美緒 理系飲み会に潜入
駅前の薄暗い路地裏。赤提灯が揺れる、渋い大衆居酒屋。
私は翔と並んで暖簾をくぐった。
(さあ、出てきなさいミキ……! 単位を餌に翔を篭絡しようなんて、文学部心理学科の名にかけて許さないんだから!)
座敷に案内されると、すでに一人の女子学生が座っていた。白のブラウスに、ベージュのカーディガンを肩にふわりと掛け、黒のロングスカート。
シンプルなのに洗練されていて、いかにも“おしゃれに気を使うリケジョ”という雰囲気。
(……こいつがミキ!? 思ったより強敵じゃない……!)
私は敵意を隠す気ゼロで、ずいっと近づいた。
「初めまして。文学部4年の木崎美緒です」
女子学生はぱちりと瞬きし、落ち着いた声で答えた。
「こちらこそ初めまして。水野遥です」
「……あ、そう」
(違う……? この子じゃないの……? よかった……!)
安堵が押し寄せるが、さっきまでの先走った敵意が一気に恥ずかしくなる。
遥さんは冷静に微笑んだ。
「サフランの美緒さんですよね? 翔くんからよく聞いてます。“美緒さんがすごい”って」
「えっ……あ、あら、そう……?」
そこへ、暖簾がバサッと揺れた。
「おーい翔! 遅れてごめん!」
現れたのは――爽やかに分けた黒髪に、仕立ての良さそうな綺麗めシャツを着こなした、スッキリとした目元の青年。
……あれ? 物理学科特有のどんよりしたオーラが一切ない。むしろ、どこかのインカレサークルにでもいそうな、爽やかで今どきのイケメンじゃない。
翔がいつも通りのんきに紹介する。
「こっちが三木俊。さっき連絡くれた“ミキ”ね」
「三木です! 翔から噂は聞いてましたけど……美緒さん、本物の芸能人みたいですね!」
人懐っこい、けれどどこかスマートな笑みを浮かべる三木くん。
その瞬間、私の脳内で――銀河衝突が起きた。
(ミキ……男……!? しかも結構なイケメン!? 男だったの!? あの“夜通し深い話”も“部屋に泊まる”も……全部……この男前との徹夜レポート……!?)
膝がガクンと抜け、私は座敷に手をついた。
(よかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 恥ずかすぎて死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!)
しかし、まだ安心はできない。
隣にいる水野遥さんのスレンダーでキレイめなファッションは、完全に翔のタイプだ。まさか、あの二人が……?
……いや、待って。この三木くんとかいう男、無駄に爽やかでかなりのイケメンじゃない。
さっきの「夜通し」「お泊まり」という不穏なワードが脳裏をよぎる。翔のやつ、まさかそっちの方面の可能性は……!? 翔の好みって、まさか……。
(嘘でしょ……!? 女のライバル(水野さん)だけじゃなくて、男のライバル(三木くん)まで出現したっていうの……!?)
一瞬で新キャラ二人に挟まれた翔を巡る、泥沼の三角(四角?)関係を妄想し、私の心理学科的防衛本能が限界突破しそうになる。
……ううん、落ち着きなさい私。大丈夫よ。あんなに冴えなくて無神経で鈍感な男を、本気で好きになる物好きな人間なんて、学園のマドンナとしての底知れない包容力がある私くらいなものだわ。
私は一瞬で平穏を取り戻し、マドンナスマイル120点を発動した。
「文学部心理学科の美緒です。翔の“ランダウ・リフシッツの会”に興味があって、お邪魔しちゃった」
その瞬間、周囲の物理学科男子たちが一斉に色めき立った。
「サフランの美緒さん!? マジで来たの!?」
「翔がいつも言ってる“あの美緒さん”!?」
「美緒さん、おしぼりどうぞ!」
「何注文しますか!? なんでも頼んでください!」
ふふん、当然よ。私を誰だと思っているの。
遥さんはそんなお祭り騒ぎの中でもどこか冷めた様子で、「理系男子って分かりやすいですね」と、視線を合わせてくすりと微笑んだ。
ビールを飲んで場が落ち着いた頃、三木くんが楽しげに目を細めて言った。
「いや〜、翔のやつ、ラウンジでも美緒さんの話ばっかりなんんですよ!」
「えっ……?」
周囲の男たちも口々に証言を始める。
顔が一気に熱くなるのを感じながら、私はお酒の勢いも借りて、翔に甘い視線を向けた。
「……ちょっと翔。あんた、私のことそんな風に話してたの?」
翔は枝豆を口に放り込みながら、いつもの温度感で答えた。
「? ああ、はい。俺、本当に美緒さんのナポリタン大好きですから。もう、美緒さんがいないと生きていけないっていうか。三木たちにも、あの濃厚なソースの引力には誰も抗えないっていつも熱弁してるんです」
――……え?
――い、いないと生きていけない……!?
私の脳内で、ビッグバンを超える大爆発が起きた。
顔が真っ赤になるのを隠すように、私はフライドポテトを一つ口に放り込み、精一杯の「余裕のある大人の先輩」を演じてみせる。
「も、もう……バカねぇ、翔。みんなの前でそんな大胆なこと言っちゃって。……まぁ、そこまで言うなら、明日も特別に作ってあげなくもないわよ?」
「本当ですか!? やった、明日もサフラン行きます!」
嬉しそうに目を輝かせる翔を見て、私の胸はトクトクと甘く高鳴っていた。
宇宙の真理より遠い勘違いをしたまま、幸せな勝利の余韻に浸るマドンナ。
そして、その横でただ純粋にナポリタンの濃厚ソースを愛する理系男子。
二人の明日のステップは、果たして噛み合うのだろうか――。
(終わり)




