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箱庭市  作者: チケイズム
第二章 赤馬星
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五 届く形

 道の駅の売り場とサインの打ち合わせには、役場の遠藤、義一、大隅のほか、外部のデザイン事務所から二人が来ていた。

 資料が配られる前に、四十代くらいの男性が立ち上がった。

「箱宮デザインラボの三浦です。館内サインと売り場表示を担当します。商品の見せ方については、こちらの石川も一緒に考えます」

 三浦が出席者に名刺を渡して回った。隣にいた女性も席を立ち、一人ずつ挨拶した。

「石川葵(いしかわあおい)です。よろしくお願いいたします」

 匠の前にも名刺が差し出された。受け取って名前を確かめ、手元の資料の脇へ置いた。

 葵は二十代後半に見えた。白いシャツに淡い灰色の上着。髪は後ろで低くまとめている。挨拶の声は大きくないが、言葉ははっきりしていた。

 全員が席に戻ると、遠藤が売り場の配置図を広げた。

「今日は棚の位置と、館内の案内表示を確認したいと思います」

 まず、入口から農産物売り場へ人を流す動線について説明があった。義一が図面を示し、野菜の平台と通路の幅を確認する。食堂への案内表示、トイレから戻る客の通り道についても意見が交わされた。

 匠はその間、壁際に細長く取られた倉淵塗の棚を見ていた。

 葵が鉛筆を置いた。

「ここ、平台が高くなる予定ですよね」

 義一が図面の寸法を指で追った。

「九十センチです」

 葵は入口側から図面を見直した。

「入口からだと、工芸棚の下半分が隠れます」

 義一が平面図と立面を見比べた。

「確かに」

 葵が鉛筆の先を通路側へずらした。

「通路側を少し振れませんか」

 義一が首を振った。

「搬入にかかる」

 遠藤が平台の位置を指した。

「平台を下げる方は?」

 義一が平台の四角を押さえた。

「野菜の箱を置くので、全部は難しいです」

 義一は図面へ線を引き直した。

「工芸棚を四十センチ前へ出す。その代わり幅を少し削る」

 大隅が口を挟んだ。

「狭くなるのか」

 葵が工芸棚の線へ目を戻した。

「見えない棚を広く取っても仕方ないでしょう」

 大隅は少し不満そうだったが、それ以上は言わなかった。

 匠は葵の鉛筆が止まった場所を見た。野菜の平台の向こうで、細長い工芸棚が入口側へ少し顔を出していた。百貨店では工芸品を見る客を待っていたが、ここでは野菜を目当てに入った客にも棚が見える。匠は鞄の中の赤馬を思い出した。


 会議が終わりかけた頃、葵が倉淵塗の資料を集めていた。

「石川さん」

「はい」

 匠は布包みを机へ置いた。

「これも見てもらえますか」

 布を開く。葵が少し目を見開いた。

「馬?」

「赤馬です。まだ試作です」

 葵は「赤馬」と小さく繰り返し、形を確かめるように目を落とした。手を伸ばしかけて、途中で止める。

「触っても大丈夫ですか」

「どうぞ。これは乾いてます」

 葵は掌へ載せた。横を見る。底を見る。赤馬の背へ指を乗せる。信乃と同じだった。説明を求める前に、手の中で向きを変えた。

「いくらですか」

「まだ決めてません」

 机の上には、さっき開いた布が残っていた。売り物にする箱はまだない。匠が鞄から出せるのは、昨夜までに書いた説明文だけだった。

 匠は紙を出した。


  天台寺の由来。

  倉淵崩れ。

  赤馬星。

  湯治客。

  旅の守り。

  戦地へ持っていった橘の赤馬。

  源一郎のこと。


 ほとんど一枚を埋めている。葵は最後まで読み、紙を赤馬の横へ置いた。小さな赤馬の隣では、紙一枚がやけに大きく見えた。

「これは、どう使うつもりですか」

「売り場に置こうと思ってます」

「この内容を、全部?」

「知らないと、何の馬かわからないでしょう」

 葵は赤馬と紙を見比べた。

「でも、この紙を読まない人もいます」

「読んでもらえばいい」

「その前に通り過ぎたら?」

 匠は黙った。

「説明を読んでもらうことはできます。でも、まずこれに目が止まらないと、説明まで行かないと思います」

「じゃあ、どうするんです」

 葵は赤馬をもう一度手に取った。少し向きを変え、布包みへ目をやった。

「そこから考えます。見せ方と、持って帰る時の包み方も」

「包みも?」

「商品にするなら、そこまで要りますよね」

 匠は開いたままの布を見た。

「お願いします」


 数日後、デザインラボから試作が届いた。赤馬の胴へ直接巻くための、細長い白い紙帯だった。表には小さく「赤馬」、その下に「倉淵塗」。裏側には短い説明が入っている。帯の両端を重ね、片方の端を切り込みに差して留める形になっていた。紙は滑らかで、文字も読みやすい。

 匠はしばらく眺めた。きれいだった。きれいすぎる気もした。

 葵から電話が来た。

「まず、説明はこれくらいまで減らしてみました」

「赤馬星の話がないですね」

「はい。最初の帯では外しました」

 匠は届いた紙帯を指先で裏返した。赤馬星の文字は、表にも裏にもなかった。

「どうして?」

「伝承が強すぎるので。商品名の印象より先に、物語が来る気がしました」

「そうですか」

「一度、赤馬に巻いて見てもらえますか」

 匠は電話を切り、紙帯を一枚取った。赤馬の胴へ一周させ、重ねた端を切り込みに差す。白い紙が赤い漆の上へ乗る。見た目は悪くなかった。位置を少し直そうと帯を滑らせた。そのとき、紙の切断面が赤馬の側面を擦った。

 手を止め、帯を外す。窓際へ持っていくと、漆の表面にごく細い曇りがあった。指で触ってもわからない。斜めから光を当てて、ようやく見える程度だった。

 別の試作品にも同じ帯を巻いた。今度は位置を動かさず、そのまま外す。傷はない。もう一度巻き直そうとすると、差し込み口の硬い角が漆面へ当たり、同じような細い擦れが残った。三体目には巻かなかった。


 その日の午後、匠は葵を工房へ呼んだ。

「ここです」

 匠は赤馬を窓の光へ傾けた。

「見えます?」

 葵は顔を近づけた。

「あ」

「紙が硬い。持ち運ぶ間に帯が少しでも動いたら、もっと擦れます」

 葵が帯の切断面と差し込み口を指で触った。

「すみません。そこまで見ていませんでした」

「試作の帯、何枚刷ったんですか」

「十二枚です。実物に巻いてから決めるつもりでした」

「この形では使えません」

 葵は帯の切断面から手を離した。

「はい」

 葵は言い返さなかった。だが、落ち込んだ顔もしなかった。

「紙からやり直します」

「文字も」

 匠が言うと、葵は首を横に振った。

「そこは別です」

「赤馬星を外したこと?」

「はい。私は外した方が入りやすいと思っています」

「俺は残したい」

 葵は匠を見た。

「理由を聞いても?」

 匠は作業台の端に置いていた天台寺の写真を出した。

「きれいな名前だからじゃありません」

 写真を葵の方へ向けた。

「寺の赤馬から、旅の赤馬までの話を調べました。全部説明する必要はない。でも、赤馬星までなくしたら、この馬が何の赤馬なのかわからなくなる」

「全部は載せない?」

「載せません」

 匠は自分の長い説明文を見て、読み返した。倉淵崩れ、寺、赤馬星、湯治、戦地、源一郎。

 この細い帯に全部載せれば、赤馬より文章の方が重くなる。

「表に出す帯には、赤馬と倉淵塗。それから、旅の守りだったことだけでいいです」

「赤馬星は?」

「別の説明紙へ。包みの中に入れます」

 葵が長い説明文を見た。

「この半分くらい?」

「もっと減らします」

「上杉さんが?」

「俺が書いたので」

 葵が少し笑った。

「お願いします」


 匠はその夜、説明文を削った。一度、思い切って削りすぎた。翌朝読み返すと、どこにでもありそうな土産物の説明になっていた。

 赤い馬のお守り。旅の無事を願う縁起物。それだけなら、倉淵でなくてもいい。匠は紙を破り、もう一度書いた。事実と伝承を分け、わからないことは、わからないまま残す。

 天台寺の赤馬が、すべての小さな赤馬の直接の原型だったとは書かない。戦地へ持っていった赤馬がどれほどあったかも書かない。橘一人の記憶を、村全体の習慣にはしない。最後に「赤馬星」という名だけを残した。


 数日後、葵が新しい試作を持ってきた。生成りの仮箱と、箱の外側へ回す紙帯だった。赤馬は薄紙で包んで箱に収め、帯は漆面に直接触れない。匠が書き直した説明は、二つ折りの紙にして箱の中へ入れる案になっていた。

 匠は赤馬を薄紙で包み、仮箱に収めた。蓋を閉じて紙帯を回し、一度外す。箱を開け、赤馬を光へかざした。擦れはなかった。

「これなら」

「輸送でも試したいです」

「俺がやります」

「落とさないでくださいね。商品なので」

 匠は箱を持ち上げた。

「まだ試作でしょう」

「こういう時だけそう言うんですね」

 葵が笑った。次は、売り場から持ち帰った後まで考える。

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