緑のアイコン
「いい、翔。これは『安否確認』。そして『地元密着型フィールドワークの業務連絡』よ。決して私的な感情から言っているわけじゃないんだから!」
学生街の喫茶『サフラン』のカウンター席。私——木崎美緒は、目の前でぼんやりとアイスコーヒーを啜っている愛しの津島翔に向けて、バンと音を立てて身を乗り出した。
大学4年の私は、自他共に認める学園のマドンナ。そんな私が明日から、実家近くの出身高校へ教育実習のために旅立つことになっていた。大学のあるこの街からは、到底通えない距離。しばらく翔に会えない。
……つまり、これは合法的に連絡先を交換し、毎晩メッセージを送り合う関係になる絶好のチャンスなのだ!
「はぁ……。業務連絡、ですか?」
理学部物理学科2年(絶賛留年中)の翔はいつも漫画の事しか興味ない、鈍感天然男だ。でも、そこが可愛い。
「そうよ! だから、はい、スマホ出しなさい。LINEのID交換するわよ」
私が自分のスマホの画面を突きつけると、翔くんは露骨に嫌そうな顔をして、ポケットから画面の割れたスマートフォンを取り出した。
「いや、美緒さん。僕、LINEやってないんですよ」
「はあ!? 今時LINEやってない大学生なんて天然記念物以下よ! ほら、今すぐアプリをインストールしなさい!」
「無理です。僕のスマホにLINEを導入することは、宇宙の根本的な法則に反します」
往生際悪く拒否する翔くんに、私は目を吊り上げた。
「なによそれ! 意味わかんないんだけど!」
「いいですか。アインシュタインの相対性理論において、LINEというアプリは情報の質量が大きすぎるんです。インストールした瞬間にスマホ周辺の時空が激しく歪んで、僕のレポートの提出期限が相対的に縮まり、留年がさらに加速するというか、とにかく宇宙の法則のせいで無理なんです」
「……。……え?」
文系心理学科の私は、翔のいつもの意味不明の物理法則に一瞬「そうなの……?」と脳内がバグりそうになった。なんか、もの凄くわけのわからない物理用語を並べて煙に巻こうとしていることだけは分かる。
その時、カウンターの奥の席から、冷徹な声が響いた。
「翔。あなた、相対性理論の話、最初から最後まで全部間違ってるわよ」
声の主は、物理学科3年の水野遥ちゃんだった。隣にいる恋人の三木俊くんは、すでにクスクスと吹き出している。
「時空の歪み方の解釈もめちゃくちゃだし、レポートの期限も縮まらないわ。……要するに、ただ**『通知が来るのがめんどくさいから使いたくない』**ってだけでしょ」
「あ、バレました?」
遥ちゃんの完璧な物理ツッコミに、翔はへらりと頭を掻いた。
「ちょっと翔くん!! 嘘ついてまで私とLINEしたくなかったわけ!?」
私の脳内暴走が、一瞬で怒りのエネルギーに変わる。
「いや、本当にマメに連絡返すの苦手なんですよ……」
「言い訳無用! ほら、インストール!!」
そこに背後から三木くんが翔のスマホを取り上げ、手際よくLINEをインストールした。
私の威圧感と、背後からの遥ちゃんの無言の圧力と三木くんの強引さに負け、翔くんは泣く泣くLINEをインストールする羽目になった。
「じゃあ、ID検索して……よし、友達追加完了!」
画面に表示された【津島 翔】の名前を見て、私の心は一瞬で大勝利のダンスを踊った。
(やったわ! ついに翔のLINEゲット! これで毎晩『今何してるの?』とか『実習寂しいな』とか送って、遠距離恋愛の恋人ごっこができるーー!!)
鼻息を荒くする私だったが、ここでカウンターで引き出物を眺めていた香織が、ニヤニヤしながら乱入してきた。
「あ、美緒先輩ずるーい! 私も翔先輩のLINE欲しーい。あ、三木先輩と遥先輩も巻き込んで、グループ作っちゃいましょうよ!」
「えっ、グループ!?」
ちょっと待って。私の耳が確かなら、今、不穏な単語が聞こえた。
「お、それいいな。俺らも翔の生存確認用に欲しかったんだよ」と三木くん。
「私も、翔がこれ以上おかしな物理理論を他所で振りかざさないよう、監視用に入るわ」と遥ちゃん。
「じゃあ作りますねー。グループ名【サフラン&クローバー(仮)】っと。はい、全員追加!」
カラン、と翔のスマホが、生まれて初めてのグループ招待の通知音を鳴らした。
私は自分のスマホを見つめ、ガックリと肩を落とした。
(二人きりの秘密のホットラインにするはずだったのに……! なんで一瞬で4人のグループに拡張されてるのよーー!! 私の甘い遠距離恋愛計画を返しなさいよ香織ーー!!)
私が脳内で血の涙を流している中、翔は「グループなら、僕が返信しなくても誰かが喋るから安心ですね」と、相変わらず的外れな安心感を抱いて、漫画雑誌に目を落とすので有ったのだった。




