碧 第4話 三姉妹
風が止むと、少女の輪郭も元に戻った。
藁の壁は何事もなかったようにまっすぐ立ち直り、屋根の藁がひと房、足元にぱさりと落ちる。少女はそれを拾い上げ、慣れた手つきで壁の隙間に差し込んだ。
「妹たちにも、会っていく?」
「はい。お邪魔でなければ」
すずなが答えると、少女は藁の戸に手をかけたまま、隣の家を見やった。
「真ん中の子はね、お話が好きだよ。いちばん下の子は、ちょっと怖いけど」
「怖い、ですか」
「ううん。怖くないの。怖い顔をしてるだけ」
少女はくすくすと笑い、手を振って戸を閉めた。閉まる直前、その輪郭がもう一度だけ、ざらりと揺れた。
木の家は、近くで見ると藁の家よりはいくらかしっかりしていた。打ちつけられた板は厚みもまちまちで、継ぎ目の隙間からは中の灯りが細く漏れている。それでも風が吹いても、藁の家のようにたわむことはなく、戸口の脇には薪が几帳面に積み上げられていた。
「こっちにも、誰かいるみたいですね」
紬が板戸を軽く叩いた。間を置かずに戸が開き、少女が顔を出す。
栗色の髪は、藁の家の少女とよく似ていた。けれど纏っているのは深い緑のワンピースで、裾には木の葉を模した飾りが幾重にも重なっている。背丈も、姉より指一本分ほど低い。
「あら、お客さん。珍しい。三人も」
少女は戸口に寄りかかり、三人を順に眺めた。
「姉さんのところにも、行ったの? 姉さん、また家を直してたでしょう。あの人、飛ばされても飛ばされても同じ藁で建てるのよ。少しは木にしたらって、何回言っても聞かないの」
「はい。藁を、壁に」
心春が答える間に、少女はもう次の言葉を継いでいた。
「でしょうね。元気だった? また変な笑い方してなかった?」
「とても元気でした。笑い方は、その、普通だったと思います」
紬の答えに、少女は満足そうに目を細めた。呆れたような口ぶりの奥に、隠しきれない親しみが滲んでいる。
「あなたは、しっかりしてそうですね」
すずなが言うと、少女は少し得意げに胸を張った。
「まあね。わたしの家は、姉さんの家より丈夫だもの」
その言葉に応えるように、少女の輪郭がざらりと揺らいだ。姉と同じ砂粒のようなノイズに紬が思わず身を引きかけたが、少女は袖の埃でも払うように肩をすくめただけだった。
「気にしないで。うちはみんな、こうだから。それより、あなたたちは? 三人で来たのね。姉妹?」
「えっ」
紬が目を瞬かせた。
「姉妹では、ないです。先輩と、後輩で。それと」
「仲間です」
言葉を探す紬の横から、心春がにこりと付け加える。少女は三人の顔をもう一度見比べ、なぜか少しだけ羨ましそうに口元を緩めた。
「そう。いいわね、三人一緒で」
「あなたたちも、三人ですよね」
すずなが言うと、少女はこくりと頷いた。
「姉さんと妹と、三人で。ずっとね」
言葉も頷き方も、姉とまるで同じ答えだった。すずなが隣の紬と心春に目をやると、二人も同じことを感じたのか、黙って視線を返してきた。
「怖くは、ないんですか。ずっとここにいて」
心春がそっと尋ねる。あれほどよく喋っていた少女が、初めて言葉に詰まった。首を傾げ、しばらく天井の梁を見上げている。
「怖い、っていうより」
少女の声が、少しだけ細くなった。
「何のためにここにいるのか、よく分からないの」
三人は言葉を返せなかった。板の隙間から吹き込んだ風が、少女の裾の木の葉をかさりと揺らす。
「お茶でも、って言いたいところだけど。うち、カップが一つしかないのよ。誰も来ないから」
少女はいつもの調子に戻ったように肩をすくめ、一番奥の家へ目を向けた。
「妹なら、知ってるかも。あの子、わたしたちの中でいちばんしっかりしてるから。行くなら、伝えておいて。たまには顔を見せなさいって」
「伝えます」
すずなが頷くと、少女はひらひらと手を振って戸を閉めた。
レンガの家は、近づくほどに重たく見えた。赤茶色のレンガが隙間なく積み上げられ、その表面にはうっすらと苔が這っている。窓には鉄の格子がはめられ、扉にも鉄の補強がいくつも打ちつけられていた。藁の家と木の家を見てきた後では、ここだけが別の物語から運ばれてきたようにさえ思える。
「ここが、最後ですね」
すずなは扉の前に立ち、拳で二度叩いた。木の家とは違い、すぐには返事がない。三人が顔を見合わせかけたところで、閂の外れる重い音がして、扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうから、三姉妹の中でいちばん小柄な少女が姿を現した。赤褐色のワンピースの裾には、レンガを模した幾何学模様が並んでいる。姉たちと同じ栗色の髪を、きっちりと後ろで一つに束ねていた。幼い顔立ちなのに、切れ長の瞳だけが妙に大人びている。その目が、すずな、紬、心春と、一人ずつ順番に止まっていった。
「姉さんたちのところに来た人?」
「はい。お姉さんたちに、お話を伺ってきました」
すずなが答えると、少女はもう一度三人を見回した。紬が背筋を伸ばし、それから心春の袖を引いて声を潜める。
「一番下の子が、一番怖いですね」
「聞こえてる」
少女が表情一つ変えずに言い、紬がぴしりと固まった。心春が口元を押さえて顔を背ける。
「あ、あの、すみません。怖いっていうのは、しっかりしてるって意味で」
「それも聞こえてる」
少女は短く息をつき、扉を大きく開けた。
「入って。立ち話は好きじゃない」
家の中は、外観に負けないほどしっかりとした造りだった。石組みの暖炉に分厚い一枚板のテーブルが据えられ、棚には揃いのカップが三つ、きちんと間隔を空けて並び、床には塵一つない。藁の家のがらんとした部屋とは、何もかもが違う。テーブルの周りにも椅子が三つ置かれていたが、どれも同じ形で、どれにも使われた跡がなかった。
少女は三人に構わず棚の前に立ち、取っ手がどれも同じ角度を向くように、並んだカップの向きを指先で一つずつ揃えていった。
「真ん中のお姉さんから、伝言です。たまには顔を見せなさい、って」
すずなが言うと、カップに触れていた少女の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「そう……」
それきり伝言には触れず、少女は最後のカップを揃え終えてから、暖炉の前で三人に向き直った。
「あなたたち、この家に何かがあると思って来たんでしょう」
単刀直入な問いに、すずなは息を詰めた。隠す理由もない。
「はい。ここで何が起きているのか、知りたくて来ました」
「なら、教えてあげてもいい」
少女の瞳が、すっと細められた。
「でも、その前に。あなたたちに、それだけの覚悟があるかどうか。確かめさせてもらう」
すずなは一歩前に出た。
「確かめる、というのは」
「言葉の通り。わたしたちは、ただここで待ってるだけの案内役じゃない」
少女はそう言って、鉄格子のはまった窓の外へ目をやった。藁の家と木の家、姉たちの住む二軒の屋根が、虹色の空の下に並んでいる。
「ついてきて。真ん中の姉さんの家に行く」
少女は三人の返事を待たずに、扉の方へ歩き出した。テーブルの脇を通り過ぎる時、その指先が、誰も腰を下ろしたことのない三つの椅子の背を、ひとつずつ撫でていった。
少女は振り返らなかった。




