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箱庭市  作者: チケイズム
第二章 赤馬星
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六 二つの赤馬

 赤馬の試作が十体を越えた頃、匠は天台寺へもう一度行った。販売用の赤馬を作るうち、寺にあった大きな赤馬が、実際にはどのように置かれていたのか確かめたくなった。

 住職は匠を庫裏へ通した。話をしていると、部屋の隅に重ねられた黒塗りの膳が目に入った。縁には細かな傷があり、一部は塗り直されている。

「これも倉淵塗ですか」

「ええ。法要の時には今も使っています」

 住職は一枚を取り出し、匠の前へ置いた。

「源一郎さんにも何度か直していただきました。古いものですが、まだ使えますよ」

 匠は膳の縁を確かめた。塗り直した部分は、周囲とわずかに艶が違っていた。

 その後、住職に頼んで堂へ入った。

 奥の台座は、前に訪れた時と変わらず空いていた。天板はきれいに拭かれている。以前見せてもらった写真では、ここに大きな赤馬が置かれていた。

 匠は堂の入口へ戻り、そこから台座を見た。赤馬があれば、入ってきた人の目が最初に向く場所だった。

 さっき見た膳には、何度も直された跡があった。こちらには、直すべき赤馬そのものがない。

 匠は台座の天板の幅を目で測った。奥行きも確かめる。木地を取る前に、いつもしていることだった。

 寺を出る時、住職が声をかけた。

「またいらしてください」

「はい」

 匠は石段を下りた。


 工房へ戻ると、その日は注文を受けていた椀の仕上げを済ませた。乾燥棚には販売用の赤馬が並んでいる。塗りの乾いた一体を取り出し、掌に載せてみた。道の駅で売れれば、買った人の手に渡って倉淵を離れていく。

 翌日、匠は作業台の下から源一郎の仕事帳を取り出した。天台寺から受けた仕事の記録を探す。椀の塗り直しや膳の修繕が、年を隔てて何度も出てきた。

 匠は仕事帳を閉じ、引き出しにしまっていた寺の赤馬の写真を出した。作業台へ置き、販売用の赤馬を一体、その隣へ並べる。

 寺へも、新しい赤馬を一体納められないだろうか。

 写真を見直した。胸が厚く、首が前へ出ている。右前脚には欠けたところがあり、写っているのは片側だけだった。反対の脇腹がどうなっているかもわからない。

 以前、橘の赤馬を写した時には、長い年月で擦り減った部分まで形だと思って削ってしまった。同じものを作ろうとしても、元の姿はわからない。

 匠は写真を脇へ寄せた。

 販売用の赤馬なら、何度も直してきた形がある。これを大きくすれば、寺へ納める一体が作れるかもしれない。

 匠は寺で確かめた台座の幅を思い出し、販売用より大きな木地を選んだ。小さな赤馬を脇に置き、見比べながら輪郭を取っていく。

 首と胴のおおよその線が出たところで、匠は手を止めた。

 橘へ見せよう。


 数日後、木地の段階まで進めた赤馬を持って、橘の家へ行った。

「何だ、それは」

「天台寺へ納めたいと思っています」

 橘の顔が変わった。木地を受け取り、両手で重さを確かめる。

「住職には話したか」

「まだです」

「大隅には」

「話してません」

 橘は赤馬を机へ置いた。

「組合には」

「まだ」

「順番が違う」

「寺へ納めるつもりでした」

 橘は机へ置いた赤馬を見た。

「なら、なぜ先に削った」

 匠は答えられなかった。思いつけば、まず手を動かす。自分の仕事なら、それで八年やってきた。

「源一郎さんの孫だから、おまえが寺の赤馬を決めていいわけじゃない」

 匠はしばらく赤馬を見ていた。それから持ってきた布を広げ、木地を載せた。包もうとしたところで、橘が手を伸ばした。

「作るなとは言ってない」

 赤馬を引き寄せ、横から見る。首へ指を添えたあと、橘は顔を上げた。

「販売用は?」

 匠は小さい赤馬も出した。二体を机へ並べる。橘は小さい方を掌へ載せ、向きを変えながらしばらく見た。

「これはいい」

「前より?」

「持ちやすい。源一郎さんの真似も減った」

 橘は大きい方へ手を戻した。

「こっちは軽い」

 匠が木地を持ち上げた。

「重さですか」

「見え方だ」

 橘は販売用の赤馬と並べ直した。

「こっちは、人が持つものだ。手の中で向きを変えて見てもらえばいい。寺に置くなら、同じ考え方じゃなくていい」

 匠は二体を見比べた。大きくしただけでは、販売用の形を引き延ばしたにすぎなかった。

 橘は大きい赤馬を匠の方へ押し戻した。

「最初の形は、おまえが出せ」

 匠は顔を上げた。

「今、赤馬をもう一度作ろうとしているのはおまえだからな」

 橘はそこで手を離した。

「ただ、寺へ納めるつもりなら、先に住職へ話せ。作ってから持っていく話じゃない」

 匠はうなずいた。

「大隅にも見せろ。こっちは、そのまま進めるな」

 橘は大きい赤馬の背を指で叩いた。

「寺に置くものとして、もう一度考えろ」

 匠は二体の赤馬を布で包んだ。


 その日のうちに、匠は天台寺へ行った。木地は工房へ置いてきた。住職に、赤馬を一体新しく作って寺へ納めたいと話した。

「昔の赤馬を戻すつもりではありません」

「はい」

「勝手に作り始めました」

 住職が少し笑った。

「それも聞きました」

「橘さん、早いですね」

「電話をいただきました」

 匠は頭を下げた。

「一体、今の倉淵塗で作って納めたいです。ただ、俺一人のものにはしません」

 住職は空いた台座を見た。

「同じ場所には置かない方がよいと思います」

 匠は顔を上げた。

「先日お見せした膳は、傷めば直して、また使えます。でも、あの赤馬は、なくなったから代わりを置けばいいというものではありません」

 住職は匠に向き直った。

「戻ってくる可能性を、私はまだ捨てていません。古い赤馬の場所は、空けておきたいのです」

「わかりました」

「新しい赤馬には、新しい場所を考えましょう」


 天台寺を出たあと、匠は大隅にも話した。

「寺に、新しい赤馬を納めることになりました」

「決まったのか」

「古い台座には置きません。別の場所を作ってもらいます」

 大隅は少し考えた。

「橘さんには?」

「先に見せました」

「何て」

「一人で決めるなと」

 大隅が鼻で笑った。

「その通りだ」

 匠は黙った。

「形が出たら持ってこい」

「完成してからじゃなくて?」

「完成してから何を言えっていうんだ」


 工房へ戻ると、匠は最初に削った大きな赤馬を作業台の脇へよけた。販売用の形を大きくしただけのものを、そのまま直して使う気にはなれなかった。新しい木地を出した。

 寺に置く赤馬は、人の掌に載せるものではない。少し削っては木地から離れ、正面と横から見る。離れたところからも確かめた。数日かけて、おおよその形まで出したところで手を止めた。

 まだ漆は塗らない。匠は木地のまま、組合の作業場へ持っていった。大隅は奉納用の赤馬を正面から見て、横へ回り、最後に底をのぞいた。

「首が弱い」

「細い?」

「細さじゃない。前へ出すぎてる」

 匠はその場で低い台へ置き、少し離れた。正面から見ると、確かに首の先へ視線が引かれ、胴の重みが薄れて見える。

「直します」

「削りすぎるな。今度は玩具になる」

 匠は赤馬を見た。

「どこまで戻します」

「それを決めるのがおまえだろ」

 大隅は台から離れた。

「出来が悪ければ止める」


 匠はその木地を工房へ持ち帰った。首の線を二度直し、三度目に小刀を当てた。木地を削る乾いた音が短く続き、匠は手を止めた。それ以上削れば、大隅が言うように、玩具めいた形になりかねなかった。

 塗りへ入る前に、もう一度人に見せた。橘は胸から前脚へ落ちる線を気にした。大隅は台へ置き、離れたところから全体の重さを確かめた。住職には木地を寺まで持っていき、実際に置く予定の場所から見てもらった。

「ここからだと、背中を見る人も多いですね」

 住職は堂の脇へ回って言った。三人とも、見るところが違った。

 匠は工房へ戻り、そのすべてを形へ入れようとはしなかった。橘の言う通りに直せば別の線が消え、大隅の言う重さだけを追えば動きがなくなる。寺でどう見えるかも無視はできない。三人の言葉を思い返しながら小刀を入れ、最後の線を決めた。


 木地が決まると、組合の職人たちが下地と塗りの工程を分担した。大隅も一度だけ、上塗りの刷毛を持った。胸から前脚へ落ちる木地の稜線に、漆がたまりかけた。

「その線、もう少し残してください」

 大隅の手が止まった。

「おまえの赤馬か」

「最初の形は俺です」

 大隅は何も言わず、刷毛の角度を変えた。稜線の脇にたまった漆を薄く均していく。

 やがて工房に、二つの赤馬が並んだ。一つは、人の掌に収まる販売用。もう一つは、天台寺へ納めるために作った大きな赤馬だった。どちらも赤い。けれど、同じ形ではなかった。

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