4話『未来を諦めた日』
王都へ向かう馬車の中――
私は膝の上の日記を開いた。
十冊。
十年分。
全部、ティベルトが書いたものだった。
最初の一冊を開く。
『十歳』
『今日は泣いていた』
『理由は分からない』
『明日は笑わせたい』
覚えている。
王妃教育で失敗して泣いた日だ。
私は誰にも見られていないと思っていた。
でも。
見ていた人がいた。
あの頃のティベルトは、いつも堂々としていた。
こんなことを考えていたなんて知らなかった。
『本は冒険譚が好き』
『紅茶は甘い香りが好き』
『人参は嫌い』
ページをめくるたび。
私のことばかりが書いてあった。
好きなもの。
苦手なもの。
笑った日。
泣いた日。
全部。
全部。
私だった。
「十年間……」
震える声が漏れる。
こんなにも。
私だけを見ていたなんて。
さらにページをめくる。
『十六歳』
『今日は他の令息と話していた』
『胸が苦しい』
『嫉妬というらしい』
思わず苦笑した。
あの日か。
確かダンスの練習だった。
あんなことでも嫉妬していたのね……
『十七歳』
『婚約が正式に決まった』
そこで手が止まった。
『人生で一番嬉しい日』
文字が少し乱れている。
『今日なら死んでもいいとすら思った』
涙が落ちた。
紙に染みを作る。
『今日、未来を知った』
『レティシアが死ぬ』
息が止まった。
『信じたくなかった』
『何度も読み返した』
『書き間違いだと思いたかった』
『運命を憎んだ』
『どうしてレティシアなんだ』
『彼女は誰よりも優しいのに』
『誰よりも王国を愛しているのに』
『どうして』
『どうして』
『どうして』
そこから数ページ。
同じ言葉ばかりだった。
私はもう読めなかった。
苦しくて。
それでもページをめくる。
『今日、決めた』
『俺が死ぬ』
心臓が止まりそうになった。
『これで彼女は生きる』
『それでいい』
その下。
小さな文字。
『本当は怖い』
『レティシアと結婚したかった』
『一緒に歳を取りたかった』
『子供も欲しかった』
『ずっと隣にいたかった』
『だから何度も考えた』
『未来を見なかったことにできないかと』
『運命の書を燃やせないかと』
『レティシアを連れて逃げられないかと――』
『……でも彼女は王国を愛している』
『だから逃げられない』
涙が止まらない。
『今日、運命を肩代わった』
『成功率は三割だった』
『でも怖くなかった』
『レティシアが死ぬ未来の方が』
『ずっと怖かったから』
『もし失敗していたら』
『私は彼女に好きだと伝えられないまま死んでいた』
私は絶句する。
『だから今日だけは少しだけ幸せだ』
『これでレティシアは生きる』
『そう思った』
『しかし、一つだけ誤算があった』
一瞬、手が止まる。
ページをめくった。
『条件があった』
『彼女を生かすには』
『俺を嫌いになってもらうしかない』
『だから婚約を壊した』
『だから追放した』
『だから一生憎まれる』
『それでもいい』
『レティシアが生きるなら』
『でも』
『意識が戻った時、手の震えて止まらなかった』
『彼女が俺を見る目が』
『あんなにも悲しそうだったから』
さらに。
最後。
『本当は追いかけたかった』
『抱きしめたかった』
『最後くらい』
『好きだと言いたかった』
そこで日記は終わっていた。
胸が痛い。
息ができない。
でも。
もう迷いはなかった。
「待っていてください」
馬車は王都へ走る。
余命三日の王太子のもとへ。
その時――
王都から飛来した伝令鳥が馬車の窓を叩いた。
震える手で開く。
『王太子殿下、危篤』
『意識はほとんどありません』
『ですが』
『殿下はずっと』
『レティシア様の名前だけを呼び続けています』
その下。
最後の一文。
『これが最後です』




