サフランの怪事件とマドンナの脳内サスペンス
1.聖域に残されたメッセージ
「……何よ、これ」
夕暮れの『サフラン』。お客の波が引き、静まり返った店内で、美緒はテーブルの上にぽつんと残された「それ」を凝視していた。
お洒落なセレクトショップのロゴが入った、こぎれいな紙袋。
ついさっきまで、そこで最新の週刊漫画雑誌を読み耽り、大盛りナポリタンを平らげていった男――翔の忘れ物である。
美緒はトレイを胸元にぎゅっと抱え、じりじりと紙袋に近づいた。
(翔、あんたって人は……! わざわざこんな所に『忘れ物』という古典的な手口を使って、私に次のコンタクトを強制させる気ね!?)
そこまでは、いつもの美緒の通常運転だった。
だが、美緒の視線が、紙袋の隙間からチラリと覗く「あるモノ」に留まった瞬間、彼女の脳内に大音量の警報が鳴り響いた。
(……待って。白い、レース……?)
それは、どう見ても男物のヨレたTシャツには存在しない、繊細な白いレースの端切れだった。しかも、その紙袋からは、昨日まではしなかった、どこか甘くて清潔な柔軟剤の香りがふわりと漂っている。
(な、ななな……何よこれーーーっっ!?!? レース!? 洗濯してある!? もしかして……他の女への貢ぎ物(ラブレター付き)を、間違えて私に返しにきたってコト!?)
2. マドンナの大暴走(脳内サスペンス劇場)
ゴトッ、とトレイが派手な音を立ててテーブルに激突した。美緒の脳内コンピューターは、1秒間に2万回ものウソの計算結果を弾き出し、最悪のシナリオを構築していく。
(そうよ、あいつは繁華街の『クローバー』で夜な夜な蝶ネクタイを締めてシェーカーを振る、恐るべき無自覚プレデター。私がサフランで大人しく待っている間にも、あのきらびやかな街で他の女の子を『プロトタイプ』呼ばわりして翻弄しているに違いないわ!)
美緒はハァハァと荒い息をつきながら、紙袋を睨みつけた。
(これは私への挑戦状よ。『俺には他にもこんな可愛い女の子がいるんだぜ?』っていうトラップ……それとも何? ああの男、まさか私をさんざん焦らした挙句、豊満なボディの女に乗り換える気!? 私のこの、美しく研ぎ澄まされたAカップの芸術的なスレンダーさを裏切るっていうの……っ!? ああ、なんて冷酷非道で、もの凄くずるい男なの……!)
「……でも、ここで中身を見ないのはマドンナの名が廃るわ」
美緒は意を決し、華奢な指先を震わせながら紙袋の中へと手を伸ばした。
ラブレターが入っているなら、今ここで木っ端微塵に破り捨ててやる。
ガサゴソ。
美緒の指先が、その「白いレース」に触れ、一気に引っ張り出した。
「これ……っ、ホワイトデーの売れ残りとかじゃなくて……」
美緒の動きが止まった。
彼女の目の前に広がったのは、白いレースのついた、フリルたっぷりの――カフェエプロンだった。サフランのロゴが入った、見覚えがありすぎる、美緒自身の予備のエプロン。
そして、その下から出てきたのは……。
「……私の、サフランの制服?」
さらにその奥には、翔のヨレよれのTシャツと、ぐしゃぐしゃになったクローバーの白シャツが、これまた綺麗に洗濯された状態で収まっていた。
3. 宇宙人の帰還と、ノンシャランの理由
カランコロン。
「あ、美緒さん! すみません、さっきの紙袋、中身出しっぱなしで忘れませんでした!?」
絶妙なタイミングで、息を切らせた翔が店に飛び込んできた。彼は美緒が自分の紙袋から制服を引っ張り出しているのを見て、邪心ゼロの顔で「あ、よかった!」と破顔した。
「それそれ! 昨夜クローバーに忘れていったやつ。預かってたサフランの予備の制服と、俺のバイトの着替え、まとめてコインランドリーで洗濯して、乾燥機までかけといたんすよ」
「は、はあ!? なんであんたが勝手に私の制服を洗うのよ!?」
突然真っ赤になって詰め寄ってきた美緒に、翔は不思議そうに首を傾げ、理系脳全開のトーンで平然と言い放った。
「いや、コインランドリーの大型乾燥機って、7キロまで一律料金なんすよ。俺のTシャツとバイト着だけだと容量の20%しか使わなくて熱効率が勿体ないなと思って。美緒さんの制服も一緒にぶち込んで回せば、コストも時間も完全に最適化できるじゃないですか。ほら、美緒さんいつも忙しそうだから、手間が省けて一石二鳥かなって」
悪びれもせず、むしろ「効率的な良いことをした」と言わんばかりのノンシャランな笑顔。
美緒は、手元にある自分の制服と翔のTシャツが、全く同じ柔軟剤の甘い香りを放っていることに気づいた。同じ洗濯機で、同じ水で、一緒に洗われたのだ。
(いっ……一緒に、お洗濯……!?)
「ラブレター」や「浮気」の疑惑は一瞬で消し飛んだが、美緒の脳内は別のベクトルで大爆発を起こした。
(私の制服と、あいつのTシャツが、同じ水の中で、プライベートな絡み合いを成し遂げたっていうの……!? それって実質、もう同棲してるって言ってるのと同じじゃないのよぉぉぉーーーっっっ!?!?)
脳内が大パニックを起こし、真っ赤になったまま、制服を胸に抱きしめてぶるぶると震えだす美緒。
口を真一文字に結び、無言で怒りに震えている(ように見える)美緒のただならぬ気迫に、翔は「洗濯の仕方が気に入らなくてガチギレされた」と100%勘違いした。
翔は引きつった笑みを浮かべ、冷や汗をかきながら、そっと後ずさりして店を飛び出した。
「す、すみません! 次からは別々に洗いますんで!!」
(第8話・終わり)




