七 奉納
奉納の日は晴れていた。天台寺へ続く石段は濡れて色が濃い。杉木立の間を抜けるたび、土と落ち葉の匂いがした。匠は風呂敷に包んだ赤馬を両手で抱えて上った。
包みが動かないように腕に力を込めた。段を上がるにつれ、重さが腕にかかり、自分の息の音だけが近くで聞こえた。
石段を上がりきると、境内の隅に杉の葉を掃き寄せた跡が残っていた。匠は包みを抱えたまま、一度だけ息を整えた。
境内にはすでに橘と大隅が来ていた。塗りに加わった組合の職人も何人かいる。少し遅れて義一が上がってきた。前の日に匠が奉納のことを伝えると、「何時だ」とだけ聞いた。
信乃と葵も来ていた。二人が顔を合わせるのは初めてだった。葵は正式な包装へ進める前の紙見本を手提げに入れている。信乃はいつものノートを持っていた。
「秋庭信乃です」
信乃が頭を下げた。
「石川葵です。資料、読ませていただきました」
「私は集めただけです。形にしているのは皆さんなので」
葵は少し困ったように笑った。
「箱に入れる説明紙には、赤馬星の名前を残すことにしました」
信乃はうなずいた。
「そうですか」
「上杉さんが文章を削ってくださって。いただいた資料も参考にしています」
「役に立ったなら、よかったです」
葵はうなずいた。手提げの紙見本は出さず、堂の方を見ていた。
住職が堂の前で待っていた。匠が近づくと、赤馬を包んだ風呂敷へ一度目を向け、深く頭を下げた。
「皆さんで、ここまで仕上げてくださったのですね」
「最初に形を出したのは匠です」
橘が言った。
「そこから先は、皆で見ました」
大隅は何も足さなかった。ただ、匠が抱えている赤馬を見て、小さく顎を引いた。
住職が格子戸を開けた。堂の中は外より暗く、線香の匂いが薄く残っていた。古い台座から人ひとり通れるほど離れたところに、新しい赤馬のための低い台が用意されていた。
匠は台の前に包みを下ろし、風呂敷をほどいた。結び目が固く、指先が一度滑った。
新しい奉納赤馬が現れた。販売用より大きく、古い写真に残る赤馬よりは小さい。塗りはまだ若い赤をしていた。格子戸から入る光が背へ回ると、朱がひときわ濃く見えた。
「これは、昔の赤馬の代わりではありません」
匠は住職に言った。
「今の倉淵塗で作った赤馬です」
「はい」
住職はそれだけ答えた。
匠は両手で赤馬を持ち上げ、低い台へ置いた。木が台に触れる音は小さかった。指を離してからも、手のひらに重さが残っていた。
匠は一歩下がり、赤馬を見た。木地のまま大隅へ見せた時よりも、台の上で低く落ち着いて見えた。
橘が手を合わせた。大隅も少し遅れて頭を下げる。職人たちもそれに続いた。
堂を出ると、木漏れ日が杉の間から落ちていた。皆が石段の方へ向かう中で、信乃だけが境内の端に残った。立ったままノートを開き、しばらく書いている。
匠が近くを通ると、信乃が顔を上げた。
「書き終わりました?」
「はい」
「何を書いたんですか」
「今日までに確かめたことです」
ノートには、短い行が並んでいた。
新しい赤馬――上杉さんが風呂敷をほどき、別の台へ置いた。
古い台座――空いたまま。新しい台とは人ひとり分ほど離れている。
橘さん――赤馬を見て手を合わせた。大隅さんも後から頭を下げた。
「感想は?」
匠が聞いた。信乃はノートを閉じた。
「別に書きます。混ぜると、自分に都合よくなりますから」
前にも聞いた答えだった。匠は少し笑った。
「まだ分けるんですね」
「調査中ですから」
石段の下から、誰かが信乃を呼んだ。信乃は声のした方へ顔を向け、それから一度、堂を振り返った。
「来てよかったです」
それだけ言って、石段を下りていった。足音が、杉の間で少しずつ小さくなった。




