄せてくるじゃねえか! オレだけの穴場もこれでおしまいかよ!」

 忌々しげに地面を蹴りつけると、ルカはすぐに顔を上げた。

「こうなっちゃ、もうここも安全じゃない。業者が来る前に、一番高いスクラップだけ持ってトンズラする!」

 即座に頭を切り替えたルカは、手近な遺物を限界まで自分のカートに放り込み始めた。

「おいアルド! その馬鹿でかい基盤以外にも、まだその紙切れを持ち帰る気か! とっとと機内に乗せろ!」

「紙切れとはなんだ! これは大戦期の貴重な技術書だぞ!」

 怒号を飛ばすガレットを尻目に、アルドは腕が千切れんばかりの古書や部品を抱え込んでオールド・ベルへと駆け込んだ。

 落雷の脅威が消え去ったとはいえ、岩が入り組んだ険しい谷底であることに変わりはない。彼らは企業連の調査隊が来る前に脱出すべく、全速力で来た道を引き返していった。


 数日後。すっかり静まり返った谷の外縁部に到着し、いよいよルカがオールド・ベルを降りて別れる時が来た。

 荷降ろしを終え、カートの取っ手を握るルカに対し、アルドは何気なく声をかける。

「達者でな、坊主」

 すると、すかさず隣にいたガレットが呆れたように息を吐いた。

「おいアルド、年頃の女の子に坊主は失礼だろ」

 その言葉に、その場の空気が凍りついた。

「は? 女?」

 アルドは完全にフリーズし、通信機越しのベルも『私の音声分析および骨格プロファイルにそのようなデータは……!』と激しく動揺している。

「なんだ、お前らまさか本気で気づいてなかったのか?」

 呆れ顔で肩をすくめるガレットを前に、ルカは耳まで真っ赤にして彼をキッと睨みつけた。

「ほら、これ持ってけ」

 ガレットが保存食の包みを差し出す。

「そんなもんより、この鉄くずのほうが金になる。ありがとな、おっさん」

 ルカは笑ってそれを受け取らなかった。

「あんたたちも早く逃げな」

 ルカの言葉に、アルドも気まずさを誤魔化すように咳払いをする。

「……ああ。例の傘、ジョイント部分には定期的に油を差しておけよ。砂が噛むとすぐ展開が遅れるからな」

 もう二度と雷の落ちない晴天の下で、不器用に視線を逸らすアルド。ルカは一瞬きょとんとし――すぐに、くすりと吹き出した。

「わかってるよ」

 ルカは重そうなカートを引きずりながら、一度も振り返ることなく、陽の当たる荒野へと歩き去っていった。


---


 廃炭鉱街のドック。

 いつもの定位置に停泊したオールド・ベルの機内は、帰還後も相変わらず騒がしかった。

 拡張空間の奥底、普段はあまり使われない資材置き場の片隅で、アルドは工具箱を広げていた。彼の目の前には、あの雷鳴の谷から持ち帰った巨大な論理基盤が、いくつもの配線コードで繋がれた状態で鎮座している。

「よし、この論理回路を独立させて、こっちの冷却ユニットと連動させれば……」

 ブツブツと呟きながら結線を進めるアルドの背後に、冷ややかな空気が漂う。

『……で、ここで何をするつもりだったんですか?』

 壁面のスピーカーから、ベルの呆れ果てた合成音声が降ってきた。

「いや、ほら。これを使えば、局地的に雨を降らせる『気象再現部屋』が作れるだろ。そうすればガレットの温室の水やりが自動化できて、あいつも喜ぶと思って……」

 冷や汗を流しながら目を泳がせるアルドの言葉を、冷酷な合成音声が一刀両断した。

『局地的な降雨術式を起動・維持するためのエネルギー効率が見合いません。手で水を撒いたほうが数千倍マシです。それに、そんなバグだらけの基盤を私のシステムに直結させるなど言語道断です。却下します』

「ちぇっ、せっかくの浪漫が……」

 アルドが渋々スパナを置いたその時、キッチンの方からガレットの野太い声が響いた。

「おい、飯ができたぞバカども! 冷める前に早く来い!」

 その複数形の呼びかけに応える人間は、もう一人しかいない。

『……ガレットも、まだ少し調子が狂っているようですね。ほら、さっさと片付けて行きなさい』

「へいへい。今日のメシはなんだろうな」

 アルドは口元を綻ばせながら、散らかした工具を適当に箱へ放り込む。スピーカーからは、論破を完了したベルのどこか誇らしげな駆動音が短く鳴った。

 アルドは未練がましく配線を引っこ抜くと、温かい匂いのするキッチンへと向かう。

 雷鳴の谷に残してきた静寂とは対極にある、いつもの騒がしい日常がそこにはあった。


最後までお読みいただきありがとうございました!

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