8話:幼馴染に相談
金曜の夜、9時すぎ。
ベッドに寝ころがったまま、俺はスマホで「デート 服装 男子 高校生」と検索していた。
出てくるのは、「清潔感が大事」「サイズの合った服を」みたいな記事ばかりだ。清潔感がなんなのかがわからないから困っているのに、そこを誰も教えてくれない。三つ目の記事で「まずは手持ちの服を確認しましょう」と言われたあたりで、画面を閉じた。
約束したのが木曜の一限で、そこから今日の放課後まで、先輩は一回もその話を蒸し返してこなかった。だから正直、半分くらいは冗談だったんじゃないかと思っていたのに、夕方になってRINEが来た。
『明日の13時、栄駅のプラチナ広場に集合ね!!!』
どうやら、冗談ではなかったらしい。
服も髪も、どうすればいいのかわからない。そもそも、何をしに行くのかすら聞いていない。考えれば考えるほど、わからないことだけが増えていく。
RINEの友達検索に、ある名前を打ちこんだ。こういうときに頼れる女子なんて、俺には一人しかいない。
トーク画面を開いて、メッセージを打つ。
『葵、ちょっと真面目な相談ある』
既読は3秒でついた。
『どうしたの?』
『明日、先輩と出かけることになった』
『服とか髪とか、いつもそのままだから、さすがに直したほうがいいよな。どうしたらいい?』
既読はついたのに、今度は返事が来ない。トーク画面の上で、葵の名前の横の「入力中」が出たり消えたりをくり返したまま、10秒、20秒と過ぎていく。
30秒たったところで、スマホが震えた。電話だった。
「……もしもし」
「朔也!! どういうこと?」
耳もとで葵の声が思いきり響いたので、スマホを耳から離す。
「どういうことって言われても、書いたまんまだけど」
「先輩って、久遠寺先輩だよね?」
「ほかに誰がいるんだよ」
「……ちょっと待って」
葵はそれだけ言って、いきなり電話を切った。
画面に残った「0:24」の表示を見ながら、なんでいきなり切るんだよ、と思う。かけてきたのはそっちなのに。
かけ直すべきか迷っているうちに、また葵から電話がかかってきた。
「……今度はなんだよ」
「今、朔也の家の前にいるんだけど」
「は?」
「寒いから、入れて」
窓のカーテンをめくって見下ろすと、街灯の下で、葵が両腕を組んで足踏みしていた。葵の家はうちから歩いて3分のところにあるけど、電話が切れてから、まだ2分もたっていない。
玄関を開けると、四月の夜の空気が足もとから入りこんできた。
葵は、薄手の長袖Tシャツに短パン、素足にサンダルという、完全に部屋着の格好だった。
「なんで家まで来たんだよ」
「別にいいでしょ! 来ちゃダメなの?」
「来たらダメってわけじゃないけど。来るなら来るで、一言くらい連絡くれよ」
家が近いとはいえ、もう九時を過ぎている。女子一人に夜道を歩かせるくらいなら、こっちから迎えに行ったのに。
とりあえず二階に上げると、葵は俺のベッドの上に座りこんで、自分の腕をごしごしこすりながら、どうにか温まろうとしていた。
「寒い。朔也、なんか貸して」
椅子の背に黒いジップパーカーがかけっぱなしになっていたので、それをつかんで葵に渡す。
「ほらよ」
葵は受け取るなり、急いでパーカーをはおった。俺のサイズだから袖がだいぶ余っていて、丈も太もものあたりまで隠れている。
風呂上がりだったのか、前髪がまだ少し湿っていた。学校では軽く化粧をしているんだろうけど、今はたぶん素顔で、そのぶん、いつもよりずっと幼く見える。
……こいつ、こんな顔だったっけ。
葵が学年一の美少女とか言われているのは、知っていた。拓海が何回も言うから、いやでも知っている。それでも、朝に人の布団をはがしに来る幼馴染と、その評判が、俺の中ではずっと結びついていなかった。素顔の葵を見て、その二つがようやく一つになった。
「……なに」
「なんでもない」
目が合いそうになって、俺はあわてて顔をそらした。耳のあたりがじんわり熱くなっていたけど、それが何のせいなのかは、考えないことにした。
「で、どういうこと! 明日、久遠寺先輩とお出かけするって」
葵はベッドの上に座ったまま、ずいっと身を乗り出してきた。
「どういうことも何も、先輩に誘われたんだよ」
「何時から?」
「13時」
「てか、そもそも朔也って土日に外出するだ」
「なんだよ、その言い方」
「だって、土日なんてゲームかアニメしか見てないじゃん」
「そ、それはそうだけど……」
「インドアな朔也が外に出るとか、なんかおかしいよ」
反論できない。先週の土日も、ほとんど今葵が座っているベッドの上で過ごしている。
葵は、じっと俺の顔を見ていたかと思うと、目を細めた。
「……やっぱり、久遠寺先輩と付き合ってるでしょ」
「付き合ってないって。この前も言っただろ」
「だって、おかしいもん。毎日あんなにくっついてて。……土日まで一緒とか、絶対なんかあるよ」
「ないって」
「じゃあ、なんで出かけるの」
「そ、それは、課題のお礼で――」
「課題のお礼? それってどういうこと」
「あ」
葵の顔から、表情がすっと消えた。
「……朔也。課題、ちゃんとやってるって言ってたよね」
言った。木曜の一限、教卓の前で、何の迷いもなく。
ごまかす方法を三つくらい考えてみたものの、どれも葵には通じないとすぐにわかった。昔からの付き合いは、こういうときに不利だ。
「……先輩が、代わりにやってくれてたから、課題を出せたんだ」
「先輩が? でも、先輩が解いたなら、字でばれるでしょ」
「俺の字、まねしてたんだよ。そっくりに」
「ま、まじで……? 久遠寺先輩、すごすぎでしょ。そんなことまでできるの?」
葵はぽかんと口を開けて、それから、はっとしたように眉を寄せた。
「……で、それ、朔也の名前で出したんだよね?」
嫌なところをついてくる。
「出したけど。実際、誰にもバレてないし」
「……そんな簡単に、ごまかせるものなのかな。いくら字が完璧でも、どこかでぼろは出ると思うけど」
ひとりごとみたいな声でそう言うと、葵は余った袖を両手でぎゅっと握りこんだ。
「私とは、出かけたがらないくせに。……先輩とは、出かけるんだ」
最後のほうは、ほとんど聞き取れなかった。
葵はしばらく黙っていたけど、やがて大きく息をはいて、顔を上げた。
「私にうそついたことと、先輩が解いた課題を出したことは、あとでちゃんと言わせてもらうから。でも、お礼で出かけるなら、それはそれで、ちゃんとしないとだめだよね」
そう言って、葵はベッドから立ち上がった。
「……で、服は」
俺の返事を待たずに、葵はクローゼットを開けた。
ハンガーにかかっているのは、Tシャツばかりだった。去年、駅前の服屋がゲームとコラボしていたときに買ったやつが三枚。胸に大きくモンスターのイラストが入っているやつと、ゲームのロゴが背中いっぱいに入っているやつと、キャラクターがドット絵で並んでいるやつだ。
「……全部、部屋着じゃん」
「外にも着ていけるだろ」
「行けないし。デートでこんな服着てこられたら、即萎える」
葵はクローゼットの扉に手をかけたまま、深いため息をついた。
「あんた、顔はそこそこいいんだから。ちゃんとしないと、もったいないよ」
たぶん、ほめられてはいるんだと思う。でも、残念なものを見るような目で言われたせいで、素直に喜べなかった。
「先輩との約束、13時って言ってたよね。……それなら、間に合うか」
葵はひとりで何か計算するみたいにつぶやいてから、こっちを向いた。
「明日の午前中、一緒に服を買いに行くよ。駅前のショッピングモール、十時に開くから」
「え? まじで」
葵と二人で出かけるのなんて、中学のとき以来だ。
「何か不満なの? 久遠寺先輩とは出かけられるのに、私と出かけるのは嫌なの?」
葵が、じとっとした目でこっちをにらむ。
「そんなことないって。むしろ、先輩より葵と出かけるほうがいいよ」
葵の動きが、ぴたりと止まった。余った袖で口もとを隠して、目だけをこっちに向けてくる。
「……そ、そうなの?」
「だって、葵だと気をつかわなくていいし。デートって感じもしないから、楽なんだよな」
次の瞬間、俺の顔面に枕が飛んできた。
「ばっかじゃないの!」
ベッドの上の枕を、葵が両手でつかんで投げつけてきたらしい。顔から枕をはがすと、葵は真っ赤な顔で、こっちをにらみつけていた。さっきとは、赤くなっている理由がたぶん違う。
「なんで怒るんだよ」
「自分で考えて!」
そこから先は、何を話しかけても「別に」「知らない」しか返ってこなかった。
時計を見ると、もう10時を回っていた。さすがに遅いので、葵を家まで送っていくことにした。
三分の道のりを、葵はパーカーを着たまま、俺の半歩前を歩く。途中の自販機の明かりが余った袖を白く照らしても、葵はひとことも話さなかった。
葵の家の門の前まで来て、ようやく足が止まる。
「相談に乗ってあげて、服まで選んであげるんだから」
葵は振り返らないまま、門の取っ手に手をかけた。
「……私のお願いも、一つ聞いてほしい」
「葵もかよ。まあ、いいけど。どうしたんだよ、なんか欲しいものでもあるのか」
「そうじゃなくて」
取っ手を握る指に、少しだけ力が入る。
「……来週の土曜日。私とも、久遠寺先輩と同じようなお出かけがしたい」
なんだ、そんなことか。
「それくらいなら、いいぞ」
葵が、勢いよく振り返った。さっきまでの不機嫌がうそみたいに、口もとが完全にゆるんでいる。
「言ったからね。何があっても、絶対に行ってもらうからね」
インドア歴16年の俺が、二週連続で、土曜日に外出することになった。
「明日、9時半までに準備しといてね。出かけるときも起こしにいくなんて嫌だからね」
「はいはい、わかったよ」
「それじゃ、また明日」
葵は余った袖をひらひら振って、葵は玄関の中に消えた。
閉まった扉を見つめたまま、俺はようやく気づいた。
……あ。パーカー、返してもらうの忘れた。




