第9話 断罪の晩餐会
第9話 断罪の晩餐会
職人街で毒物の瓶を拾ってから七日後、アレンは王城の晩餐室で、白い皿に載った豆を数えていた。隣国ベルディアの使節を迎えるため、長卓には銀の燭台と磨かれた食器が並び、窓辺には白薔薇と淡紫色のクレマチスが飾られている。厨房からは焼いた仔羊、香草、熱いバターの匂いが漂っていたが、アレンの前菜だけは、豆と人参を茹でた簡素なものだった。
「十七、十八、十九……。なぜ俺の皿だけ豆が多い」
アレンが銀の匙で豆を転がすと、肩に座っていたティカが指を折りながら数え直した。今日は木香薔薇の花びらを重ねた薄黄色の服を着ており、どんぐりの帽子には白い羽根を一本差している。晩餐会へ出る正装だと言い張っているが、その羽根は厨房で鶏肉を処理したときに拾ったものだった。
「殿下の体を丈夫にするため、厨房の方へ多めにしてくださいとお願いしました!」
「余計なことをするな。隣のヴィンスは肉を食べているぞ」
「ヴィンス様は、これから悪い人と戦うかもしれません。お肉を食べて力をつけないといけません」
「では、俺は戦わないのか」
「殿下は怒らないように、豆を一粒ずつ数えてください。百まで数えれば、怒鳴りたくなくなります!」
近衛騎士の礼装を着たヴィンスが、仔羊の肉を切りながら顔を伏せた。肩から掛けた青い飾り布には王家の紋章が銀糸で縫われ、腰には磨き上げた長剣を下げている。緊張で食欲がないらしく、切り分けた肉は冷え、白い脂が皿の端で固まり始めていた。
「笑うな、ヴィンス」
「笑っておりません。豆は体によいと思っただけです」
「なら、おまえの肉と交換しろ」
「毒味が済んでおりますので、交換は禁止です」
「都合よく規則を使うな」
アレンは十九粒目の豆を口へ入れた。城の食事としては質素だったが、塩と香草が染み、野草スープよりはずっと食べやすい。春宴の予算を半分にしたため、今夜は南国の果物も氷の彫像もなく、花はすべて王城の庭から摘まれていた。
それでも、使節を迎える料理として不足はなかった。白身魚へ檸檬と香草を添え、地元の春野菜を使ったパイを焼き、菓子には苺と山羊乳のクリームが用意されている。厨房長は、遠い国から運ぶものを減らせば、冷める前に料理を出せると喜んでいた。
長卓の向かいには、隣国ベルディアの大使セヴランと二人の随行官が座っている。セヴランは赤褐色の髪へ白いものが交じる男で、濃い葡萄色の上着を着ていた。料理を一口食べるごとに小さな手帳へ何かを書き込むため、アレンは味を採点されているようで落ち着かなかった。
「大使は、先ほどから何を書いている」
「料理の名前です。妻へ話すと約束しておりますので」
セヴランは手帳を開き、春豆の煮込みと書いた頁を見せた。文字の横には、豆の形をした小さな絵まで描かれている。妻は料理をするのが好きだが、自分は食べることしかできないのだと笑った。
「この豆も書くのか」
「ええ。王子殿下が十九粒まで数えたことも」
「それは書かなくていい」
「では、十八粒にしておきましょう」
「数を減らせという意味ではない!」
セヴランは声を立てて笑い、堅かった随行官たちの肩からも力が抜けた。アレンは隣国の使節へ笑われたことに頬を熱くしたが、以前のように無礼だと怒鳴らず、二十粒目の豆を口へ入れる。ティカは肩の上で、ちゃんと数え続けたことを褒めるように拍手した。
長卓の上座では国王が大使と言葉を交わし、その右隣にはローレンスが座っていた。エレノアの叔父であり、王家の財務にも深く関わるグランシェル公爵家の男である。深紅の礼服には黒い毛皮が使われ、胸元には蔦と剣を組み合わせた金の飾りが光っていた。
職人街で拾った毒瓶の木箱にも、よく似た紋章が押されていた。ただし正式なグランシェル家の紋章より蔦の葉が一枚多く、ローレンス個人が使う私的な印に近い。ヴィンスは木箱を王城の保管庫へ封印し、毒物の購入先を秘密裏に調べていた。
調査によれば、毒は南方の商会を通じて王都へ入っていた。購入代金は道路修繕費へ紛れ込ませてあり、支払いを承認した印は途中で削られている。ローレンスにつながる証拠は集まりつつあったが、本人を捕らえるにはまだ足りなかった。
「アレン殿下、今夜の宴は、以前より随分と慎ましくなりましたな」
ローレンスが葡萄酒の杯を傾け、卓上を見回した。口元は笑っているが、黒い瞳はアレンの手元を観察している。アレンは皿に残った豆を一粒ずつ集め、声を荒らげないよう匙を握り直した。
「無駄なものを減らしただけだ。料理が足りないなら、俺の豆を分けてやる」
「殿下が国庫の心配をなさるとは。明日は太陽が西から昇るかもしれません」
「西から昇ったら、王立天文院へ調べさせる」
「以前の殿下なら、天文官が嘘をついたと処罰したでしょうに」
ローレンスの言葉に、周囲の貴族が小さく笑った。アレンの指が止まり、匙と皿が触れて硬い音を立てる。未来の断頭台で群衆から向けられた目を思い出したが、肩にいるティカの温かさを確かめ、豆をもう一粒数えた。
「以前の俺なら、そうしたかもしれない。だから、今はしない」
アレンが答えると、笑い声が途切れた。過去を否定して怒鳴ると思っていたローレンスは、わずかに眉を動かす。それでもすぐに笑みを戻し、大使へ祝いの葡萄酒を勧めた。
給仕係が新しい杯を運んできた。細い脚を持つ透明な硝子杯で、ベルディア産の赤葡萄酒が注がれている。大使セヴランの前へ置かれた杯だけ、表面の泡がほかより細かく、燭台の光を受けて青く光った。
ティカの羽が突然、アレンの頬へ当たった。彼女は笑うのをやめ、大使の杯へ顔を向けている。森の薬草に詳しいティカは、葡萄酒の香りへ混じった刺激臭を嗅ぎ取ったらしい。
「殿下、あの杯は変です」
アレンは立ち上がりかけたが、すぐに座り直した。今ここで毒だと叫べば、犯人は証拠を持って逃げる。大使が杯を持ち上げた瞬間、アレンは自分の銀の匙を手から滑らせた。
匙は大きな音を立てて床へ落ちた。給仕係が拾おうと身をかがめ、アレンはその腕へわざと肘をぶつける。給仕係の盆が傾き、別の杯が大使の卓上へ倒れて、赤い葡萄酒が広がった。
「申し訳ない、大使。俺の手が滑った」
「殿下が謝るところを、今夜は二度も見られました。手帳へ書いてもよろしいですかな」
「回数まで書くな。新しい杯を用意させる」
アレンは笑いを作りながら、大使の杯へ布巾をかけた。毒の入った杯が交換されないよう、自分の手で卓上の端へ移す。ヴィンスへ目を向け、二本の指で保管庫を示した。
ヴィンスは意味を理解し、給仕係へ静かに近づいた。しかし、その男はアレンと目が合った途端、盆を捨てて扉へ走り出した。近衛たちが追い、晩餐室の入口で取り押さえる。
「何事だ!」
国王が立ち上がり、貴族たちも椅子を引いた。食器が鳴り、床へ落ちたパンを誰かが踏む。甘い葡萄酒と焼いた肉の匂いに、給仕係からこぼれた汗の臭いが混じった。
「その男を放せ! 第二王子殿下の命令で、杯を運んだだけだ!」
ローレンスの側近が声を上げた。晩餐室の視線が、一斉にアレンへ集まる。捕らえられた給仕係も床へ顔を押さえられながら、アレンから金を受け取ったと叫び始めた。
「殿下から、大使の杯へ薬を入れろと命じられました! 断れば家族を牢へ入れると言われたのです!」
使節の随行官たちが椅子から立ち、腰の剣へ手をかけた。王国の近衛も彼らを警戒し、晩餐室の空気が張りつめる。以前のアレンなら、自分を疑う者を全員捕らえろと命じていただろう。
指先が剣の柄へ動きかけた。怒鳴れば、この場にいる者を黙らせることはできる。だが、その先には、ティカが見せた断頭台への道が伸びている。
アレンは剣から手を離した。椅子へ座り直し、冷めた豆を一粒だけ口へ入れる。噛む回数を数えてから飲み込み、ヴィンスへ顔を向けた。
「晩餐室のすべての扉を閉めろ。ただし、客人へ武器を向けるな。使われた杯、料理、葡萄酒の瓶をそのまま封印しろ」
「承知しました」
「今夜この部屋へ出入りした者の記録も確保しろ。給仕係へ触れた者、料理を運んだ者、葡萄酒を保管した者を全員調べる。俺の部屋も封鎖し、誰も入れるな」
ローレンスの口元がわずかに動いた。アレンの寝室には、すでに同じ毒を隠す手筈が整っているのだろう。自分から部屋の捜索を命じたアレンを見て、予定が崩れたことを悟った顔だった。
「なぜ殿下のお部屋まで調べる必要があるのです」
「俺が命じたと言う者がいる。ならば、俺も調査の対象だ」
「王子の私室を調べるなど、王家の威信に関わりますぞ」
「民の家なら勝手に調べて、王子の部屋だけ守るのか。それでは、誰も俺の調査を信用しない」
アレンは腰の鍵束を外し、ヴィンスへ渡した。寝室、執務室、宝物庫の鍵が、銀の輪へまとめられている。ヴィンスはそれを受け取り、近衛二人とともに部屋を出た。
国王は晩餐会の中止を命じ、使節には別室で待つよう求めた。しかし、セヴランは首を横に振り、調査が終わるまでこの場に残ると言う。冷えた春野菜のパイを一切れ取り、手帳へ「毒騒ぎの間にも食べられるほどおいしい」と書き込んだ。
「大使、それを食べるのはやめろ。まだ安全だと確認されていない」
「この皿は、あなたと同じものです。もし毒が入っていれば、王子殿下も道連れですな」
「笑い事ではない」
「怒鳴らずにいられるか、試しているだけです」
アレンは二十七粒目の豆を数えた。セヴランが平然と食事を続けるおかげで、隣国の随行官たちも剣から手を離す。ティカはアレンの耳元へ近づき、あと七十三粒で百になると小声で励ました。
やがて、寝室を調べたヴィンスが戻ってきた。手には厚い布で包まれた小瓶がある。小瓶はアレンの寝台の下、冬用の靴を入れた箱から見つかった。
「見ろ! やはりアレン殿下が毒を隠していたのだ!」
ローレンスの側近が勝ち誇った声を上げた。ローレンスは気の毒そうな顔を作り、甥同然に可愛がってきた王子が過ちを犯したと国王へ訴える。晩餐室にいた貴族たちも、アレンならやりかねないと囁き合った。
アレンは否定しなかった。自分が積み上げてきた悪評は、毒瓶一つより強い証拠になっている。目の前の豆を三十粒まで数え、匙を皿へ置いた。
「俺の部屋から見つかったのなら、疑われるのは当然だ」
「殿下!」
ティカが驚いてアレンの耳を引っ張った。アレンは痛みに顔をしかめながらも、毒瓶の形を確かめる。職人街で拾ったものと同じ青い硝子で、栓には黒い蝋がついていた。
「ただし、それだけで俺が入れた証拠にはならない。杯の毒と一致するか調べろ。瓶についた指の跡、蝋の紋章、購入先もだ」
そのとき、晩餐室の扉が開いた。淡い銀色のドレスを着たエレノアが、数冊の帳簿と給仕表を抱えて入ってくる。髪には青い矢車菊を飾っていたが、急いで来たらしく、一房だけ頬へ落ちていた。
「晩餐会に遅れるとは、随分な礼儀だな」
「毒殺の犯人にされかけている方から、礼儀について教わるつもりはございません」
「相変わらず一言多い」
「殿下よりは少ないと思います」
エレノアはアレンの隣へ帳簿を置いた。給仕係の配置表には、直前に三人の担当が交代させられた記録がある。変更を命じたのはローレンスの側近で、理由の欄には国賓への配慮とだけ書かれていた。
さらに、葡萄酒を納めた商会の購入帳簿には、道路修繕費と同じ番号が使われていた。職人街で拾った毒瓶の箱が捨てられていたのも、その商会の倉庫裏である。毒の購入日には、ローレンス個人の会計から商会へ同額の金が動いていた。
「帳簿など、いくらでも書き換えられる」
ローレンスは杯を置き、椅子から立ち上がった。深紅の袖が卓上の燭台へ触れ、炎が大きく揺れる。彼は余裕を崩さず、アレンを見下ろした。
「それに、おまえなら誰もが疑うだろう。気に入らない商人を罰し、国庫の金を宝石へ変え、使用人を怒鳴りつけた。傲慢で、愚かで、誰からも愛されていない王子だからな」
アレンの手が膝の上で固く握られた。泥水を浴びせたバルト、指を切った侍女マルタ、重い馬具で背を傷めた白馬の姿が順番に浮かぶ。ローレンスの言葉は挑発だったが、中に混ぜられた過去はすべて事実だった。
「そうだ」
アレンの返事に、ローレンスが眉を上げた。貴族たちの囁きも止まる。アレンは立ち上がらず、冷めた豆の皿を前にしたまま続けた。
「俺は傲慢で、愚かだった。民の食べ物を奪って、自分の像を建てようとした。おまえが何を言おうと、それは消えない」
「ならば、罪を認めるのだな」
「俺がしたことは認める。していないことまで認めるつもりはない」
「誰が、おまえの言葉を信じる」
晩餐室の後ろで、靴の音がした。庭師グレゴールが土のついた帽子を胸へ当て、近衛に付き添われて立っている。晩餐会へ入れる服を持っていなかったらしく、洗ったばかりの麻の上着には、乾ききらない水の染みが残っていた。
「私は、信じます」
グレゴールは、晩餐会の三日前にローレンスの側近が薬草園へ入り、火傷草の毒を求めたと証言した。断ったあとも温室の鍵を貸せと言われ、不審に思って庭園の記録帳へ名前と時刻を書き残していた。帳面には土と肥料の染みがついていたが、日付も署名も消えていない。
続いて厨房長が前へ出た。白い調理服の袖には肉汁がはね、腰の布には小麦粉がついている。彼は今夜使う葡萄酒の一本だけ、ローレンスの側近が毒味のあとに取り替えさせたと話した。
「殿下の命令だと言われました。以前なら、それで信じたでしょう。殿下は厨房へ怒鳴り込んでは、気に入らない料理を床へ捨てておられましたから」
「よく俺の前で言えるな」
「事実ですので」
厨房長は一度も目を伏せなかった。アレンは反射的に怒鳴り返しそうになったが、豆の皿を見て息を吐く。厨房長はその様子を確認してから、しかし最近のアレンは食材の量も配膳の手順も自分で確かめており、毒味後の交換を命じていないと証言した。
侍女マルタも名乗り出た。薄青い仕事着を着て、指には硝子で切った傷がまだ細く残っている。彼女は晩餐会が始まる少し前、アレンの寝室から出てきたローレンスの従者を見たと言う。
「王子殿下の命令だとおっしゃいました。でも、殿下は近ごろ、部屋へ入る者を記録するよう命じておられます。従者のお名前を書いてくださいと申し上げましたら、私を突き飛ばして逃げました」
マルタは入室記録を差し出した。従者の署名はないが、空白の欄へ彼女自身が時刻と人相を書き込んでいる。そこには、左の耳に黒い傷がある男と記されていた。
捕らえられた給仕係のそばに立つローレンスの従者が、反射的に左耳を隠した。近衛がその腕をつかみ、髪を上げる。耳には、記録どおり黒い傷が走っていた。
最後に晩餐室へ入ってきたのは、商人バルトだった。祝祭の日とは違い、洗った茶色い上着を着ているが、袖口には小麦粉が残っている。息子のリオも一緒で、布に包んだ一冊の小さな帳面を抱えていた。
「私は、第二王子殿下をまだ許していません」
バルトの第一声に、晩餐室の貴族たちがざわめいた。アレンは黙って彼の顔を見る。許されたから助けに来たのではないと、その一言で分かった。
「殿下は私たちへ泥水を浴びせ、商品を駄目にし、罰金まで取りました。そのせいで息子の指を医者へ見せることもできませんでした」
「父ちゃん、その話は今しなくても」
「今だから話すんだ。悪かったことまで隠したら、証言にならない」
バルトはリオから帳面を受け取り、ローレンスが利用した商会の記録を示した。市場の商人たちは、ならず者から不当な場所代を取られるたび、相手の名と金額を密かに記録していた。金を受け取っていた男たちは、毎月同じ日にローレンスの商会へ入っている。
「アレン殿下は、自分が取った罰金を返しました。市場の場所代も調べ、息子を医者へ行かせました。過去が消えたとは思いません。それでも、自分の間違いを認めた人間と、他人の悪事へ隠れて金を集めた人間を、私は同じだとは思いません」
リオが曲がったままの指で帳面を押さえた。治療を始めたばかりで、指には細い木の板が添えられている。彼はローレンスではなく、アレンへ向かって言った。
「王子様、あの日の約束を守ったね」
アレンは喉の奥に何かが詰まり、すぐに返事ができなかった。卓上の白薔薇は燭台の熱で少し萎れ、花びらの端が茶色くなっている。ティカが肩の上から耳を引っ張り、ありがとうを言うところだと囁いた。
「……ありがとう。まだ許さなくていい。それでも、ここへ来てくれたことを忘れない」
ローレンスの顔から笑みが消えた。庭師の記録、厨房の給仕表、侍女の入室記録、市場の帳面が、エレノアの持ってきた会計記録とつながっている。どれか一つなら書き換えや勘違いと言い張れても、別々の場所で暮らす者たちの記録が、同じ商会と同じ従者を指していた。
国王は近衛へ、ローレンスと側近たちを拘束するよう命じた。剣を持った騎士が近づくと、ローレンスは後ろへ一歩下がる。椅子が倒れ、まだ半分残っていた葡萄酒が絨毯へこぼれた。
「この私を捕らえるのか! 王家の財務を支えてきた私を!」
「支えたのではありません。下から金を抜き取りながら、倒れない程度に押さえていただけです」
エレノアは叔父をまっすぐ見た。ローレンスは姪をにらみ、グランシェル家まで巻き込むつもりかと怒鳴る。エレノアは扇を開かず、帳簿の上へ両手を置いた。
「家名を守るために罪を隠せば、その家名には何の価値もありません」
近衛がローレンスの両腕をつかんだ。そのとき、彼は袖の内側へ手を入れる。アレンは剣を抜かず、長卓にあった銀の盆を投げた。
盆がローレンスの手首へ当たり、袖から小さな黒い瓶が落ちた。瓶は床を転がり、割れずに燭台の脚へぶつかる。ヴィンスがすぐに布をかぶせ、瓶ごと封じ込めた。
「まだ毒を持っていたのか」
「護身用の薬だ。私を陥れようとする者から身を守るためのな」
「毒で守れるのは、おまえの秘密だけだ」
アレンが答えると、ローレンスは近衛を振り払い、卓上の別の杯へ手を伸ばした。そこには、大使セヴランのために新しく注がれた葡萄酒がある。自分で毒を入れて騒ぎを起こすつもりなのか、それとも証拠を飲み込むつもりなのか、誰にも判断できなかった。
ヴィンスが剣を抜くより早く、ティカがアレンの肩から飛び立った。金色の光をまとい、ローレンスの手と杯の間へ向かう。アレンは小さな羽へ黒い瓶の液体が一滴ついていたことに気づき、椅子を倒して立ち上がった。
「待て、ティカ! その瓶へ近づくな!」
晩餐室へアレンの声が響いた。ティカは振り返らず、使節の杯へ伸びるローレンスの指へ体当たりする。倒れた杯から赤い葡萄酒が跳ね、その中へ混じった黒い一滴が、ティカの若草色の羽へ降りかかった。




