美緒 カウンターに突っ伏す
さっきから、視界の端に映る翔の姿が眩しすぎて、直視したくても目が滑ってしまう。
いつもは首元がだらしなく伸びた、ヨレヨレのTシャツを着ているくせに。
ぶっちゃけ……悔しいけれど、普通に格好いい。
セレクトショップのマネキンからそのまま抜け出してきたみたいな、完璧な「これからデートに向かう男の子」の格好だ。
(誰と……会うの? どこに行くの? 綺麗な女の子……? 嘘、翔のくせに、そんな……)
胸の奥がチリチリと焼けるような、嫌な焦燥感が広がっていく。
だけど、その瞬間。
私の脳裏に、いつだったか翔が真面目な顔で言い放った、あの狂ったセリフがフラッシュバックした。
――『そう言えば美緒さん。この店で僕が美緒さんと会うのも、広義の“デート”と定義されますよ』
(っ!?!?) 思い出した瞬間、顔面から火が出るかと思った。
全身の血流が沸騰して、耳の奥でゴォォッと音がする。
(デ、デート……!?)
ま、待って。今日の翔の予定って、まさか。
いやいや、あり得ない。
だって翔は私のことなんて「なんとも思っていない」はずだし、今日もただサフランに来ただけのはず。
でも、もし。もしあの言葉が、翔の中でまだ生きていたとしたら。
「服装を整えた」のが。
「波動関数の収束条件」とかいう意味不明なバグ理由じゃなくて。
このサフランで、私と会うため……だったりしたら……!?
(ち、違う! 落ち着け私! 相手はあの量子力学バグ男よ!?
脳内ゆらぎに騙されるな!!)
必死に自分を律しようとするけれど、一度暴走を始めた妄想は止らない。
チラッと翔の方を見ると、彼は私の視線に気づいたのか、漫画から顔を上げて不思議そうに首をかしげた。
「美緒さん、どうしました? 不確定性原理ですか?」
「違うわよ!!」
声を荒らげる私に、翔はさらに真剣なトーンで追撃してくる。
「観測すると状態が変わるので、気をつけてください。今の美緒さんは、熱量が過剰に励起しています」
「翔は黙っててぇぇぇぇ!!」
カウンターの向こうで、香織がニヤニヤしながらこっちを見ている。
遥さんは「もう勝手にして……」と言わんばかりに深くため息をついていた。
(もう無理、心臓がもたない……!)
私はたまらず、両手で顔を覆ってカウンターに突っ伏した。
翔の服から漂う、清潔な洗い立ての匂いがここまで届くような気がして、私はさらに深く、深く俯くことしかできなかった。




