平和を取り戻したサフラン
「……もう、男の人は全員、脳みそが崩壊してるんだと思います」
三度のサフランの午後。
カウンターで三木先輩と翔先輩が
「昨日ひまりが言ってた『本気のトーン』、翔なら絶対一発で落ちるよな」
「えー、そうかなぁ。でも俺、そういうのよく分かんないし……」
と、本人がすぐそこにいるのに対象を1ミリも変えないまま呑気な会話を繰り広げる中、私たちは店の片隅のテーブル席で、ついに限界を迎えたひまりちゃんを保護していた。
ひまりちゃんは、私の横に座る遥先輩の前で、涙目でアイスココアのストローをいじっている。
昨日、一昨日と男二人にコテンパンに(無自覚で)叩きのめされたひまりちゃんが、最後に頼ったのが、この店で一番理性的で冷徹な、水野遥先輩だった。
「ひまりちゃん、だっけ」
遥先輩は、静かにアイスティーのグラスを置いた。その瞳には、いつもの冷徹さはなく、どこか捨て猫を見るような深い慈悲の光が宿っている。
「はい……。私、本当に三木先輩のことが好きで……。
練習でも、演技指導でもなくて、本気だったのに……」
「うん、分かってる。見てたから」
遥先輩は小さくため息をつき、それから少しだけ申し訳なさそうに視線を落とした。
「あの二人が、2日連続でとんでもなく失礼なことをして本当にごめんなさい。……同じクラスメイトとして、私が代わりに謝るわ。
あいつら、物理の計算はできても、人間の心の計算は引き算すらできないバカだから」
「遥先輩……」
ひまりちゃんの目に、じわっと涙が浮かぶ。やっと自分の本気を理解してくれる人類に出会えたのだ。
しかし、遥先輩の『優しい謝罪』は、ここで終わらなかった。
遥先輩はひまりちゃんの目を真っ直ぐに見つめ、実になめらかに、だけど決定的な事実を告げた。
「それとね、もう一つ伝えておかなくちゃいけないの。……私、三木と付き合ってるんだよね」
サフランの片隅に、静かな衝撃波が走った。
ひまりちゃんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔でフリーズし、横で聞いていた私は「あ、そこはちゃんと言うんだ!」と心の中で快哉を叫んだ。
「え……? 三木先輩と、遥先輩が……?」
「うん。だから、あいつがあなたの告白を『練習』だの『演技指導』だの言ってスルーしたのは、あなたに魅力がないからじゃないの。
あいつの脳内からは『自分が他の女の子から狙われる』っていう選択肢が、完全に消去されてただけ」
遥先輩は、ひまりちゃんの頭を優しく撫でた。
「だから、あんなバカのために泣くのはもったいないよ。これからは三木のことは『顔がいいだけのただの文鳥』だと思えばいいわ」
「ぶ、文鳥……っ」
あまりに的確で容泄のない例えに、ひまりちゃんの口元から、思わず小さな笑みがこぼれた。
傷ついた心が、遥先輩の不思議な包容力によって、みるみる再生していくのがわかる。
「あの、遥先輩……私、先輩のこと、すごくカッコいいって思っちゃいました。……もし迷惑じゃなければ、これからも、お友達としてお話しさせてもらえませんか?」
ひまりちゃんが、赤くなった目で手を差し出す。
遥先輩は一瞬だけ驚いたように目を見開いたけれど、すぐにふっと柔らかい笑みを浮かべて、その小さな手を握り返した。
「ええ、喜んで。三木の愚痴なら、いくらでも付き合うから」
「わーい! じゃあ私、ひまりちゃんの連絡先ゲットー!」
私がすかさずスマホを持って乱入すると、ひまりちゃんは「香織ちゃんも!」と嬉そうに微笑んだ。
こうして、失恋をキッカケに、サフランの『傍観者席』に新メンバー・日向ひまりちゃんが正式加入したのだった。
「おい、お前ら何盛り上がってんだよー?」
カウンターの奥から、脳みそ崩壊コンビの片割れ(三木)が暢気に声をかけてくる。
遥先輩は、ひまりちゃんと楽しそうにスマホを交換しながら、カウンターへ一瞥もくれずに冷たく言い放った。
「うるさいわよ文鳥。早くその汚いグラス磨きなさい」
「ぶ、文鳥!?」
理不尽な暴言にショックを受ける三木先輩を見て、私とひまりちゃんは顔を見合わせて大爆笑した。
今日もサフランは平和だ。
美緒先輩が地元からブチギレLINEを連射し続けていることと、私たちのガールズトークの獲物が一人増えたことを除けば。




