第2話 妖精の野草スープは、王子の命令より苦い
第2話 妖精の野草スープは、王子の命令より苦い
朝を告げる鐘が鳴ったころ、アレンは天蓋つきの寝台で目を開けたまま横たわっていた。薄青い寝間着は背中に張りつき、枕には金色の粉と蜂蜜色の長い髪が一本落ちている。窓の外では庭師がじょうろでチューリップへ水をやり、濡れた土と朝露を含んだ若葉の匂いが、少し開いた窓から流れ込んでいた。
断頭台の刃が落ちる瞬間を思い出すと、掛け布を握る手に力が入った。ティカが見せたものを幻だと決めつけたかったが、群衆の中にいた商人バルトの顔は、昨日見たものとまったく同じだった。枕の端では、その元凶とも言える小さな妖精が、どんぐりの帽子へ顔を突っ込んで眠っている。
「おい、起きろ。朝だぞ」
アレンが指先で背中をつつくと、ティカは帽子ごと転がった。掛け布の縫い目へ引っかかって止まり、もぞもぞと帽子から顔を出す。大きなあくびをしたあと、彼女は髪についた糸くずを手で払い、何事もなかったように胸を張った。
「おはようございます、殿下! 今日も生きていますね!」
「朝一番に死を確認するな」
「大切なことです。あと千九十四回くらい朝を迎えれば、怖い未来を乗り越えられます」
「日数に直すと余計に長く感じる。数えるのをやめろ」
いつもなら銀の呼び鈴を乱暴に鳴らし、侍従を三人は呼びつけるところだった。しかし今朝のアレンは鐘へ伸ばした手を途中で止めた。侍従や近衛を呼んだところで、未来を知る妖精を見られれば説明が面倒になると考えたからであり、使用人を気遣ったわけではない。
アレンは寝台から降り、洗面台に用意されていた冷たい水で顔を洗った。硝子の水差しの横には、昨夜マルタが新しく置いた白い布がきちんと畳まれている。指を切った彼女の姿が一瞬だけ浮かんだが、アレンは考えないことにして、香油で髪を整え始めた。
「殿下、お顔が白いです。目の下も青くなっています」
ティカが鏡の縁へ腰を下ろし、アレンの顔をのぞき込んだ。彼女の羽が頬へ触れ、春の草に似た青い匂いが鼻をくすぐる。アレンは鏡の中の自分を見て、確かに死人のようだと思ったものの、妖精に指摘されたことが気に入らず、象牙の櫛を机へ置いた。
「誰のせいで眠れなかったと思っている。あんなものを見せられて、眠れる人間がいるか」
「分かりました。お腹が空いて機嫌が悪いのですね!」
「何一つ分かっていない!」
ティカは返事を聞き終える前に、窓から飛び出していった。朝食を取ってくると言い残したが、食事なら間もなく侍従が運んでくる。アレンは呼び戻そうとしたものの、飛んでいくティカの姿は、咲き始めた木香薔薇の向こうへ消えていた。
ほどなくして、侍従が朝食の載った銀の配膳車を押してきた。白い皿には半熟卵、炙った腸詰め、山羊の乳で作ったチーズ、赤い苺、蜂蜜をかけた丸パンが並んでいる。焼きたてのパンから湯気が上っていたが、胸の奥には昨夜の砂糖菓子と恐怖が固まっているようで、アレンは一口も食べられなかった。
「下げろ。食欲がない」
「厨房長が、殿下のお好きな苺を選んでおりましたが」
「しつこいぞ。俺の命令が聞こえなかったのか」
侍従は皿へ銀の蓋を戻し、頭を下げた。以前ならその背中へもう一言投げつけたところだが、アレンは昨日の断頭台を思い出して口を閉じる。助けてくれる者がいなくなるというティカの言葉が、冷えた指のように首の後ろへ触れていた。
朝食が運び出された直後、窓の外から、がちゃん、という音がした。続いて厨房のほうから女性の叫び声と、鍋を落としたらしい金属音が響く。アレンが嫌な予感を覚えて窓へ近づくと、ティカが乾いた根を抱え、羽を必死に動かしながら戻ってきた。
「殿下、朝ごはんを作ってきました!」
「待て。その黒いものは何だ」
「眠り根です。こちらは苦葉、紫色のものは元気実です。厨房のお姉さんに小さなお鍋を借りました」
「借りたと言いながら、なぜ厨房から悲鳴が聞こえる」
「大きな壺の蓋を開けたら、中へ落ちてしまいました。お砂糖の壺でよかったです!」
ティカの髪や服には白い砂糖がこびりつき、どんぐりの帽子は半分だけ白くなっていた。彼女が羽ばたくたびに砂糖の粒が机へ落ちる。アレンは頭を抱えたが、ティカは気にせず、小さな鍋を寝室の暖炉へ運び始めた。
暖炉の隅には、昨夜使われなかった薪が残っている。ティカは枯れ枝を組み、その上へ薬草と朝露を入れた鍋を載せた。どこから持ってきたのか、クルミの殻を柄杓代わりに使い、鼻歌を歌いながら紫色の実を潰していく。
やがて部屋の中へ、湿った革靴を何日も煮込んだような匂いが広がった。木香薔薇の香りも、髪につけた柑橘の香油も完全に負けている。廊下を歩いていた侍女が扉の前で足を止め、何か腐っているのではないかと心配そうに尋ねた。
「問題ない。今すぐ通り過ぎろ。絶対に中を見るな!」
アレンが答えると、侍女は不思議そうにしながら去っていった。ティカは煮えた薬草を銀の茶碗へ移し、小さな体で匙を押してくる。濁った緑色の表面には紫色の泡が浮かび、時々ひとりでに弾けていた。
「さあ、できました。森の元気いっぱいスープです!」
「これは食べ物の色ではない」
「体にいいものは、だいたい地味な色です」
「紫色の泡を出す料理が地味であってたまるか!」
アレンは差し出された銀の匙を取り、匂いを嗅いだだけで投げ出した。匙は絨毯の上を転がり、昨夜こぼしたワインの染みのそばで止まる。ティカは鍋の縁へ立ったまま、服の裾を両手で握った。
「殿下が元気になるように、朝露を百粒集めました。まだ暗いうちから、一粒ずつ葉っぱからすくったのです」
ティカの髪には砂糖だけでなく、小さな葉や花びらも絡まっていた。片方の靴は泥で汚れ、羽の先には朝露が残っている。アレンは自分のために誰かが百回も同じ作業をしたという事実をうまく飲み込めず、絨毯の上から匙を拾った。
「一口だけだ。それで満足しろ」
「はい! 残りはお昼に取っておきます!」
「全部捨てるという選択はないのか」
アレンは息を止め、匙を口へ入れた。次の瞬間、乾いた根の渋み、舌を刺す実の酸味、喉へまとわりつく苦葉の汁が一度に襲ってきた。舌が痺れ、鼻の奥まで苦くなり、飲み込んだ胃の中から熱いものが逆流してくる。
「ぐあああ! 毒ではないか!」
アレンは喉を押さえて寝室を走り回った。水差しへ飛びつき、直接口をつけて水を飲んだが、苦味は薄くならない。机へ膝をぶつけ、脱ぎ捨ててあった室内履きを踏み、最後には寝台へ倒れ込んだ。
騒ぎを聞きつけたヴィンスが剣を抜いて飛び込んできた。灰色の制服の上着は留め金を一つ掛け違え、片手には食べかけの干し肉を持っている。敵がいると思った彼は部屋を見回し、緑色の液体が入った鍋と、舌を出して倒れている王子を見比べた。
「殿下、毒を盛られたのですか!」
「そこの妖精を捕らえろ。国家転覆を企んだ重罪人だ!」
「違います。元気いっぱいスープです!」
「それを飲んで元気でいられるのは雑草だけだ!」
ヴィンスは鍋の匂いを嗅ぎ、黙って二歩下がった。ティカが味見を勧めると、さらに一歩下がり、剣を鞘へ戻す。主君を守る近衛としてどうなのかとアレンは怒鳴ったが、ヴィンスは胃薬を守るためだと真顔で答えた。
ところが半刻ほどたつと、アレンは自分の体が妙に軽くなっていることに気づいた。数日前から続いていた胃の重さが消え、眠っていないはずなのに頭の霧も晴れている。窓の外で庭師が鋏を使う音や、廊下の向こうで侍女たちが洗濯物の話をしている声まで、はっきり聞こえた。
「……薬としてなら、悪くはない」
「おいしいのですね!」
「今の言葉のどこを聞いた!」
ティカは喜びのあまり、寝室を三周した。飛ぶたびに金色の粉と砂糖をまき散らし、これなら明日は三倍作れると張り切っている。アレンは訂正しようとしたが、頭痛が消えた事実は否定できず、二杯目だけは絶対に飲まないと念を押すにとどめた。
その日の午後、アレンはティカが自由に厨房へ入れるよう許可を出すことにした。毎回壺へ落ちたり、鍋を勝手に持ち出されたりしては困るという理由だった。許可証を作るには厨房の管理帳簿を確認する必要があり、アレンは政務室へ足を運んだ。
政務室の机には、端が擦り切れた帳簿が何冊も積まれていた。書記官が昼食に食べた豆のスープをこぼしたらしく、一冊の表紙には丸い染みが残っている。アレンは汚れを指摘しようとしたが、帳簿の中に自分の名を見つけ、そちらへ目を移した。
「春の祝祭前夜祭、金貨二千四百枚。何だ、この金額は」
「殿下がお望みになった氷の彫像、南国の果物、外国産の葡萄酒、楽団への報酬でございます」
書記官は青ざめ、背筋を伸ばした。アレンには、氷の彫像が朝までに溶けたことも、南国の果物を一口食べて酸っぱいと捨てたことも覚えがあった。だが、それがどれほどの金額なのか考えたことはない。
「王族の宴なのだから、これくらい当然だろう」
アレンは帳簿を閉じようとした。しかし、肩へ座って数字を見ていたティカが、指を一本ずつ折りながら計算を始める。途中で両手の指が足りなくなり、アレンの指まで借りて数え始めた。
「このお金があれば、森の近くの村のみんなが冬を越せます。小麦と薪を買って、穴の開いた屋根も直せます。それでも少し余りますね」
「村一つが冬を越せるだと?」
「はい。去年は雪が多くて、パンを半分ずつ分けて食べていました。おばあさんは子どもに譲って、お湯だけ飲んだ日もありました」
アレンは再び帳簿を開いた。氷の彫像一体、金貨三百枚。その彫像がどんな形だったか、彼はもう思い出せない。溶けた水を拭くため、使用人たちが夜中に何枚も布を運んでいたことだけが、ぼんやりと浮かんだ。
窓の外では、洗濯係が白い布を干していた。風に膨らんだ布の向こうには、城壁と王都の屋根が広がっている。そのどこかで、昨日の商人と息子が泥のついたパンを拾っていた。
「書記官、この帳簿を俺の部屋へ運べ」
「すべてでございますか?」
「俺に関係する支出だけだ。氷の彫像が何体、村の冬になったのか調べる」
自分でも何を言っているのだと、アレンは口元を曲げた。ティカは意味を正確に理解していないらしく、殿下が算術のお勉強を始めると喜んでいる。書記官もヴィンスも声を出さなかったが、二人とも同じように目を見開いていた。
翌朝、アレンが目を覚ますと、寝台脇の机に昨日の三倍はある鍋が置かれていた。濁った緑色の表面では、大きな紫色の泡がゆっくり膨らんでいる。ティカはクルミの殻を頭へかぶり、満面の笑みで銀の匙を抱えていた。
「殿下、今日は元気三倍スープです!」
「ヴィンス! この妖精を森へ返せ!」
アレンが廊下へ逃げると、待機していたヴィンスは扉の前から素早く身を引いた。近衛騎士に裏切られた王子を、銀の匙を抱えた小さな妖精が追いかける。断頭台へ続く未来が変わったかどうかは、まだ誰にも分からなかったが、少なくとも城の朝は、昨日までよりずっと騒がしくなっていた。




