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撮影モデル

「——というわけでさ。美緒さん、今度の日曜日、俺のモデルになってくれない?」

平日の昼下がり。喫茶『サフラン』のカウンター席で、翔はいつも通りの気の抜けた声をだした。

自慢のカメラのレンズを丁寧に拭きながら放たれた言葉。

美緒は「一体どうしてカメラを持ってきたんだろう……?」と、さっきから密かにそわそわしていたのだ。

そこへ来て、不意打ちのこの台詞である。

カウンターの向こうで、美緒の動きがピタリと止まった。

「……えっ? えええっ!?」


美緒の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


(モデルって……それって、日曜日を私にちょうだいってこと!? 二人きりで、お出かけ……デートじゃん!!)


「む、無理無理! 私なんかじゃ、翔くんのカメラの邪魔になっちゃうよ!」


「そんなことないって。美緒さんがいいんだ。ね、お願い」


翔はただ、自分の思い描く作品のイメージに美緒がぴったりだと思ったから、素直に口にしただけだ。だが、その濁りのない真っ直ぐな瞳で見つめられ、美緒の心臓はうるさいほどに跳ね上がった。


「う、うん……。翔くんがそこまで言うなら……いい、よ?」


「本当!? よし、じゃあ日曜日の午後3時、定休日のサフランの前で待ち合わせね!」


(ご、午後3時……!?)


美緒の脳内コンピューターが、高速でその意味を弾き出す。


普通、お出かけの約束なら午前中か、せめてお昼時だ。わざわざ夕方前の、中途半端な午後3時を指定するなんて——。


(それってつまり、夕方の綺麗な景色の中でロマンチックに撮影して……そのあと、そのまま夜のディナーデートに雪崩れ込む計画なんじゃ……!? ちょっと高めのレストランとか予約してくれてたりして!?)


妄想の暴走は止まらない。頭の中ではすでに、キャンドルが灯るお洒落なレストランで、少し大人びた表情の翔とワイングラスを傾ける自分の姿が完成していた。



翔は無邪気に笑うと、カメラを大事そうにバッグにしまった。


翔の隣の席には、香織が座っていた。


香織はニヤニヤとした笑みを浮かべ、ストローでメロンソーダを静かにすすった。彼女は美緒の分かりやすすぎる反応を見て、すべてを察していた。


(ふふん、美緒さんまた脳内妄想が暴走してるなぁ。これは面白くなりそう)


香織はテーブルの下でスマホを取り出し、素早くメッセージを送った。


相手は、翔の学科の先輩であり、この奇妙な関係を共に特等席から眺めている水野遥だ。


『遥先輩、今、翔先輩が美緒さんをデート(本人は自覚ナシ)に誘いましたよ。日曜日です』


すぐに遥からテンポよく返信が来る。


『お気の毒に。美緒さんの空回る姿が目に浮かぶわね。翔のあの鈍さは物理法則を超えてるわ。重力みたいに周囲を巻き込む厄介さね』


『美緒さん、もう結婚式場まで妄想してそうな顔してます』


『当日、彼がどんなトドメを刺すか見ものね。事後報告を楽しみに待ってるわ』


香織は画面を見ながらクスクスと笑い、ストローを鳴らした。当の美緒は、早くも「日曜日のデート服」の脳内ファッションショーを始めているようで、完全に上の空だった。


そして迎えた日曜日の昼下がり。


雲一つない青空が広がる絶好の撮影日和。


美緒は、気合いを入れに気合いを入れた服装で、定休日の『サフラン』の前に立っていた。


ひらひらと揺れるお気に入りのミニスカートから、すらりと伸びた美しい脚。足元には、この日のために新調した、自慢の細いハイヒール。髪もしっかり巻き、メイクも完璧。誰がどう見ても「大好きな男の子との特別なデート」のための、勝負の装いだ。


(まだかな、翔くん……。あ、車かな?)


遠くから近づいてくる一台のセダン車が、サフランの前にスピードを落として停まった。


美緒は一瞬、「えっ、翔くん車で迎えにきてくれたの!? すごい、ドライブデートじゃん!」と胸をときめかせ、最高の笑顔を作って駆け寄ろうとした。


しかし、運転席の窓がウィーンと開き、サングラスをかけた女子が顔を出した瞬間、その笑顔が完全に凝固した。


「お待たせしましたー! 本日のアシスタント兼運転手、山下香織でーす! お父さんから車借りて来ました!」


「えっ……か、香織ちゃん!?」


美緒の脳裏に、巨大な疑問符と、それ以上の絶望が広がっていく。


車から降りてきた香織は、動きやすそうなデニムにスニーカー、髪はポニーテールという、完璧な「裏方・作業着」スタイルだ。


(え? なんで香織ちゃんがいるの……? 二人きりのデートじゃないの……?)


胸の奥で、膨らみきっていた期待の風船が、シュルシュルと音を立てて萎んでいく。今日のために選んだお気に入りのミニスカートも、新調したハイヒールも、すべてが場違いなものに思えてきて、美緒の顔から急速に血の気が引いていった。


そこへ、大きなリュックを背負った翔が走って到着した。


「おはよう! ごめん、ちょっと遅くなった! 香織もありがとうね、助かったよ」


翔は悪びれもせず、へらりと笑った。


「そうそう! 翔先輩の傑作のために、一肌脱ぎにきました! さあ美緒さん、行きましょう!」


香織は美緒の完璧すぎるデート服と、魂が抜けかけたようながっかり顔を見て、内心で(あちゃー、やっぱり……大爆死じゃん……)と思いつつも、いたずらっぽい笑みを隠して車のドアを開けた。


美緒の頭の中で、ロマンチックなデートの計画が、ガラガラと音を立てて音を立てて完全に崩壊した。


(二人きりじゃ、ない……どころか、私、完全にただの『被写体』として呼ばれただけなんだ……)


「美緒さん、後ろどうぞ!」と促され、促されるまま後部座席へ。助手席にはちゃっかり翔が座り、機材のチェックを始めている。美緒は広い後部座席にぽつんと座る形になった。


車は静かに発進する。


バックミラー越しに、香織が楽しそうに目を光らせていた。美緒の、色んな意味で苦難に満ちた撮影ドライブが、今幕を開けたのだった。



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