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【完結保証】まだ誰も知らない物語の終わらせ方 ~おとぎ話の試練を全部クリアした私たちの、その後~  作者: ごまだんご
碧の書 『もう一度、おとぎ話の扉が開く』

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碧 第5話 狼の影

 レンガの家の少女の小さな背中を追って、三人は木の家の前に戻ってきた。板戸はもう開いていて、戸口に立った木の家の少女は、さっきまでのお喋りが嘘のように口を結び、妹と三人の顔を順に見比べる。


「準備は、できてる?」


 すずなは頷いた。


「はい。何が起きても、動けるようにしてきました」


 木の家の少女はそれ以上何も言わず、ちらりと妹を見た。レンガの家の少女は木の家の前に立ち、腕を組んだまま三人に向き直る。


「これから、この家を狼から守ってもらう」

「狼、というのは」


 紬が尋ねると、レンガの家の少女は答える代わりに空を見上げた。


「見れば分かる」


 その言葉を合図にしたように、景色がわずかに歪んだ。虹色だった空から色が抜け、淡い紫から灰へ、灰から鉛のような暗さへと沈んでいく。宙に浮かんでいた建物の断片も、薄闇の中に溶けて見えなくなった。


「来ます」


 すずなが剣の柄に手をかけた時には、地平線の向こうに黒いものが滲み出していた。


 一つ、二つではない。染みが広がるように次々と湧き上がり、やがて四つ足の獣の形を取っていく。狼の姿をしていながら、その体は墨を流したような影でできていて、輪郭が絶えずゆらゆらと揺らめいていた。目も牙も見えないのに、すべての影がまっすぐこちらを向いているのが分かる。草を踏む音すら立てずに、影の群れが一斉に駆け出した。


「こんなに……」


 心春が息を呑む。


「守るのは、この家だけです。家の周りを三人で囲みましょう」


 すずなの声に、紬と心春がすぐさま左右へ散った。


「フィン、バーニル、バザルト。お願いします!」


 心春の呼びかけに、三つの気配が応える。透き通った翼を広げた風の精霊、橙の火をまとう精霊、そして岩のような重みを持つ土の精霊。三体が心春の周りに並び立つ。


「先輩、右をお願いします」

「はい。左は紬さんに」


 紬が魔銃を構え、引き金を引いた。乾いた銃声とともに、先頭の影が水に落とした墨のように弾けて散る。すずなも右手の群れへ踏み込んで剣を振るい、手のひらに火を灯しかけたところで、それを握り潰した。背後にあるのは、板を打ちつけただけの木の家だ。火の粉一つで、何もかもが終わってしまう。


 すずなは代わりに、迫る影の足元へ意識を向けた。時の流れをほんの少しだけ緩めると、影たちの動きが水の中のように鈍り、その隙に剣が届く。


 けれど斬っても撃っても、影は減らなかった。一体を散らせばその後ろから二体が湧き、地平線の染みはいつまでも途切れずに、黒い波となって押し寄せてくる。


「三十八、三十九、四十……」


 引き金を引きながら、紬が呟いている。


「紬さん、数えてるんですか」

「数えてないと、心が折れそうで。……四十五。あ、やっぱりやめます。余計に折れそうです」


 軽口を叩く紬の額から、汗が顎へと伝い落ちた。銃を握る指が、かすかに震えている。


 すずなは息を整え、木の家を振り返った。板の隙間から覗く木の家の少女が、両手で胸に抱えているのは、一つしかないと言っていたあのカップだった。


「全部倒す必要はありません! 家に近づけないことだけ考えましょう!」


 すずなの声に、紬と心春の動きが変わった。追いかけて倒すのをやめ、家を中心に円を描くように立ち位置を詰めていく。


「フィン、風の壁を!」


 心春の声に応え、フィンが家のすぐそばで大きく翼を広げた。渦巻く風が幾重にも重なって壁となり、飛びかかった影たちが次々と押し戻されていく。


 みしり、と嫌な音がした。


「あ……」


 紬が声を漏らす。風の壁の余波が木の家の板壁を内側へたわませ、継ぎ目の隙間をさっきより押し広げていた。板の向こうで木の家の少女が身をすくめ、少し離れた場所に立つレンガの家の少女の、組んだ腕にぎゅっと力がこもる。


「フィン、離れて! 家から、もっと遠くに!」


 心春が叫ぶ。


『分かった。でも、そうすると壁が薄くなるよ』


 頭の中に、フィンの声が響いた。心春は唇を噛み、それでも頷く。


「いいんです。家が壊れたら、意味がないので」


 フィンが家から距離を取り、そのぶん風の壁を外側へ大きく広げる。だが壁が薄くなった一瞬の隙を突いて、影の一群が風をすり抜け、精霊に指示を出していた心春へと飛びかかった。


「心春さん!」


 紬の銃口が火を噴いた。一発、二発、三発。心春の目の前まで迫っていた影が、立て続けに弾けて散る。心春は双剣を半ばまで抜いたまま、詰めていた息を吐き出した。


「ありがとうございます、紬さん」

「どういたしまして、です。でも、次はもっと早く呼んでください」


 紬は笑ってみせたが、その声はかすれていた。


「家の近くじゃ、強い力は使えませんね」


 すずなが肩で息をしながら呟く。呼吸はとうに乱れていた。


「バザルト、お願いします。家から離れたところで、地面を」


 心春の声に応え、バザルトがずしりと一歩前へ出た。両の拳が地面を打つと、家から十分に離れた場所で大地が低く唸り、灰色の岩壁が次々と突き上がる。正面から突っ込んできた影たちが岩に阻まれて足を止め、足の裏から伝わるその地鳴りが、なぜか、すずなの指先にまでじんと響いた。


「バーニル、岩の向こうだけです。家には絶対、近づけないでください」


 バーニルが岩壁の上へ舞い上がり、橙の炎を弧を描くように放った。炎は岩の向こう側だけを舐め、足止めされた影の群れをまとめて焼き払っていく。火の粉は一つも、こちらへは飛んでこない。


 すずなは岩壁の切れ目から回り込もうとする影へ、時の流れを歪めた。まっすぐ家へ向かっていた影の軌道が、見えない手に押されたように逸れ、岩壁へと吸い込まれていく。けれど魔力を使うたびに視界の端がじわりと揺らぎ、腕も足も鉛のように重くなっていった。紬の銃声の間隔が少しずつ空き、心春の指示の声もかすれ始めている。それでも、三人とも足を止めなかった。


「あと少しです!」


 根拠などなかったが、すずなはそう叫んでいた。


 どれほど時間が経ったのか分からなくなった頃、ふと気づくと、地平線の染みが途切れていた。最後の数体が岩壁の前で揺らめき、風に吹かれた煙のように、ふっとかき消える。それを追うように、空にも色が戻り始めた。


「終わった……?」


 紬が銃を下ろし、その場に膝をつきそうになる。心春が精霊たちを還し、大きく肩で息をついた。


 振り返ったすずなの目に映った木の家は、板壁に風でたわんだ跡を残し、継ぎ目の隙間も少し広がったまま、それでも倒れずにそこに建っていた。板戸が開き、木の家の少女が、まだあのカップを胸に抱えたまま駆け出してくる。


「すごい。ほんとに、守っちゃった」


 少女は三人の顔を見回し、それから自分の家を振り返った。たわんだ壁、広がった隙間。それを一つずつ確かめるように眺めて、ふっと笑う。


「ちょっと隙間風が増えたけど。まあ、いいわ」

「すみません。フィンの風で」

「いいって言ってるでしょう。倒れてないもの」


 心春が頭を下げると、少女はカップを抱えたまま首を振った。


 その横を、レンガの家の少女が無言で通り過ぎた。たわんだ板壁の前で足を止め、浮き上がった一枚に両手を当てて、小さな体重をぐっとかける。板は軋んだ音を立てて、元の位置に収まった。木の家の少女が、目を丸くして妹を見つめる。


「あら。顔、見せに来てくれたの」

「試練だから……」


 妹は姉の方を見ないまま、次の一枚に手を当てた。その輪郭と姉の輪郭が、同時に、ざらりと揺れる。木の家の少女はカップを胸に抱え直し、それ以上は何も言わずに口元を緩めた。


 最後の板を押し込み終えると、レンガの家の少女は手の埃を払い、三人に向き直った。


「これで、一つ目は越えたんですか」


 すずなが尋ねると、少女は短く頷いた。


「うん」


 それから流した視線の先には、藁の家があった。


「次は、もっと多い」


 三人も、少女の見ている方へ目を向ける。藁の家の戸口から、姉が顔を覗かせていた。三人に気づくと、ぱっと顔を輝かせて大きく手を振ってくる。


 風が吹くたびにたわむ藁の壁の前で、少女はいつまでも手を振り続けていた。


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