3話:席替え
教壇に立った先生は、出席簿で自分の肩をとんとん叩きながら、だるそうに教室を見回した。
「えー、榊真琴。日本史担当で、お前らの担任。……まあ、これから一年よろしく。以上」
それだけ言って、大きなあくびをした。
去年もこんな感じの自己紹介だった気がする。
「先生ー、自己紹介短すぎません?」
前の男子たちがすかさずツッコむと、あちこちから「たしかに」「もっとなんかないの」と声が続いた。先生は心底めんどくさそうに頭をかいて、教卓に片肘をつく。
「あーもう、わかったわかった。なら、なんでもいいから質問してこい。答えてやる」
榊先生が質問対応をすると言ったと同時に、俺の隣の席のやつが立ち上がった。
「はいはーい! 先生って、いま彼氏いるんですか?」
おい、初手でそんなこと聞くか.....
「はぁん!?」
先生の顔つきが、一瞬で変わった。さっきまでの眠そうな目はどこへやら、完全に鬼の顔だ。
「てめぇ、いまなんつった!? あぁん!?」
目の下のクマのせいで、にらんだときの迫力がとんでもないことになっている。質問したほうもようやく自分が地雷を踏み抜いたことに気づいたらしく、顔がみるみる青くなっていった。
「あっ、ど、どうもすみませんでしたっ!」
叫ぶように謝って、そいつはそそくさと椅子に座った。教室がしんとなる。
「……私に、交際に関する質問をしてくるんじゃねえ」
先生は低い声でそう言ったあと、なぜか窓の外のほうを見ながらぶつぶつ言い始めた。
「最近も大学の同級生が結婚しやがってさ、ほんとイライラすんだよ……。社会人になりたてのころは『結婚なんかしないでバリキャリ目指す』とか青くさい目で語ってて、『私たち一生独身でいこうね』ってみんなで誓い合ったってのに……。それが毎年ひとりずつ抜けてって、気づいたらあのときのメンツ、もう三人しか残ってねえじゃねえか。しかもそのうち二人は彼氏いるし。おひとり様、私だけじゃねえかよ……」
誰に話してるんだろう、これ。少なくとも俺たちに向けた話じゃないのは確かだ。
要するに、周りの友達がどんどん結婚していって、先生だけが取り残されてるってことらしい。
「……んんっ。ほかに質問あるやつー」
我に返った先生が咳払いをして聞いたけど、もちろん誰も手なんか挙げなかった。
俺は窓の外に目をやりながら、今年もこの人が担任なのかと、ぼんやり思った。
「で、さっそくだけどな」
先生が、黒板に貼ってある座席表に目をやって、眉間にしわを寄せた。
「……なんだこの座席。男子と女子で真っ二つじゃねえか」
言われてみればそのとおりで、出席番号順に並べたせいで、教室の左半分は男子、右半分は女子ときれいに分かれている。先生は座席表をべりっと剥がすと、くしゃくしゃに丸めて教卓の横に放った。
「よし、席替えするぞ」
「えっ、もうですか?」
「新学年早々だけどな。お前らもこんな席、つまんねえだろ」
さっきまであれだけ不機嫌だったのに、もう楽しそうな顔をしている。去年もこの人が担任だったけど、自分の気分で何でも決めるから、今年もこの調子だろうな。
先生は教室の左半分――つまり男子のほうを、じろりと見渡した。
そして、教卓をバンッと叩いた。
「特に男子どもッ! 隣に座ってんのが、女子のことしか頭にねえ思春期まっただ中の野郎だぞ? そんなむさ苦しいやつの隣で、一年間がんばれんのか?」
「む、無理っす!」
「がんばれません!」
「だろ? ここは共学なんだから、異性とも交流しねえといけないよなぁ!」
先生はにやっと口の端を上げて、続けた。
「それにな、お前らももう二年だ。好きなやつくらい、いるだろ? せっかくだし、そいつの隣になれるチャンスくらいはくれてやるよ」
一瞬、教室が静かになって、それから男子のほうから爆発みたいな歓声が上がった。「先生最高!」「一生ついていきます!」とか、もう言いたい放題だ。何人か、明らかに特定の誰かのほうをちらちら見ているやつもいる。
で、右半分の女子たちはというと、ものすごく冷めた目でそれを見ていた。
「先生、それ女子の気持ちは無視ですか」
「もちろん無視だ」
一秒も迷わなかった。女子のほうから「えー!」とブーイングが飛んだけど、先生は払い除けた。
「文句言うな。お前らだって女子同士で隣にしたら、授業中ずーっとしゃべってんだろ。……あー、まあ、それは男子も一緒か」
自分で言って、自分で勝手に納得している。
「とにかくだ。こんなつまんねえ席より、せっかくなんだから席替えするぞ。異論は認めん」
女子たちは全員そろって不満そうな顔をしていたけど、この人に正面から逆らえるやつなんて、この教室にはいない。
「くじで決める。男女交互で、二人ずつのペア席な」
先生は教卓の引き出しから箱を取り出した。どう見ても、最初から用意してあったやつだ。
「あと、今回は特別ルールをつける。引いた席の交換も自由だ。持ち主同士が納得したら、交換成立。文句なしな」
それを聞いた男子の何人かの目が、ぎらっと光った。
くじ引き自体は、思ったよりあっさり終わった。
俺が引いたのは、窓側の列の、一番後ろからひとつ前。窓の外を眺めてぼーっとするにはちょうどいい場所で、正直ちょっとガッツポーズしかけた。
カバンを持って移動すると、ちょうど前の席に葵が座るところだった。
「あ、朔也。後ろなんだ」
「みたいだな」
「ふーん。まあ、よろしく。授業中に寝てたら、起こすからね」
「寝ねえって」
「去年、榊先生に『椎名はいつ見ても寝てる』って言われてたの、知ってるんだから」
なんで別のクラスだった葵がそれを知ってるんだよ。
葵の隣の席には、拓海がいた。くじの紙を両手で握りしめて、天井を見上げて「神様……」とかつぶやいている。朝、先輩に席を取られたぶんの運が、まとめて戻ってきたのかもしれない。
一方、教室の反対側で男子たちがざわついた。
「うわ、高橋かよ!」
「久遠寺先輩の隣とか、ずりぃって!」
見ると、くじを持ったまま照れくさそうに頭をかいているやつがいた。高橋だ。バスケ部のエースで、顔もそこそこいい。去年の球技大会で、女子の歓声をほぼ一人で持っていってたのを覚えている。
先輩は、ちょうど自分の席にカバンを置いたところだった。高橋はその横に立つと、さわやかに笑って頭を下げた。
「久遠寺先輩。……あ、もう同級生か。一年間、よろしくお願いしま――」
先輩は、高橋のほうを見ていなかった。
挨拶が終わるのも待たないで、すっと歩き出す。高橋の横をすり抜けて、教室の真ん中を横切って、まっすぐこっちに向かってくる。高橋は頭を下げかけた姿勢のまま、笑顔ごと固まっていた。
先輩は俺の机の横で立ち止まると、隣の空いている席を指でとんとんと叩いた。
「ねえ、この席って誰の席かな?」
「その席は、私だわ」
教室の後ろのほうから、やけに野太い声が返ってきた。
振り返ると、カバンを小脇に抱えた生徒が、どすどすと床を鳴らしながらこっちへ向かってくる。
でかい。とにかく、でかい。
肩幅は俺の倍くらいありそうだし、顔つきは力士顔負けのいかつさだ。眉は太く、あごはがっしりしていて、制服のスカートを履いていなければ、正直、女子だとは思わなかったと思う。
いわゆるぽっちゃり系、なんて言葉でごまかせるレベルじゃない。はっきり言って、ただのデブだ。
それなのに、口調だけはなぜか、どこかのお嬢様みたいに上品だった。脳がちょっと処理に困る。
「それで、私の席がどうかしたのかしら?」
先輩はその女子のほうに向き直って、にっこり笑った。
「よかったら、席、交換してくれないかな?」
「交換? 久遠寺先輩の席って……」
その女子の目が、教室の反対側に向いた。そこにはまだ、中途半端な笑顔のまま突っ立っている高橋がいる。
「いいわよ。だって高橋くんの隣でしょう? 私、それなら一年間がんばれそうだわ!」
その女子は目を輝せながら、満面の笑みで返答をした。
返事即答だろう。イケメン相手だと、反応違うと思うと、いくら可愛くない女子でも少しはショックだ。
二人は、それぞれ手に持っていた座席番号の紙を差し出すと、満面の笑みで交換した。
その女子はカバンを抱え直すと、意気揚々と教室の反対側へ歩いていった。先輩も、自分のカバンを取りに戻っていく。高橋の横を、もう一回すり抜けて。今度も、そっちには目もくれなかった。
「……え?」
高橋が、ようやく声を出した。
「え、ちょっと、待っ……」
その目の前の椅子に、さっきの女子が、椅子がきしむ勢いでどすんと座った。
「高橋くん、一年間よろしくお願いするわね」
高橋は、しばらく口を半開きにしたまま固まっていた。それから、はっと我に返ったように教卓のほうへ向き直る。
「ちょ、先生! これアリなんすか!? 俺の意見は!?」
先生は教卓に頬杖をついたまま、つまらなそうに答えた。
「持ち主同士が納得したら成立って言ったろ。お前の席は動いてねえよ。動いたのは隣だ」
「いや、でも……!」
「文句あるか?」
「…………ないです」
消えそうな声だった。
「はい成立。移動しろー」
高橋からしたら、理不尽な話だ。でも、ルールの上ではなにひとつ間違っていない。先生の言うとおりだ。
前の席の拓海が、ゆっくり振り返った。ただ、見ているのは俺じゃなくて、教室の反対側だ。
「……おいおい、マジかよ。よりにもよって、あの森下かよ」
あの女子、森下っていうのか。
拓海は高橋のほうを見たまま、しみじみとうなずいた。
「久遠寺先輩の隣から、一瞬で森下の隣だぞ。天国から地獄って、ああいうのを言うんだな。かわいそうに」
そう言いながら、拓海の口の端は、明らかに上がっていた。
「……お前、笑ってない?」
「いやー、だってさ。あいつ、イケメンでモテるじゃん? 去年なんか、球技大会のあと告白されまくってたらしいし」
拓海は、にやりといたずらっぽく笑った。
「だから正直、ちょっとスッキリした」
ひどいやつだ。まあ、気持ちはわからなくもないけど。
カバンを持って戻ってきた先輩が、俺の隣に座った。
カバンを机の横にかけて、それからこっちを向くと、ぱっと顔を輝かせた。
「朔也くん! 隣の席になれたね! よろしくね!」
その顔でそれを言うのは、反則だと思う。
隣になれて嬉しいかって聞かれたら、そりゃ嬉しい。というか、本音を言えばテンションはめちゃくちゃ上がっている。こんな綺麗な人が、明日から毎日隣の席にいるんだぞ。嬉しくないわけがない。
ただ、それを顔に出せるかどうかは、また全然別の話で。ここで素直に喜んだりしたら、クラスのやつらに何を言われるかわかったもんじゃない。
ちらっと前を見ると、葵が一瞬だけこっちを振り返りかけて、すぐに前を向いた。
「……よろしく、お願いします」
結局、そう返すのが精一杯だった。
それでも先輩は満足そうに笑って、そのまま椅子ごと、ずいっとこっちに寄ってきた。
いや、近い。近いって。机をくっつけるとか、そういうレベルじゃない。肩がほとんど当たってるし、ふわりと、先輩の髪から甘い匂いがした。
「ふふ。これから毎日、隣にいられるね」
満面の笑みでそう言われて、耳がまた熱くなってきた。俺は何も言わずに、窓の外に目をそらした。
「……お前さ。今の、全部見てたけど」
拓海が振り返って、じとっとした目でこっちを見てくる。
「高橋の次に恨まれるの、たぶんお前だぞ」
「勝手にしてくれ」
教室の反対側では、森下さんがさっそく高橋に向かって、なにやら上品な口調でしゃべり続けていた。
それを眺めているうちに、ふと気づいた。
もし先輩がこっちに来ていなかったら、あの野太い声で一年間話しかけられ続けていたのは、高橋じゃなくて俺だったんだよな。
……想像しただけで、背筋がひやっとした。
二年三組、初日。まだ一時間目も始まってないのに、俺の新しい席は、どうやらこのクラスで一番騒がしい場所になりそうだった。




