三 保存用
地下資料庫には、旧九自治体から引き継いだ文書が残っていた。
保存期限を過ぎた箱と永久保存の箱が同じ棚に置かれ、分類番号も旧自治体ごとに異なる。倉淵村、愛宕町、大浜町、小貝町。合併したはずの自治体が、紙の中では別々に生きている。
地下は空調が弱く、梅雨時でも階段を下りきったところで空気が冷えた。古い紙と段ボールの乾いた匂いがこもっている。蛍光灯が等間隔に灯っているだけで、棚の間に入ると自分の影が足元へ落ちる。棚の側面には、色の褪せた紙に旧自治体名を書いたラベルが貼られていた。それを頼りに進むと、同じ種類の施設でも保存先がそろっていない。翔太は一度、別の棚を端まで探してから、分類表を持って戻ることになった。
旧倉淵村では、「農林土木振興」という大きな括りの簿冊に、工芸振興の伺い書が挟まっていた。旧愛宕町は観光の簿冊で、県道の整備に関する協議記録と同じ綴りに入っている。旧大浜町では、水産振興と港湾整備の二つの簿冊に記録が分かれ、現在の施設名で引ける索引がなかった。旧小貝町にあったのは、手書きの記録や紐で綴じた古い簿冊で、その中に、直売所の建設を決めた際の記録が挟まっていた。
現在の施設名から過去の文書をたどるには、旧自治体で何の事業として扱われていたかを先に知らなければならない。道の駅という一つの呼び方にした後も、紙の中では出発点が違っていた。
翔太は「地域振興」「道の駅」「交流施設」「合併調整」の順に箱を開けた。竣工式の式次第、補助金申請書、用地交渉の記録、指定管理者の選定資料。棚札だけでは足りず、箱を開けるたびに合併時の引継目録へ戻った。八駅の帳簿がそろわないのは、現場の記録が粗いからではなかった。別々の役場が、別々の理由で作った紙が、そのまま同じ棚に置かれている。
夕方近く、最下段の隅に押し込まれた段ボール箱が目に入った。表面の埃を手で払うと、「外部調査成果物」と読めた。蓋を開けると、合併前後の意識調査の集計表と、総合計画の住民アンケートの束が詰まっている。その底から、薄い冊子が滑り落ちた。表紙は日焼けしていた。
『八つの駅と、ひとつの市』
右上に「保存用」の赤い判が押されている。翔太は、その場にしゃがんだままページを開いた。市域の略図があり、中央の旧箱宮市を囲むように八つの旧地域が描かれている。それぞれに一つずつ道の駅が記されていた。
行政資料で何度も見た地図だった。だが、冊子に書かれている内容は、現在の施設台帳や事業報告書と違った。
売上の月別推移も、来場者の年齢別の円グラフもない。収支を黒字と赤字に分けて論じる頁も、費用対効果を算出した式も、ほとんど出てこなかった。代わりに並んでいたのは、それぞれの場所で人が何をしていたかという記述だった。
こがいアグリパークの頁には、時刻が入っていた。午前六時台、軽トラックで搬入が始まる。七時過ぎ、商品を納めた出荷者が売場に残り、ほかの出荷者の商品や値段を見る。棚の空きを互いに譲り合う動きがある。職員や客と言葉を交わしてから帰る者もいた。
出野みのり館では、売場を利用せず路線バスを待つ住民もいる。掲示板には、診療所の日程や移動販売の巡回予定が貼られていた。待合いに座った人が、持ち寄った茶を分けているとも書かれていた。
赤馬の里くらぶちでは、体験を教えた職人が、そのまま展示品を説明し、自分の品を売ることがある。
しおどめ海風テラスは、展示を見ずに道路情報だけを確認して帰る人や、ベンチで休憩する周辺事業所の作業員にも利用されていた。
翔太は、その四つの頁をもう一度めくった。売上や利用者数の表では見たことのない記述ばかりだった。誰が、こんなことまで調べたのか。巻末の奥付を開いた。調査期間は、二〇〇七年から二〇〇八年。調査員の名が数人並んでいた。その中に、秋庭信乃の名があった。翔太は冊子を閉じた。見間違いかと思った。
もう一度奥付を開き、指で名前をなぞる。秋庭信乃。役職は書かれていない。地域政策系シンクタンクの担当者として、名が記されているだけだった。市長選挙よりも、箱宮大学へ移るよりも前。信乃は、すでに八つの駅を歩いていた。翔太は最初のページへ戻った。
さきほどまで合併直後の古い調査資料として読んでいた文章が、急に別のものに変わった。小貝の作り手。倉淵で工房と売場を行き来する仕事。汐留で展示を見ない人たち。
信乃が所信表明で語った言葉は、選挙のために組み立てたものではなかった。少なくとも、始まりはもっと前にある。翔太は冊子を持って企画政策課へ戻った。
「こんなものが残っていたのか」
榊原は表紙を見て言った。
「課長も知らなかったんですか」
「合併後に外部調査を入れたとは聞いていた。冊子になっていたことも、どこに残っているかも知らん」
翔太は奥付を開いた。
「秋庭市長の名前があります」
榊原はそこで初めて、冊子を手に取った。奥付を読み、小貝、倉淵、汐留の順にページをめくる。途中から、めくる手が遅くなった。
「市長が何を考えているか、課長は知っていたんですか」
「知らん」
「でも、この調査が所信表明につながっているなら」
「俺が市長の頭の中を説明したら、それは市長の方針じゃなく、俺の解釈になる」
榊原は冊子を翔太へ返した。
「記録を読め。足りなければ、本人に聞け」
「その前に、現地を見てきます」
榊原は冊子から顔を上げた。
「どこだ」
「小貝と倉淵、汐留です。資料を作っていて、引っかかったところが残っているので」
榊原は短くうなずいた。
翔太は三駅の資料と保存用冊子を鞄へ入れた。鞄の口から、赤い「保存用」の印が見えていた。
翌朝、翔太はその鞄を持って市役所を出た。




