作戦への決意
ドリンクバーで粘ったファミレスを出て、夜風に当たりながら家へ向かう途中。
興奮が冷めやらない私は、スマホを握りしめたまま歩いている。
(……美緒先輩)
と、心の中で遠くにいる先輩に語りかける。
……今日の翔先輩のカクテル、やっぱり“伝説モード”でしたよね。
『Beyond the Horizon』。
ズレてもいない。狙いすぎてもいない。ただ、真っ直ぐで綺麗で、遥先輩の名前そのもの。
普段は天然で、恋愛に関しては壊滅的で、美緒先輩のあんなに分かりやすい好意にもこれっぽっちも気づかない“超弩級の鈍感男”。
なのに、時々だけ――人の心を刺しすぎる一杯を作る。
私、クローバーでバイトを始めた頃に先輩たちが話していた“翔先輩の伝説”を思い出してました。
「津島のカクテルは、たまに人の人生を変える」ってやつです。
半信半疑でしたけど、今ならわかります。
あれ、本当です。
しかも美緒先輩、私の脳裏に浮かぶ先輩の“伝説”って、ひとつじゃないんですよ。
──例えば、あの日。
◆◆◆
カウンターに座った女性客は、目の下に薄い影があった。
指先が震えていて、グラスを持つ手に力が入っていない。
(……泣いた後の目だ)
そう判断した俺は、甘すぎず、でも優しさの残る一杯を作った。
底に沈む赤は、まだ消えない痛み。その上の淡い青は、少しだけ冷静さを取り戻す色。
「……これ、なんて名前ですか?」
「“Last Tear”です」
女性は一口飲んで、ぽろりと涙を落とした。
「……ありがとう。これで、終われる気がします」
背中を見送りながら、俺は静かにグラスを拭いた。
◆◆◆
──ね? 失恋したお客様の背中を、そうやって綺麗に押したこともあったんです。
かと思えば、誰かの恋の、最初の一歩に火をつけることだってあります。
──また、ある日のことです。
◆◆◆
常連の男性客が、珍しく落ち着かない様子でカウンターに座った。
(……告白する気だな)
ネクタイをいじる癖、視線の泳ぎ方、呼吸の浅さ。全部が“緊張”を示していた。
俺は、勇気を後押しするための一杯を作った。柑橘の香りで背中を押し、強すぎないアルコールで心を温める。
「名前は……?」
「“First Step”です」
翌日、彼は満面の笑みで店に来た。
「翔くん! 成功したよ!」
「良かったですね」
それだけ言って、俺はまたグラスを磨いた。
◆◆◆
──あるいは、すれ違う二人の不器用な仲直りのきっかけを作ることだって。
◆◆◆
──雨の降る、夜でした。
カウンターに座った男性は、腕を組んでため息ばかりついていた。
(……喧嘩したな)
スマホを何度も確認する癖。既読がつかない画面を見て眉を寄せる表情。
俺は、“素直になれない男”のための一杯を作った。苦味のあるベースに、ほんの少しだけ甘さを足す。
「これ……なんて名前?」
「“Say Sorry”です」
男性は苦笑し、「……わかったよ」と呟いて店を出ていった。
数時間後、彼女らしき女性と一緒に戻ってきた。
「仲直りできました!」
「良かったです」
俺はまた、静かにグラスを拭いた。
◆◆◆
──本当に、バーテンダーとしては一級品なんですよね。……なのに。
美緒先輩、この美しい伝説には、もう一つの“恐ろしい系統”が存在するのを忘れてはいけません。
ズレすぎて人を殺すやつです。
──忘れもしない、あの日。
◆◆◆
「『マユミラブ』です」
初対面のお客様に向かって、俺は名前をそのままカクテル名にして差し出した。
(※ハーブの和名が“マユミ”、ベースがラム=RUM。LOVEではない。悪意ゼロ。)
女性客は真っ赤になり、俺に思い切り身体を寄せて迫ってきた。
俺は真顔で、ただ目の前の事実を告げた。
「別の場所では作れません。材料がないので」
◆◆◆
──はい、終了。恋の花火は一瞬で消え去りました。
あのお客様、完全に勘違いして射抜かれてましたよ。本人は1ミリも気づいてませんけど。
……ね、美緒先輩。これは大変ですよ。私たちのターゲット、あまりにも強敵すぎます。
夜道を歩きながら、私は小さくため息をついた。
今日の翔先輩は、間違いなくあの格好いい“伝説モード”だった。
でも――ふと思ったんです。
あの人の天然って、本当にただの“天然”なんだろうか。
ズレる時は致命的にズレるくせに、刺す時は、相手の心の奥まで正確に届く。
……もしかして翔先輩、美緒先輩の前でだけ、決定的な瞬間から逃げるために“わざと天然”やってたりしませんか?
まだ翔先輩の本心はわからない。わからないけれど、もし私のこの直感が当たっているなら――。
もしそうなら、あの無自覚そうな先輩、とんでもなくタチが悪いです。強敵なんてレベルじゃありません。
でも、だからこそ燃えますよね。
私は夜空を見上げて、不敵に小さく笑った。
「――よし。作戦、始めましょう」




