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俺のクラスメイトになりたかった先輩は、留年したそうです。  作者: うにゃぴ太郎


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6/20

6話:先輩と朝

 目が覚めた。

 目覚ましが鳴る前に、まぶたが勝手に開いた。


 枕元のスマホを見ると、7時30分。いつもは8時に目覚ましを三回止めて、ぎりぎりで家を飛び出すのが俺の朝だ。30分も早く、しかもこんなにすっきり目が覚めるなんて、久しぶりかもしれない。


 今日は何かいいことがあるんじゃないか。そんなことを考えながら、寝返りを打とうとして――。


 体が、動かなかった。


 正確には、右腕が動かない。何かにがっちりつかまれている。それに、なんだか右側だけ、やけにあたたかい。


 おそるおそる、首だけを右に向ける。


 先輩が、寝ていた。


 俺のベッドの上で。制服のまま。掛け布団の上に横になって、俺の右腕を両腕でぎゅっと抱えこんだまま、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。


 長いまつげが、ときどき小さく揺れている。少しだけ開いた唇から、規則正しい寝息がもれる。いつもの余裕たっぷりの顔とは違う、びっくりするくらい無防備な寝顔だった。


 ……は?


 いや、待て。待ってくれ。


 目が覚めたら、隣に美人の先輩が寝ている。どこのラブコメだよ。


 正直に言えば、男子高校生として、人生で一度くらいはこういう展開を妄想したことはある。あるけど、それはあくまで妄想の話で、まさか新学期二日目の朝に、いきなり現実で始まるなんて誰が思うんだ。


 夢か。間違いなくこれは夢だな。


 夢かどうか確かめる方法をいくつか考えて、全部やめた。確かめて、もし夢じゃなかったら、それはそれで困る。


 それからしばらく、俺は天井を見つめたまま固まっていた。


 なんで先輩がここにいるのか。どうやって入ったのか。いつからいるのか。考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。そのあいだも、右腕はがっちり抱えこまれたままで、先輩の体温がじんわり伝わってくる。


 さっきから、自分の鼓動が耳の奥でどくどく鳴っている。


 ふと、枕元のスマホに目をやった。


 7時50分。


 ……やばい。


 考えこんでいるうちに、20分も経っていた。そろそろ準備をしないと、本当に遅刻する。


 とりあえず、腕を抜こう。そっと、先輩を起こさないように――。


「……んん」


 右腕を引いた瞬間、先輩が小さくうなった。そして、逃がさないとでも言うみたいに、さっきよりもっと強く腕にしがみついてきた。


「さくやくん……」


 寝言だった。寝言で名前を呼ばれた。


 いや、こっちの心臓がもたないんですけど。


 腕は完全に抱き枕扱いで、抜ける気配がまったくない。これはもう、起こすしかなさそうだ。


「先輩。先輩、起きてください」


 空いている左手で、そっと肩をゆする。


「……ん……朔也くん……激しいよ……」


 先輩は、寝言を言いながら、抱きしめている力が増した。


 どんな夢を見てるんだよ。ていうか、夢の中の俺、何してるんだよ。


 もう一回ゆする。先輩の眉が、ぴくっと動いた。


 それから、長いまつげがゆっくり持ち上がって、とろんとした目が俺をとらえた。


「……あ。朔也くん。おはよう」


 ふにゃっと、力の抜けた笑顔だった。寝起きでまだ頭が回っていないらしく、声もいつもよりずっとふわふわしている。


「おはようございます。……じゃなくて。先輩、なんでここにいるんですか」


「んー……?」


 先輩はしばらくぼんやり俺の顔を見ていた。それから、ようやく状況を思い出したのか、ぱちぱちとまばたきをする。


「あ、そうだった。朔也くんを起こしに来たんだった」


「起こしに来た人が、なんで隣で寝てるんですか」


「ふふ。なんでだろうね」


 なんでだろうね、じゃない。


「ていうか、どうやって家に入ったんですか」


「壁をよじ登って、窓から入ったの。朔也くんのお部屋、窓が開いてたから」


「え!?」


 思わず、窓のほうを振り返る。昨日の夜、閉めたはずだ。たぶん。いや、閉めたっけ。


「ふふ、冗談だよ」


 先輩は、くすくすと肩を揺らした。


「朔也くんのお母さんが、入れてくれたよ?」


 冗談に聞こえないんだよ、この人が言うと。昨日、部屋の窓の場所まで確認していったし。


 先輩はようやく腕を離して、ゆっくり体を起こした。ベッドの上にちょこんと座って、寝ぐせのついた髪を手ぐしで整えながら、こともなげに言う。


「朝、インターホンを押したらね、お母さんが出てきてくれたの。『朔也くんの同級生の、久遠寺紗月です。朔也くんを起こしに来ました』って言ったら、すごくびっくりしてた」


 そりゃびっくりするだろう。


「それから、『あの子のところに、葵ちゃん以外の女の子が来るなんて』って。『あの子、友達も少ないから、仲良くしてあげてね』って、すごくうれしそうだったよ」


 母さん。余計なことを。


「それで、お部屋まで案内してくれたの。いいお母さんだね」


 先輩はにこにこと満足そうに笑った。昨日の「お母さんにご挨拶しなきゃね」は、こういうことだったのか。行動が早すぎるだろ、いくらなんでも。


「……それで。起こしに来たのに、なんで寝てたんですか」


「だって」


 先輩は、ほんの少しだけ口をとがらせた。


「朔也くんの寝顔、すっごくかわいかったんだもん。起こすのがもったいなくて、しばらく見てたの。そしたら、いつの間にか、私も寝ちゃってた」


 いつもはしっかり者の先輩に、こんな抜けた一面があるなんて。学年一位で、礼儀正しくて、隙なんてなさそうな人なのに。


「あ、そうだ」


 先輩はスカートのポケットからスマホを取り出すと、画面をすいすい操作して、俺のほうに向けた。


「見て。かわいいでしょう?」


 画面いっぱいに、俺の寝顔が並んでいた。


 1枚じゃない。下にスクロールしても、まだ続く。口を半開きにしている俺、枕に顔をうずめている俺、なぜかピースみたいな形の手で寝ている俺。角度を変えて、距離を変えて、どれもしっかりピントが合っている。


「……何枚撮ったんですか、これ」


「えっとね、52枚」


「消してください」


「やだ」


 先輩はスマホを胸に抱えて、ふるふると首を振った。


「全部、大事に保存するの」


 いつものやわらかい笑顔のままだ。それなのに、なぜか一枚も消してもらえる気がしなかった。


 そのときだった。


 階段を上がってくる、聞き慣れた足音がした。


「朔也ー? 起きてるー?」


 まずい。この声は。


「新学期二日目から遅刻とか、ほんとにやめてよね。榊先生に迷惑かかるし、昨日、自己紹介で『朔也の面倒は私が見ます』って言っちゃったんだから――」


 止める間もなかった。


 がちゃり、と部屋の扉が開いた。


 葵が、立っていた。


 カバンを肩にかけて、いつもどおりあきれたような顔で。その顔のまま、ベッドの上の光景を見て、ぴしっと固まった。


 寝ぐせのついた俺。


 その隣で、制服姿のままベッドにちょこんと座っている先輩。


「…………」


 葵の口が、ぱくぱくと動いた。声が出ていない。


 それから、みるみるうちに顔が赤くなっていった。耳まで、首まで、真っ赤に。


「な、な、な……」


「お、おはよう、葵」


「なんで久遠寺先輩が、朔也のベッドにいるの!?」


 ほとんど悲鳴だった。


「おはよう、七瀬さん」


 先輩は、まるで自分の部屋にいるみたいに、のんびりと手を振った。


「お、おはようございます……じゃなくて! 先輩、なんでここに……!」


「朔也くんを起こしに来たの」


「起こしに……?」


 葵は、ぽかんと口を開けた。それから、もう一度ベッドの上をまじまじと見て、眉をぎゅっと寄せる。


「起こしに来た人が、なんで朔也と一緒にベッドにいるんですか!?」


「布団の上だ。中には入ってない」


「そういう問題じゃないでしょ!」


 俺のフォローは、一瞬で切り捨てられた。


「朔也くんの寝顔を見てたら、いつの間にか寝ちゃってたの」


「い、意味がわからないです……!」


 葵は扉の枠をぎゅっとつかんだまま、俺と先輩を何度も見比べている。完全にパニックだ。いつもの落ち着いた世話焼きの面影は、どこにもない。


 それから、ちらっと俺のほうを見て、声を小さくした。


「……朔也。久遠寺先輩と、その、つ、付き合ってるわけじゃ、ないんだよね……?」


「ないって」


「……そ、そっか」


 葵は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。それから、はっとしたように顔を上げる。


「べ、別に気にしてないから! 朝から変なもの見せられて、びっくりしただけだから!」


 真っ赤な顔のまま、早口でまくしたてた。そんなに必死にならなくても。


 よくわからないけど、まあ、朝から心臓に悪いものを見せてしまったのは悪かったと思う。相変わらず、根は真面目なやつだ。


 すると、先輩がベッドに座ったまま、葵のほうへ顔を向けた。


「ねえ、七瀬さん」


「……はい」


「七瀬さんって、どのくらいの頻度で朔也くんを起こしに来てるの?」


 声はやわらかかった。でも、なんとなく、ただの世間話には聞こえなかった。


 葵は、少しだけ考えるように視線を上に向けた。


「えっと……今は、週に2、3回くらいですかね。去年は部活が忙しかったから、週1回のときもありましたけど」


 それから、どこか得意げに付け足した。


「小学校から中学までは、毎日でした。今年はもう部活もないので、また毎日でも来れますけど」


 そこまで言って、葵はほんのり頬を赤くした。


「あ、いや、別に、来たいとかじゃなくて。おばさんに頼まれてるから、仕方なくっていうか」


 母さん、そこまで頼んでたのか。葵には、昔から本当に頭が上がらない。


 ゆっくりと、先輩がこっちを向いた。


「朔也くん」


「……はい」


「昨日、七瀬さんが起こしに来るのは、週1回程と言ってなかった?」


 顔はいつもどおり笑っている。なのに、先輩の周りだけ、部屋の温度が一気に下がった気がした。


「えぇ……そう、ですね……」


 謎の圧に押されて、言葉がうまく出てこない。


「小学校から中学まで、毎日なんだ」


「……昔の話です」


「今年から、また毎日になるかもしれないんだ」


「……どう、なんでしょうね。さあ……」


 先輩は、しばらく黙って俺を見ていた。それから、ふっと葵のほうへ向き直る。


「決めた。明日から、朔也くんは私が毎日起こしに来るね」


「え!?」


「だから七瀬さんは、もう起こしに来なくて大丈夫だよ」


 にっこりと、完璧な笑顔だった。


 葵の眉が、ぴくりと動いた。


 さっきまでの慌てぶりが嘘みたいに、葵はすっと背筋を伸ばして、先輩をまっすぐ見返した。


「……それは、お断りします」


 はっきりした声だった。


「私が朔也を起こすのは、小学生のころからずっとなんです。もう、習慣みたいなものなので。いきなり来た人に『もう来なくていい』って言われて、はいわかりました、って素直には聞けません」


 葵が、先輩に言い返した。


 いつも人当たりのいい葵が、こんなふうにはっきり言うのを見るのは、たぶん初めてだ。


「それに」


 葵はちらっとベッドの上の先輩を見て、続けた。


「久遠寺先輩、起こしに来たって言ってましたけど。朔也と一緒に寝てましたよね? それ、起こしに来た意味、ないですよね」


「…………」


 先輩の笑顔が、ぴたりと止まった。


 ぐうの音も出ないほどの正論だった。


 葵は小さく息をついて、カバンの持ち手をぎゅっと握りなおした。


「……朔也を起こすのは、私の役目なので」


 最後のひとことだけ、少し声が小さかった。


 葵って、そこまで世話を焼くのが好きだったっけ。そういえば昔から、俺の朝だけは妙にきっちり面倒を見てくれていた気がする。母さんへの義理堅さも、ここまで来ると立派だ。


 先輩は何か言い返そうと口を開いて、閉じて、もう一度開いた。


「……それは、朔也くんの寝顔がかわいすぎたのが、いけないの」


「俺のせいですか」


「朔也くんのせいだよ」


 先輩はほほをぷくっと膨らませて、ふいっと横を向いた。どうやら、言い負かされたのが相当くやしいらしい。


 それから、横を向いたまま、ちらりと葵のほうを見た。


 目を細めて、じっと。さっきまでとは違う、何かを確かめるような目だった。


「……ふうん」


 小さく、それだけつぶやく。


 その視線に気づいたのか、葵はくるりと俺のほうに向き直った。


「でも、私、まだ納得してないからね。久遠寺先輩ひとりに任せるなんて信用できないし。私も起こしに来るから」


 そう言って、葵は腕を組んだ。


 先輩は先輩で、ふくれっ面のまま、一歩も引く気がなさそうな顔をしている。


 二人のあいだで、見えない火花が散っている気がした。朝の、俺の部屋で。


 なんで朝からこんなことになってるんだ。


 そう思いながら、なんとなく枕元のスマホに目をやって――俺は、固まった。


 8時5分。


「……おい。二人とも、時間」


「え?」

「時間?」


「8時5分!このままだと、遅刻する」


 葵と先輩が、そろってこっちを見た。


 二人とも、目をまんまるにしている。


「……朔也が、時間気にしてる」


「朔也くんが、遅刻の心配してる……」


 なんで二人して、珍しい動物を見るような目で俺を見るんだ。いや、気持ちはわかるけど。遅刻常習犯の俺が、自分から時計を気にする日が来るなんて、俺が一番びっくりしている。


 でも、さすがに今日だけは遅刻できない。二日目から遅刻したら、榊先生に何を言われるかわからないし、葵の面目も丸つぶれだ。


「いいから、二人とも部屋から出てくれ。着替えるから」


「朔也くんのお着替え、手伝ってあげようか? 一人でできる?」


 先輩が、首をかしげてにこっと笑った。


「一人でできます! 早く出てください!」


「わ、私はもう出るから!」


 葵が先輩の腕を引っぱって、二人まとめて部屋から追い出した。扉が閉まる直前まで、先輩は楽しそうに手を振っていた。


 俺は大急ぎで制服に手を伸ばした。



 それから先は、ほとんど記憶がない。


 とにかく急いで支度をして、三人そろって家を飛び出して、学校までの道をほぼ全力で走った。


 校門をくぐったのと、予鈴が鳴ったのは、ほぼ同時だった。


 ぎりぎり、セーフ。


 息を切らしながら、俺は思った。


 30分も早く目が覚めたのに、結局いつも通り遅刻しかけている。

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