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美緒の1人反省会

「……うぅぅ…………」


閉店後のサフラン。


誰もいなくなった店内で、私はカウンターに突っ伏して、さっきからずっと地響きのような呻き声を上げている。


手元にあるのは、磨きすぎて逆に傷がつくんじゃないかっていうくらいピカピカになったグラス。


思い出すだけで、顔から火が出そうだ。いや、もう出てる。絶対に燃えてる。


(私、バカじゃないの!? いや、バカよ! 恋愛IQが溶けるとか香織に言われてたけど、溶けるどころか蒸発して消滅してるわよ……!!)


事の始まりは、昨日だった。


大学3年生の遥さんが、翔のことを「翔くん」って呼んだのだ。


その瞬間、私の脳内アラートは最大音量で鳴り響いた。


『えっ、翔呼び!? なんで!? いつからそんな親しい関係に!? まさか遥さん、翔のことが好きなの……!?』


そこからの私は、我ながら見苦しいほどにパニックだった。


だって、翔よ!? いつも首元がちょっと伸びたヨレヨレのTシャツを着ていて、髪もボサボサ。お世辞にもパッとしない、キャンパスの隅に生息していそうな冴えない理系男。


しかもあいつ、単位を落として1年留年してるから、遥さんや俊と同じ代のはずなのに、今まだ2年生なのよ!?


……なのに、私はそんな彼の、不器用だけどたまに見せる真っ直ぐなところとか、たまに眼鏡を外したときの顔とか(悔しいけど無駄に整ってるのよ!)に、うっかりガチ惚れしてしまっているわけで。


『あの可愛い遥さんが、あんな留年ヨレヨレTシャツ男(でも私の好きな人)を好きに!? 嘘でしょ、取られる……!』


そう思ったら胸のあたりがモヤモヤして、仕事も手につかなくなって。


遥さんが店に来るたびに、「地を這う泥棒猫を見るような目(香織・談)」で警戒していた。


なのに。


まさかの、俊(三木くん)の彼女だったなんて!!!


(付き合ってるなら最初に言ってよ俊ぉぉぉぉぉ!!! なにが『俺の自慢の彼女』よ! のろける前に私の胃に穴が空きそうだったわよ!!!)


しかも、遥さんの「翔くん」呼びは、3年前の、彼らの「大学の入学式」の時、俊と翔が「遥」って呼んだから、そのお返し(?)だったという。


3年前からずーーーっと同じグループにいて、俊と遥さんはその末に付き合って、留年した翔も含めて今でもフラットに仲が良いだけじゃない!


つまり、私は昨日から丸一日、一人で勝手に嫉妬して、一人で勝手に焦って、一人で勝手に自爆していたわけだ。


3年前からの関係性に、昨日今日でしゃしゃり出て勝手にハラハラしてた自分、恥ずかしすぎる。今すぐこのカウンターの下に穴を掘って埋まりたい。


でも。


本当に、本当の地獄はそこからだった。


付き合っている事実を知らされて、真っ赤になって固まっていた私に、香織がとどめを刺してきた。


『美緒先輩、翔先輩のこと好きなんですよね?』


心臓が跳ね上がって、口から飛び出るかと思った。


そんなの、認めるわけにいかない。だって、当のヨレヨレTシャツ(翔・2年生)がすぐ隣の席で漫画を読んでるのよ!?


なのに、私の口から出たのは、


「い、言わせたのは香織でしょ!!」


という、全人類が「はい、認めました」と解釈するレベルの超絶下手くそな言い訳。


(あーーーもう!! 私のバカ!! 口を慎め口を!!!)


心臓がバクバクと五月蝿くて、耳まで真っ赤になって俯くことしかできなかった。


そのとき。


ガサリ、と隣で漫画を閉じる音が聞こえた。


おそるおそる顔を上げると……あの冴えない留年男のはずの翔が、真面目な顔で、じーーーっと私を見つめていた。


その時の私の脳内は、まさに大パニック。


『えっ……? 翔……? 今の聞いてた……?』


『好き、って言ったの、引いちゃった……?』


『それとも、私の気持ちに気づいて……?』


ヨレヨレのTシャツを着たくせに、翔の瞳だけはまっすぐに私を射抜いている。


いつもは気だるげな彼の、その真剣な眼差し。心臓の音がサフランのBGMをかき消していく。


ああ、もうダメだ。ここで、何か言われる。


「美緒さん、俺……」とか、そういう、少女漫画みたいな展開が、ついに――


「美緒さん、髪の毛……帯電してますね」


「…………………………は?」


待って。


いま、なんて言った?


タイデン? カミノケ?


思考がフリーズする私の前で、翔は立ち上がり、まるで顕微鏡でも覗き込むような真剣さで私の頭を見ていた。


「この静電気……すごく綺麗です。電場の向きが一目で分かるレベルで」


(静電気ィィィィィィィィィッッッッ!?!?!?)


私のときめきを返して!!!


そりゃあね!? 確かに今日は乾燥してるし、さっきまでアクリル製のタワシでグラス洗ってゴシゴシやってたから、髪の毛ちょっとフワフワ浮いてるなーとは思ったわよ!?


でも、人が命がけで恋バナ(自爆)してる最中に、見る!? 普通、女の子の頭見て「電場の向きが分かる」とか言う!? ああもう、だから留年するのよこの理系変人!!


「翔は黙っててぇぇぇぇぇぇぇ!!」


叫ぶしかなかった。叫ばないと、恥ずかしさと理不尽さで脳の血管がはち切れそうだった。


香織がニヤニヤしながら追い打ちをかけてきた。


『美緒先輩。翔先輩、ずっと美緒先輩の“髪の毛の静電気”見てただけですよ?』


知ってるわよ!!!


言わないで!! 分かってたけど言葉にしないで!!


つまり翔は、私が一人で悶絶して、顔を真っ赤にして、「好きなんですよね?」ってイジられてる間、私の乙女心なんて1ミリも見てなくて、ただただ私の頭の上の『静電気の物理現象』に感動してたってことでしょ!?


私の脳内で、ビッグバンを超える超新星爆発が起きた。


すべてがどうでもよくなった。私は静電気女。サフランのピカチュウよ、もうそれでいいわよ。


追い打ちをかけるように、翔が満足げに頷いて言った。


「美緒さん、あの帯電……本当に美しかったです」


「翔は黙っててぇぇぇぇ!!!!!」


……っていうのが、今日の昼下がりの全貌。


「はぁ……」


もう一度、カウンターに深く突っ伏す。


首元の伸びたTシャツを着て、1年留年してて、静電気を「美しい」って真顔で褒めてくるあいつは、やっぱり底知れない理系変人だ。


でも、


本当に、本当に一番悔しいのは。


(一瞬でも、本気でドキドキしちゃった私が、一番のバカ……!!)


「……あいつ、明日店に来たら、コーヒーにめちゃくちゃ苦い豆混ぜてやるんだから……」


誰もいない店内で、私はまだ熱を持ったままの顔を隠すように、エプロンに深く顔を埋めた。


(もちろん、明日も普通に美味しいコーヒーを淹れちゃうんだけどね。……あーあ、本当に重症だわ、私)



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