四 昔の小物
試作が七体になった頃、大隅が工房へ来た。乾燥棚の前で足を止め、腰をかがめて端の一体を横から見た。そのまましばらく何も言わなかった。
「本気だったのか」
「本気です」
「赤馬を?」
「はい」
大隅は一体へ手を伸ばした。
「まだ触らないでください」
「乾いてないのか」
「上塗りしたばかりです」
大隅は手を引っ込め、並んだ赤馬を順に見比べた。塗りたての漆の匂いが、工房に薄く残っていた。
「昔の小物を、道の駅の顔にする気か」
「昔のまま出す気はありません」
大隅は返事をせず、首の形が違う二体を見比べていた。
匠は作業の手を止めた。
「大隅さんも、赤馬を知っていたんですか」
「知ってる」
「どうして最初に言わなかったんですか」
「何を」
「小物を考えろと言った時です」
大隅は棚の前から動かなかった。
「今さら赤馬とは思わなかったからだ」
「だから、作り直してるんです」
「おまえには、違いがわかるんだろうな」
そこで初めて、大隅は匠を見た。
「買う側にも、その違いが伝わるのか」
「そこまでは、まだ考えきれていません」
「なら、値段は?」
「まだです」
大隅が乾燥棚の縁へ手をかけた。
「何体作るつもりだ」
「それも、まだ」
棚の上の赤馬は、どれも同じ方を向いて並んでいた。七体で、乾燥棚の一段をほとんど塞いでいる。
「漆はいくらでも使えるわけじゃないぞ。寅蔵さん、また膝が悪くて山を休んでる」
「またですか」
「八十を越えてる。しばらく山には入れんそうだ」
匠も一度、寅蔵について山へ入り、漆掻きを習ったことがあった。幹へ細い傷を入れ、にじんだ漆を掻き取る手は、目で追いきれないほど速かった。それでも一本の木から採れるのは、牛乳瓶一本ほどしかない。
「寅蔵さんだけじゃない。漆掻きの刃を打てるのも、今じゃ平六さんだけだ」
「平六さんは、まだ仕事してるんですか」
「ああ。ただ、去年の秋に車をぶつけてから、家族に運転を止められてる。あの人もいい歳だからな」
漆を掻く人と、その刃を打つ人。匠も二人の仕事は知っていた。だが、赤馬をまとまった数で作るなら、どれだけ漆が要り、その分を誰が用意できるのか。そこまでは、まだ考えていなかった。
大隅は棚の上へ目をやった。赤馬は裸のまま並び、箱も値札もない。道の駅のどこへ置くかも決まっていなかった。
大隅が鼻で息を吐いた。
「何も決まってないじゃないか」
「形を決めてるんです」
「形だけ決まった物を商品とは言わん」
腹が立った。だが、言い返せる数字が一つもなかった。
「じゃあ、大隅さんならどうします」
「知らん」
匠は顔を上げた。
「知らないんですか」
「赤馬を売ろうとしてるのはおまえだ」
「そこは教えない?」
「俺は赤馬に反対してる」
「便利ですね」
大隅は赤馬から目を離さなかった。
「おまえもな。反対されると、相手に答えを出させようとする」
匠は黙った。大隅は戸口へ向かった。
「決めろ。決めた後なら、悪いところはいくらでも言ってやる」
大隅が帰ったあと、匠は手を洗い、作業帳を開いた。鉛筆の先が丸くなっていたので、小刀で削ってから書き始めた。
赤馬一体の木取り。
削り。
下地。
研ぎ。
塗り。
乾燥。
仕上げ。
赤馬には、椀のように決まった寸法も手順もまだなかった。匠は七体を作るまでにかかった日数を書き出した。首を削り直した時間は記録していない。脚の太さを変えた分も同じだった。
椀と盆の注文控えを開き、作業日を照らし合わせた。赤馬を乾かしている間は、乾燥棚の一段が使えない。まとまった数を作るなら、ほかの仕事との順番も決める必要がある。
一日に完成する数だけを見れば少ない。工程をずらせば、まとまった数は作れる。ただし、今の形では細部の削りに手がかかりすぎた。刃物を入れる順番も、まだ一体ごとに違っている。
漆の必要量を書く欄を足した。数字はまだ入れられなかった。
価格を書いた。消した。もう一度書いた。数字の上に数字が重なり、紙の同じ場所だけが黒くなった。
安くすれば手間に見合わない。高ければ、百貨店の椀と同じように棚へ戻る。
夜になって義一が来た。
「大隅さんが来たそうだな」
「何でも早いですね」
「さっき電話があった」
「何て?」
義一は乾いた試作へ目をやった。
「匠が面倒なものを始めたって」
手には取らず、少し身をかがめ、正面と横から確かめた。
「父さんも昔の土産物に見えますか」
「見せ方次第だ」
「また建築の話ですか」
「建築も同じだ」
義一は工房の天井を見た。
「古い梁を一本残しただけなら、ただの飾りだ」
匠は天井から、乾燥棚の赤馬へ目を戻した。
「赤馬に梁はありません」
「例えだ」
「わかってます」
義一が少しだけ眉を上げた。
「俺は物の売り方は専門じゃない」
「でしょうね」
義一は道の駅の図面を作業台へ広げた。
「明日、売り場とサインの打ち合わせがある。外のデザイン事務所も来る。大隅さんは椀と盆を持ってくる」
義一は赤馬を見た。
「それも持ってこい」
「まだ試作です」
「試作でもいい。置く場所の話はできる」
匠は返事をしなかった。
「おまえが来なければ、赤馬を置く場所は誰も考えない」
「俺が行って、何を言うんですか」
「それを考えるための打ち合わせだろ」
義一は図面を持ち直した。
「嫌なら来なくていい。その代わり、後から棚が悪いとは言うな」
翌日、役場へ向かう前に、匠は打ち合わせへ持っていく試作を一体選んだ。七体の中で、いちばん形がまとまって見えるものだった。
布で包み、鞄へ入れかけて手を止めた。これが売れた時も、同じように布で包むのだろうか。
匠は包みを見たまま、しばらく動かなかった。




