筋肉バカ 田中一郎登場
ドラマは突然 新展開に
『洋風居酒屋クローバー』の自動ドアが開き、凄まじい風圧と共に一人の大男がフロアに踏み込んできた。
教育学部体育科3年、田中一郎。
大学の空手部に所属し、脳細胞の9割がプロテインと押忍の精神でできていると噂される、クソ真面目な筋肉バカである。
白いランニングシャツ一枚、自慢のバルクを隠す気の微塵もない戦闘スタイルで現れた。
「いらっしゃいませー」
1年の山下香織がいつも通りのほわんとした笑顔で迎えると、田中はフロアの全員がびくっとするような大声で短く叫んだ。
「生ビール、大ジョッキで一つッ!!」
「はーい!」
香織が運んできたキンキンに冷えた大ジョッキを、田中は受け取るや否や、カウンターに立っている翔先輩や席の美緒先輩が凝視する前で、信じられないスピードで煽り始めた。
ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴキュッ!!!
引くほどの秒速で黄金の液体が消えていき、ドンッ!とフロアが揺れるような音を立てて空のジョッキがテーブルに置かれた。
「ぷはぁッ!!! ……山下香織さんッ!!!」
アルコールでさらに血流の上がった大胸筋をピクピクさせながら、田中は香織の前でピシッと直立不動の姿勢を取り、フロア全体に響き渡る声で頭を下げた!
「自分はッ、貴女のことがッ、英語の再受講の授業で、一目見た時から狂おしいほど好きですッ!! 自分と、結婚を前提に交際してくださいッ!! よろしくお願いしますッッ!!!」
深々と下げられた頭。生ビール一気飲みからの超直球プロポーズに、フロアが一瞬でシン……と静まり返る。美緒先輩は「な、生ビール一気からの結婚……!?」と翔をちらっと見ながら自分のことのように顔を真っ赤にしてフリーズしている。
当の香織はといえば、あまりの勢いに少しだけ髪を揺らしたものの、その瞳は完全に『園児の行動観察モード』に入っていた。
(あぁ、あの授業かぁ。再受講の男子って、女子だらけの幼稚園科のコマを狙って希望してくるって先輩たちが言ってたけど……。まさか空手部の3年生が紛れ込んでくるとは思わなかったな。でも、1ミリの計算も下心もない本気のストレート……。こういうタイプに遠回しな嘘は逆効果だなぁ)
香織は困ったように眉を下げ、クスッと笑って言った。
「田中先輩、ありがとうございます。すっごく嬉しいです」
「――ッ!! ではッ!?」
ガバッと顔を上げた田中の目が輝く。だが、香織の口から出たのは、至極あっさりとした、しかし明確なNOだった。
「でも、ごめんなさい。付き合えないです」
「ッ……!! 突き(突き技)のキレが、足りませんかッ!?」
「ううん、そういう問題じゃないですよ(笑)」
バッサリ振られたにもかかわらず、田中は「ううむ……」と腕を組み、ランニングシャツから覗く太い腕を震わせながら真剣に考え込んでいる。振られたショックよりも「なぜダメなのか」を武道的に納得しようとしているらしい。
そのクソ真面目な様子を見て、香織の悪戯っぽい傍観者精神がウズウズと動き出す。
「でもね、田中先輩。ここで他のお客さんの迷惑になっちゃうのは、空手部の規律的にダメでしょ?」
「ハッ……! 確かにッ! 営業妨害は武道精神に反するッ!」
「でしょ? だから、お話だけなら聞きますよ。……明日、私が昼間にやってる喫茶店『サフラン』に来てくれますか? そこならゆっくり話せるので」
「サフラン、ですかッ! 了解しましたッ! 明日、13時ジャストに伺いますッッ!!」
田中は再び直角の礼をすると、回れ右をして、入ってきた時と同じ風圧で去っていった。ランニングシャツの背中には、やりきった男の汗が光っていた。
カウンターに戻ってきた香織に、美緒先輩が身を乗り出して詰め寄る。
「ちょっと香織ちゃん!? なんで明日のサフランに呼び出したのよ! あんなランニング一枚の一気飲み空手バカ、サフランの穏やかな空気に絶対に合わないわよ!?」
「えへへ、だって美緒さん。あそこまで計算のない筋肉バカ、逆に面白くないですか? 明日のサフラン、きっと面白いエントロピーが見られますよ♪」
「あんた、また私のバイト先をエンタメの舞台にする気ね!?」
翌日のサフランでは、13時ジャストに彼がやってくる。ここにはフルメンバー登場します。香織ちゃんは一体どんな風に田中先輩をお料理するのでしょうか?明日のお楽しみ!




