荒野の可憐な花
香織の運転するセダン車に揺られること約1時間。
美緒が淡く抱いていた「おしゃれなカフェ」や「海沿いのロマンチックなスポット」という淡い期待は、車が停まった瞬間に完全に消え去った。
「さあ、着いたよ! ここ、最高のロケーションなんだ」
翔が意気揚々とドアを開けて降りた場所は、お世辞にもデートスポットとは呼べない場所だった。
そこは、周囲に人工物のない、ただっ広い空き地。地面の草はまばらに枯れ果て、不格好にねじれた枯れ木が数本、ぽつんと生えているだけ。どこか世紀末のような、徹底して殺風景なロケーションだった。
「さ、美緒さん、行こう!」
「う、うん……」
車から一歩踏み出した瞬間、美緒の足元から『ズボッ』と嫌な音がした。
今日のために新調した、細く高いハイヒール。それが柔らかい土の地面に容赦なく突き刺さる。歩くたびに足元が取られ、自慢の靴は一瞬で泥まみれになっていく。
おまけに、生い茂る雑草のせいで、ミニスカートから美しく伸びた脚には、容赦なく蚊が群がってきた。
「痛っ……あ、また刺された……」
都会的な勝負服は、この過酷な荒野において、ただの拷問器具でしかなかった。
ふと隣を見ると、アシスタントの香織は完璧だった。動きやすいデニムにスニーカー。虫除けスプレーを全身に浴びており、蚊の一匹も寄せ付けない。
香織は、泥まみれのハイヒールでよろめく美緒を見て、内心で(うわぁ、翔先輩、本当に何も考えてないな……。美緒さん、かわいそうに……)と、さすがに同情の目を向けた。
しかし、翔がリュックからカメラを取り出し、ファインダーを覗いた瞬間——空気の色がガラリと変わった。
「美緒さん、そのまま、その枯れ木の前に立って。少し俯き加減で」
いつもの冴えない、気の抜けた翔の声ではない。低く、芯の通った、まるでプロのカメラマンのような鋭い声。
美緒は言われるがまま、足元の泥の感触に耐えながら、枯れ木の前に佇んだ。
シャッター音が、静かな空き地に規則正しく響き始める。
『カシャ、カシャ、カシャ……』
翔のカメラの腕前は、完全にプロ級だった。
彼の脳内にある明確なビジョン——「荒廃した世界にぽつんと取り残された、圧倒的に美しい少女」というテーマ。泥に汚れたハイヒールも、露出した美しい脚も、斜めに差し込む太陽の光と合わさることで、計算し尽くされた完璧な芸術品へと変貌していく。
けれど、美緒の心は限界だった。
足は痒いし、お気に入りの靴は台無し。何より、大好きな男の子に「可愛い女の子」として見てもらいたくて、あんなに時間をかけて準備したのに、彼は自分を『便利な小道具(被写体)』としか見ていない。二人きりのデートですらなかった。
(私、何やってるんだろう……。バカみたい……)
情けなさと、悔しさと、切なさが一気にこみ上げてくる。
抑えようと思っても、感情の波は止められなかった。美緒の大きな瞳から、ぽろりと、大粒の涙が自然と溢れ落ち、頬を伝った。
それを見た翔が、勢いよくファインダーから目を離す。
美緒は(あ、泣いたの怒られる……!)と身をすくめた。
しかし、翔は目を輝かせ、興奮した様子で大声を上げた。
「美緒さん! 今の、最高! 最高に良いタイミングだよ!!」
「……えっ?」
「いやあ、すごいな……! 美緒さんにお願いして本当に正解だったよ」
(枯れ木の背景が完璧に効いてる……! この切ない表情、そして——あ、涙……!)
「まるで映画のワンシーンだよ、本物の女優さんみたいだ! よし、そのままキープ! 最高の一枚が撮れる!」
翔は満面の笑みを浮かべ、再び猛烈な勢いでシャッターを切り始めた。
彼のファインダーに映っているのは、完璧な構図と極上の被写体だけだ。そこに美緒の「恋の悲しみ」など、1ミリも映ってはいなかった。
ただ「最高の表情、最高の光、最高の涙」という、完璧な被写体としてしか認識されていないのだ。
あまりの鈍感全開なセリフに、美緒は涙も引っ込んでしまい、呆然とするしかなかった。
横でレフ板を持っていた香織も、思わず(おい、天然クソ野郎……!)と心の中でツッコミを入れつつ、あまりの美緒の不憫さに乾いた笑いを浮かべる。
一通り、翔のイメージ通りの神がかった写真が撮れ、撮影は終盤へ。
美緒が少し解放されてホッとしていると、香織がすかさず翔の前に躍り出た。
「翔先輩! 私もアシスタント頑張ったご褒美に、ついでにちょっと撮ってくださいよー!」
「お、いいよ。香織、ちょっとその辺の草むらで笑ってみて」
「はーい!」
香織がデニム姿のまま、カメラに向かって自然体でピースサインを作る。
カシャ、と軽いシャッター音が響く。
美緒の時のような重厚な芸術写真とは違い、こちらは香織の持つ若さと、飾らない可愛らしさがそのまま切り取られた、とても爽やかで良い写真だった。
「うん、香織もいい感じ。二人とも、最高のモデルをありがとう!」
カメラをバッグにしまい、満足げに微笑む翔。
足元は泥だらけ、心はボロボロになりながらも、美緒は(まあ、翔くんに『綺麗』って言われたから、もういいや……)と、複雑すぎる溜め息をひとつ、秋の空へと溶かすのだった。




