ファン倶楽部
翌朝。私は一睡もできないまま、いつもの“完璧なマドンナ”の仮面を貼りつけて教壇に立っていた。
しかし、ズタズタに引き裂かれていた私のプライドは、放課後、予想だにしない形でウルトラC級の急回復を遂げることになる。
「美緒先生! 俺たち、非公式ですけど『美緒先生ファン倶楽部』を結成しました! これ、記念すべき会員証の一号です!」
実習生控え室に押し寄せてきた男子生徒たちが、キラキラした目で差し出してきたのは、画用紙で作られた手作り感満載のカードだった。
(ファン倶楽部……! 倶楽部って言ったわね、今!?)
昨夜の「ぁ」の衝撃や、ひかりから喰らった「恋愛偏差値25」の致命傷で瀕死だった私にとって、それは天から垂らされた極太の蜘蛛の糸だった。授業の終わりに妙に熱烈な拍手が起きると思っていたけれど、まさか組織化されていたとは。
「ふふ、ありがとう。大切にするわね」
完璧なマドンナの微笑みで会員証を受け取りながら、私の内心はご満悦の極みに達していた。
(ほら見なさい! ひかりさんはあんなこと言ってたけど、やっぱり私の溢れ出る大人の色気と心理学的アプローチ(※授業をしただけ)の前では、男子高校生なんてイチコロなのよ! これだけ男を狂わせる私なんだから、あの留年物理男子だって、本当は私にメロメロだからこそ照れて『ぁ』なんていう愛らしい奇声を送ってきたに違いないわ!)
現金すぎて自分でも怖いが、モチベーションは一気に宇宙の果てまで跳ね上がった。調子に乗った私は、彼らの心理をさらに深くプロファイリングしてやろうと、控え室を出た彼らの後をこっそり追った。
渡り廊下の陰で、ファン倶楽部の幹部たちが熱く語り合っている。ふふ、私のどんなところに惹かれたのかしら? 授業中の知的な横顔? それとも——。
「いやー、マジで美緒先生って『鑑賞用』として最高だよな。二次元のキャラがそのまま生きてる感じ」
……鑑賞用?
「わかる。ちょっとポンコツで、一生懸命空回りしてるところが『オカンみ』あって超癒やされるわ。部屋の神棚に飾りたい」
オカン? 神棚?
「え、付き合いたいかって? いやいや恐れ多いっていうか、恋愛対象としては絶対無理っしょ! リアルな彼女にするなら隣のクラスの結衣ちゃんみたいな普通の子がいいわ。先生は『拝む対象』だから!」
カラン、と、私の中で音を立てて何かが崩れ落ちた。
恋愛感情、まさかの完全ゼロ。
彼らの熱狂は単なる“推し活”であり、私はただのマスコット、あるいは歩く御利益フィギュア扱いだったのだ。
魂が口から抜けかけたその時、ポケットでスマホがブッと冷酷に震えた。
ひかりに急かされて送った「早く会いたい(クマがジタバタするスタンプ)」への、本命・津島翔からの返信だ。
期待と恐怖で震える指で、おそるおそる画面を開く。
そこにあったのは——
【。】
それだけ。
(マル……!? 嘘でしょ、今度は『マル』だけ!?)
文字数が減るカウントダウン、実質0.5文字の領域を経て、ついに彼は「言葉」すら捨てた。日本語の終わりを告げる記号【。】。それは、私という存在への終止符か、あるいは「返信なし」という実質0文字の虚無の空間へ至るブラックホールか。
片や、私を神棚に祭り上げて恋愛対象から完全に除外する男子高校生たち。
片や、決死の可愛いスタンプを、一滴の感情も交えない「点」で黙殺する留年物理男子。
「なんなのよ、もう……っ!」
私の理性が音を立てて完全崩壊した。
誰も、ただの一人も、私を“普通の女の子”として見てくれないじゃないのよ!
夕焼けで真っ赤に染まる、誰もいない教室。私はスマホを握りしめたまま頭を抱え、天井に向かって般若も真っ青の顔で絶叫した。
「男って、なんでみんなそうなのーーーーーーーっ!!」
文学部心理学科の明晰なる頭脳をもってしても、一生解けない「男心」という名の超ひも理論に大敗北していると、背後でガラガラと引き戸が開いた。
「だから言ったじゃん、先生」
いつの間にか現れたひかりが、冷たい缶のお茶を私の頬にピトッと押し当てながら、呆れたようにため息をつく。
「先生はね、黙って座ってれば国宝級のマドンナなんだから。余計な心理学の罠とか仕掛けないで、大人しく拝まれてなよ」
現役女子高生の、あまりにも冷徹で的確なナビゲーションが、私の心に深く突き刺さる。
夕暮れのチャイムが、私の盛大な勘違いの終わりを告げるように、ただ虚しく響き渡っていた。




