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第5話 妖精サイズになって初めて見えたもの

第5話 妖精サイズになって初めて見えたもの


エレノアが城を訪れた翌朝、アレンは寝室の机へ積まれた帳簿と向き合っていた。窓の外では桃色の牡丹が重そうな花を開き、雨上がりの庭から湿った土の匂いが流れ込んでいる。アレンは白いシャツの襟を開け、片方の靴を脱いだ姿で椅子へ座り、黄金の馬具を売却した場合の金額を左手で計算していた。


火傷をした右手の包帯は取れていたが、指にはまだ薄い赤みが残っている。ペンを長く握ると痛むため、アレンは数字を三つ書くたびに手を振り、飽きると窓辺へ目を向けた。机の隅には冷めた紅茶と、朝食で残した杏のジャムつきパンが置かれ、ジャムの表面に小さな羽虫が一匹止まっていた。


「ヴィンス、もう昼にしよう。これほど働けば十分だろう」


「まだ朝の九時です。帳簿も三頁しか進んでおりません」


「以前の俺なら一頁も開かなかった。三倍の進歩だ」


「何もしなかった日を基準にすれば、どのような怠け者でも勤勉になれます」


向かいの長椅子に座るヴィンスは、返却予定の宝石を一覧に書き写していた。灰色の近衛服の袖を肘までまくり、膝には昨夜ほつれた手袋が載っている。話をしながら自分で針を通しているのは、城の繕い係へ渡すと順番待ちで一週間かかるからだった。


「近衛騎士が裁縫をするのか」


「殿下が鷹狩りで手袋を三双破いた月に覚えました。予算がなくなり、私の分を買えなかったのです」


「そんな昔のことを根に持つな」


「まだ三月前のことです」


アレンは返事の代わりに帳簿をめくった。紙の端には前任の会計官がつけた指の汚れが残り、頁を開くたびに乾いた紙と古い墨の匂いが立つ。以前なら汚いと投げ出していたが、今日は布で指を拭きながら、黄金の馬具の項目へ売却予定と書き込んだ。


そのとき、ティカが両手で硝子瓶を抱えて窓から入ってきた。瓶は彼女の体と同じくらいの大きさで、中には琥珀色の液体が半分ほど入っている。羽を懸命に動かすたびに瓶が左右へ揺れ、ティカも一緒に振り回されていた。


「殿下、森の蜜を持ってきました! 疲れたときには、甘いものが一番です」


「そこに杏のパンがある。勝手に食べろ」


「羽虫さんが先に食べていますよ」


アレンが皿を見ると、羽虫はジャムの中央へ移動していた。彼は露骨に顔をしかめ、皿をティカのほうへ押す。ティカは羽虫を窓の外へ逃がしてから、パンを自分の体ほどの大きさにちぎり、森の蜜をかけようとした。


しかし、人間用の紅茶茶碗はティカにとって浴槽ほどもある。ティカは縁に立ち、瓶から直接蜜を注ごうとして足を滑らせた。琥珀色の液体が紅茶へ流れ込み、残りは机の上と、帳簿を押さえていたアレンの手へ降りかかった。


「何をしている!」


アレンが立ち上がった瞬間、琥珀色だった液体が青白く光った。森の蜜の中には、昨日ティカが集めた魔法薬が少し残っていたらしい。光はアレンの腕から肩、胸、足へ走り抜け、衣服まで包み込んだ。


椅子の座面が急に高くなり、机の脚は塔のように伸びた。正確には、家具が大きくなったのではない。光が消えたあと、アレンは帳簿の上へ手のひらほどの姿で立っていた。


濃紺のズボンも白いシャツも小さくなっているが、片方だけ脱いでいた靴は人間の大きさのまま床に残されていた。小さなアレンは片足だけ靴を履いた状態で、自分の何倍もある文字を見下ろす。インクの染みは池ほど大きく、紙の繊維一本一本が縄のように盛り上がっていた。


「元へ戻せ」


「ええと……少し小さくなりましたね」


「少しではない! おまえと同じ大きさだ!」


「おそろいです!」


「喜ぶな!」


ヴィンスは目の前で主君が消えたと思い、椅子から立ち上がった。彼の膝が机へ当たり、その振動だけで帳簿が大きく揺れる。アレンは立っていられず、紙の上を転がって綴じ目へ引っかかった。


「殿下、どちらにおられますか!」


「ここだ、馬鹿者! 机の上を見ろ!」


アレンは両手を振って叫んだが、自分の声は蜂の羽音ほどにしか響かなかった。ヴィンスは床へ落ちた大きな靴を拾い、寝台の下やカーテンの裏を捜し始める。彼の腕が机の上を通るたびに風が起こり、紙くずと一緒にアレンの髪がなびいた。


「ヴィンス、踏むなよ! 俺を捜しているおまえに踏み潰されるなど、冗談ではない!」


「人間には聞こえません。私の声も、殿下と同じくらい小さいのです」


ティカはアレンの横へ着地し、瓶に残った液体を指ですくった。舐めて味を確かめると、蜜ではなく月縮み草の薬が混ざっていたと分かる。日が沈み、月が昇り、もう一度朝日を浴びるまで、魔法は解けないという。


「それまで、この姿でいろと言うのか」


「大丈夫です。私がご案内します!」


「どこへ案内するつもりだ。俺は自分の寝室にいる!」


そのとき、ヴィンスが侍従を呼びに部屋を出た。開いた扉から風が吹き込み、帳簿の頁が勢いよくめくれる。アレンとティカは紙ごと跳ね上げられ、机の端から絨毯へ投げ出された。


絨毯は柔らかな床ではなく、アレンの腰ほどまで毛が伸びた森だった。一本の毛をかき分けるだけでも両腕を使い、歩くたびに靴のない右足へ細かな埃がつく。昨日、侍女が掃除を怠けたのだと怒鳴った場所には、縫い針一本、パンくず、切れた赤い糸まで落ちていた。


「俺の部屋は、こんなに汚かったのか」


「大きな殿下には見えなかったのですね。パンくずは小さな者にはごちそうです」


「食べるな。いつ落ちたものか分からないぞ」


ティカがパンくずへ手を伸ばしたため、アレンは襟をつかんで止めた。三日前なら、妖精が何を食べようと知ったことではないと言っていただろう。自分の行動に気づいたアレンはすぐに手を離し、腹を壊されて面倒を見るのが嫌なだけだと言い訳した。


寝室へ戻ってきた侍従たちは、大きな靴を囲んで相談を始めた。誰かが絨毯の上へ膝をつき、その手がアレンたちのすぐ近くへ下りてくる。手のひらが床へ触れただけで絨毯が沈み、アレンはティカを抱えて反対側へ飛び込んだ。


「ここにいる! 俺はここだ!」


人差し指が頭上を通り過ぎた。爪の先には朝食の卵らしい黄色い汚れが残り、その巨大さにアレンの喉が鳴った。侍従に悪意はなく、ただ落とし物を拾おうとしただけだった。


「殿下、廊下へ出ましょう。ここにいたら見つかる前に潰されます」


「廊下のほうが危険ではないのか」


「はい。でも、とても広くて楽しいですよ!」


「楽しいという言葉を信用できなくなってきた」


二人は絨毯の毛をかき分け、扉まで歩いた。普段なら十歩もかからない距離に、何度も休まなければたどり着けない。途中で昨日脱いだ靴下が山のように横たわっており、アレンは自分の足の臭いから逃げるため、ティカを抱えて走ることになった。


ようやく廊下へ出ると、磨かれた石床が果てのない広場のように伸びていた。窓辺には洗濯係が取り込んだ白い布が籠へ積まれ、石鹸と日なたの匂いがする。遠くから聞こえる使用人たちの話し声は雷のように壁へ反響し、何を話しているのか聞き取れなかった。


廊下の角から、食器を載せた配膳車が近づいてきた。車輪が石の継ぎ目を越えるたびに床が震え、昼食用の豆の煮込みが鍋の中で揺れている。月桂樹と炒めた玉葱の匂いに腹が鳴ったが、アレンは食事を求める余裕もなく、ティカと一緒に壁際へ走った。


その後ろから、洗濯籠を抱えた侍女たちが歩いてくる。革靴の底が石床へ落ちるたび、どん、どん、と胸まで響く音がした。一人の靴がアレンのすぐ前へ下り、風圧だけで彼の体が後ろへ倒れた。


「前を見ろ! そこに俺がいるぞ!」


侍女は気づかず、次の一歩を踏み出した。靴底についた細かな砂が雨のように降り、アレンの頬へ当たる。ティカが彼の襟をつかんで引かなければ、次の一歩で踏み潰されていた。


アレンは壁へ背中を押しつけ、通り過ぎる靴を見上げた。侍女たちは夕食の献立や、乾ききらなかった敷布のことを話しているだけである。誰も小さな者を傷つけようとしていない。それでも、何気なく振り下ろされる足は、アレンの命を簡単に奪うことができた。


「俺が廊下を歩くとき、使用人たちはいつも道を空ける」


「はい。大きな人とぶつかったら、小さな人のほうが転びます」


「俺は、どけと言っているだけだ」


「今の侍女さんも、殿下がいると知れば、どいてくれたと思います」


「知らなければ、踏んでも仕方がないというのか」


「知らないまま踏んだことに、踏んだ人は気づけません」


アレンは返事をせず、汚れた右足を見た。自分も同じだった。民や使用人がどのように暮らしているか知らず、自分の命令で誰が困るか確かめようともせず、踏んだことにさえ気づかないまま歩いていた。


低い唸り声が聞こえたのは、そのときだった。二人の前に、白と茶色の毛を持つ巨大な顔が現れる。城で飼われている猫のマルメロが、石床へ腹をつけ、琥珀色の目でアレンたちを見つめていた。


「猫ではないか。いつも厨房の前で寝ている、おとなしい猫だ」


「殿下、今の私たちは鼠より小さいです」


マルメロの瞳孔が細くなり、太い前足がゆっくり上がった。アレンは言われた意味を理解し、ティカの手をつかんで走り出す。背後で爪が石床を引っかき、耳を刺すような音を立てた。


「マルメロ、俺だ! 止まれ!」


猫は止まらなかった。普段ならアレンの膝へ頭を擦りつけるが、今は動く獲物を追う目をしている。大きな前足が横から振られ、ティカの羽に風が当たった。


ティカは飛べるものの、アレンを抱えて高く飛ぶ力はない。二人は廊下の脚台や花瓶の陰を利用して逃げた。薄紫のライラックを生けた大壺へ猫の体がぶつかり、花びらと水が滝のように降ってくる。


「右だ、ティカ! あの台の下へ入れ!」


「右はどちらですか!」


「匙を持つほうだ!」


「私は両手で持ちます!」


「では、俺が走るほうについてこい!」


アレンはティカの手を引き、壁際に置かれた長椅子の下へ滑り込んだ。マルメロの前足が追ってきたが、椅子の脚が邪魔をして届かない。猫は悔しそうに鳴き、長い髭を隙間へ差し込んだ。


二人は長椅子の裏から壁の亀裂へ逃げ込んだ。古い石が欠けてできた隙間で、人間の姿なら指一本も入らない。中には藁くず、乾いた豆、誰かが落とした青い釦があり、冷たい風が奥から絶えず吹いていた。


「こんな穴が、王城の壁にあったのか」


「夜勤の方が、前から直してほしいと言っていたそうです」


「誰に言った」


「たぶん、殿下の管理官です。でも、殿下の時計を運ぶ人を増やすので、修繕は後回しになったと厨房で聞きました」


アレンは壁へ肩を預け、息を整えた。外ではマルメロがしばらく前足を差し込んでいたが、夕食の魚を運ぶ匂いに気づき、やがて去っていった。助かったと分かっても、足の震えはすぐには止まらなかった。


日が沈むと、石の隙間は急に冷えた。アレンの小さな体には薄いシャツと片方の靴しかなく、冷気が布を通して肌へ刺さる。昼間に濡れた髪も乾ききらず、歯が勝手に鳴り始めた。


廊下の向こうでは、夜勤の使用人たちが交代していた。彼らは薄い上着へ腕を通し、残り物の豆の煮込みを立ったまま食べている。木の椀から上る湯気を見て、アレンの腹がまた鳴った。


「夜勤の者は、暖炉のある部屋で休んでいると思っていた」


「小さな控え室には暖炉がありません。古い毛布を二人で使っているそうです」


「なぜ、俺に言わなかった」


「言った方はいたと思います。でも、殿下は忙しかったのではありませんか?」


忙しかった覚えはなかった。舞踏会へ着ていく服を選び、狩りへ出かけ、夜中に鳴く時計がうるさいと侍従を呼びつけていた。使用人の控え室が寒いと言われても、おそらく自分の寝室を暖める薪を優先しろと答えただろう。


ティカはどんぐりの帽子を脱ぎ、アレンの頭へかぶせた。帽子は少し小さく、頭の上へ載るだけだったが、冷たい風が髪へ直接当たらなくなる。さらにティカはアレンの隣へ座り、透き通った二枚の羽で彼の肩と背中を包んだ。


羽は見た目より柔らかく、日なたの葉に触れたような温かさがあった。ティカの体から若草と森の蜜の匂いがする。アレンは震えを隠そうと両腕を組んだが、肩が小刻みに動くのを止められなかった。


「おまえは寒くないのか」


「妖精の羽は、春の間は温かいのです。でも、冬は冷たいですよ」


「役に立つのか立たないのか分からない羽だな」


「今は春ですから、役に立ちます!」


ティカは胸を張ったものの、羽の端は冷たい風に揺れていた。自分まで寒いはずなのに、アレンを包む力を緩めようとしない。アレンはその横顔をしばらく見つめ、壁の外へ聞こえない声で尋ねた。


「おまえは怖くないのか。俺が元に戻ったら、また追い払うかもしれないぞ」


「怖くありません。殿下は、小さな私を踏まなかったでしょう?」


「踏まなかっただけだ。助けたわけではない」


「踏めたのに踏まなかったのは、殿下が選んだことです」


アレンは口を閉じた。大きな足が頭上へ振り下ろされた瞬間を思い出し、膝を抱える。踏まないことは何もしないことだと思っていたが、踏まれる側にとっては、それだけで命が残るのだと初めて知った。


夜が更けると、二人は藁くずを集めて横になった。ティカはどんぐりの帽子をアレンへ貸したまま、乾いた豆を枕にしている。アレンは自分だけが帽子を使うのが落ち着かず、半分ずつかぶろうとしたが、頭を寄せると互いの額がぶつかった。


「近いぞ」


「帽子は一つしかありません」


「明日、大きな帽子を作らせる」


「一緒にかぶれる帽子ですか?」


「違う。おまえの帽子を二つ作らせる」


言いながら、アレンはティカから離れなかった。壁の向こうでは、夜警の足音が一定の間隔で通り過ぎていく。昼間は恐ろしかったその振動も、今は誰かが近くにいる証しとなり、いつしかアレンの瞼は重くなった。


夜明けの鐘が鳴ると、石の隙間へ細い光が差し込んだ。アレンの体を青白い光が包み、次の瞬間、人間の大きさへ戻る。狭い隙間に収まりきらなくなり、石壁の一部を肩で崩して廊下へ転がり出た。


「何だ、今の音は!」


夜勤の使用人たちが集まり、壁から現れた第二王子を見て立ち尽くした。アレンは片足にしか靴を履かず、シャツは埃と猫の毛で汚れ、頭には人間の姿に戻っても小さいままのどんぐりの帽子が載っている。威厳とは遠い姿だったが、誰も笑えず、次の命令を恐れて頭を下げた。


「申し訳ございません、殿下。壁の亀裂は、以前から修繕を願い出ていたのですが……」


「分かっている」


アレンが口を開くと、使用人たちの肩が一斉に揺れた。その動きを見たアレンは、昨夜自分へ迫った巨大な靴を思い出す。彼らにとっては今の自分こそ、何気ない一歩で命を踏み潰せるほど大きな存在なのだ。


「城内の傷んだ床と壁を、今日中にすべて調べろ。修繕費は、俺の置き時計と赤い宝石を売った金から出す」


使用人たちは顔を上げた。アレンは照れ隠しに怒鳴りそうになったが、拳を握ってこらえる。背後の壁からティカが飛び出し、人間へ戻ったアレンの肩へ着地した。


「それから、夜勤の者へ厚い上着と毛布を支給しろ。控え室に小さな暖炉を入れて、温かい食事を座って食べられる机も置け」


「よろしいのですか、殿下」


「俺が命じている。二度も言わせるな」


いつもの言葉だったが、使用人たちの顔から強張りが少しだけ消えた。夜勤の侍女が頭を下げ、ありがとうございますと答える。アレンはその言葉から逃げるように顔を背けたが、今度は背中へ手を隠さなかった。


寝室へ戻る途中、アレンは廊下の端を歩いた。正面から洗濯籠を抱えた侍女が来ると、自分から半歩よける。侍女は驚いて立ち止まり、道を空けようとしたが、アレンはそのままでいいと短く告げた。


「殿下、どうして端を歩いているのですか?」


肩の上でティカが尋ねると、アレンは床板の継ぎ目を見ながら進んだ。昨夜は谷のように見えた細い隙間を、革靴がまたいでいく。彼は歩幅を少し小さくし、誰にも聞こえないような声で答えた。


「下に何かいないか、よく見えるからだ」


ティカは笑ってアレンの耳へ抱きついた。アレンはくすぐったいと文句を言いながらも、振り払わない。二人の後ろでは、ヴィンスが片方だけの靴を抱えて走ってきており、主君の頭に載ったどんぐりの帽子を見て、今日こそ胃薬が足りなくなるとため息をついていた。


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