美緒 カウンターに復帰
カラン、と涼やかな音が響く。サフランの扉を開けた瞬間、空気の「密度」が昨日までと違っていることに俺は気づいた。
「いらっしゃいませ! あ、俊くん、おはよう」
カウンターの中から弾んだ声が飛んでくる。そこに立っていたのは、綺麗にクリーニングされたエプロンをきっちりと身にまとった美緒先輩だった。
「……おはようございます。やっぱり、そこに先輩がいると落ち着きますね」
昨日まで俺が皿を拭いていた場所に美緒先輩が立ち、俺はただの「一人の客」に戻る。
カチリとパズルのピースが本来の場所に嵌まったような、妙な安心感があった。
ふと店内に視線を向ける。四人掛けのテーブル席は、今や完全に「女子会エリア」と化していた。香織、遥、そして新メンバーのひまりの三人が、パフェやケーキを前にして賑やかに華を咲かせている。
あの華やかな輪に男の俺が飛び込むのは、流石にハードルが高い。必然的に、俺の行き先はカウンターの端の席になった。
「いやー、やっぱり美緒先輩のエプロン姿はしっくりきますね!」
香織が客席から嬉しそうに身を乗り出す。
「はい。美緒さんが入るだけで、店内のマイナスイオンが3割増しです」
遥が淡々と、しかし嬉しそうに紅茶をすする。
「美緒先輩……すごく、格好いいです……!」
ひまりはまだ少し緊張しているようだが、憧れの眼差しをカウンターの中へと向けていた。
「もう、みんなして大げさなんだから」
美緒先輩は照れくさそうに笑いながらも、嬉しさを隠しきれない様子でカウンターから身を乗り出す。
「でも、本当に大変だったんだからね? 高校生って、もう大人一歩手前だから色々と生意気で!」
「あはは! 美緒先輩が高校生相手に奮奮闘してる姿、見たかったです!」
香織がゲラゲラと笑う。
すると、美緒先輩はフンスと胸を張った。
「ふふん、舐めないでよね。これでも私、実習先の男子生徒たちの間で『美緒先生ファン倶楽部』を結成されるくらいにはマドンナだったんだから!」
「えっ! 凄いじゃないですか!」
ひまりが目を輝かせる。
だが、美緒先輩はすぐにガクッと肩を落とした。
「……だったんだけどさぁ。よくよく話を聞いたら、恋愛感情ゼロの完全な『鑑賞用』扱いよ。アクスタとか作られそうな勢いの、ただの推し活もどき!
しかもね、女子生徒たちには『先生って絶対、男を見る目ないし恋愛偏差値マイナスですよねー』って満場一致でバカにされたのよ!?
初対面に近い高校生にまで見抜かれるとか、私のプライドはズタズタよ!」
「ぶっ……!」
思わず俺は吹き出しそうになり、コーヒーで口を塞いだ。
「あははは! 高校生の洞察力、鋭すぎます!」
香織がテーブルを叩いて爆笑し、遥も「非常に的確なプロファイリングですね」と静かに追撃する。
「ちょっと、みんなして笑わないでよー! ひまりちゃん、慰めて!」
美緒先輩がカウンター越しにジタバタすると、ひまりは慌てて
「あ、あの! 観賞用にされるくらい、美緒先輩が美人ってことですから!」と必死にフォローを入れる。
ひまりの純粋な優しさに癒やされつつ、美緒先輩は再び笑顔を取り戻した。
男一人のカウンター席は実に静かだが、そこから繋がる賑やかな笑い声が、心地よく店内に響いている。
「あはは、本当、いつものサフランに戻りましたね」
香織が呆れたように、でも嬉しそうに笑う。
「ええ。これぞサフランの日常です」
遥が静かに頷き、ひまりも「やっぱりカウンターに立つ美緒先輩、すごく素敵です……!」と目を細めている。
カウンターの中に美緒先輩が戻り、ひまりが増えたことで、客席の形は少しだけ変わった。
俺はカウンターの端から、華やかな女子会トークと、すっかりいつもの活気を取り戻したサフランの空間を眺め、そっとコーヒーを口に運んだ。
「……ごちそうさま」
俺は小さく呟き、新しくも、どこか懐かしいサフランの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ところで、翔は何しているのだろう?」




