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紹介してあげようか

パブ喫茶『サフラン』の午後3時は、気だるい西日と、使い込まれたコーヒーミルの匂いに満ちている。


カウンターの奥でグラスを拭きながら、木崎美緒は、数日前のあの忌々しくも不可解な出来事を反芻していた。


あの日、特別に大盛りにしたナポリタンを前にして、あの冴えない後輩――ショウは、あろうことか美緒に向かって「お母さんみたい」と言い放ったのだ。


(お母さん……? 大学一のマドンナと噂されるこの私を捕まえて、お母さんですって……!?)


普通なら、あまりの無礼さに塩を撒いて追い出すところだ。しかし、美緒の鋭すぎる(と本人が信じている)洞察力は、その言葉の裏にある「真実」を見抜いていた。


(違う。あれは高度なフェイントだわ。最初にあえて突き放すことで、私のプライドを揺さぶり、主導権を握ろうという魂胆ね。イケメンでもないのに、あの落ち着き……。相当な修羅場をくぐり抜けてきた、凄腕のハンターに違いないわ……っ!)


そう。美緒の脳内において、ヨレたTシャツの翔は、すでに「冷徹な恋愛心理の魔術師」へと昇格していたのである。


「……よし。ならば、こちらから仕掛けてあげるわ」


美緒は小さく不敵な笑みを浮かべた。


ハンターの仮面を剥ぎ取り、慌てふためく凡人の顔を拝んでやる。そのための完璧な「カマかけ」を、彼女は用意していた。


カランコロン。


ドアの鈴が鳴り、噂の男がやってきた。相変わらず寝癖のついた髪に、どこで買ったのかも分からない薄汚れたスニーカー。彼は美緒の視線など1ミリも気に留める様子もなく、いつもの窓際の席へ直行すると、マガジンラックから最新の週刊少年誌を引き抜いた。


「いらっしゃい」


「あ、すんません。アイスコーヒー、いつものやつで」


翔は漫画の表紙を開きながら、生返事で手を挙げる。


(フン、相変わらずポーカーフェイスが板についているわね……。でも、それもここまでよ)


美緒は丁寧に淹れたアイスコーヒーをトレイに載せ、あえてゆっくりとした足取りで彼の席へと向かった。


コト、とグラスを置く。翔の視線はまだ漫画の1ページ目だ。


美緒はすっと身を屈め、カウンターで見せていた冷ややかな微笑とは打って変わった、妖艶で、どこか悪戯っぽい「お姉さん」の声を絞り出した。


「ねえ、翔くん」


「……ん? なんすか?」


「翔くんって、いっつも一人でここに塾帰りの小学生みたいに居座ってるじゃない? 寂しそうだからさ……私、可愛い友達紹介してあげようか?」


――勝った。美緒は心の中でガッツポーズをした。


このセリフは、恋愛における最強の踏み絵だ。


もし翔が自分に気があるのなら、ここで激しく動揺し、「いや、僕には美緒さんが……」とか、「そんな、先輩以外の女の子には興味ありません」と、顔を赤らめて本音を白状するはずなのだ。


さあ、どう来る? 凄腕のハンターさん。


翔はピタリと漫画を読む手を止めた。


ゆっくりと顔を上げる。その目は丸く見開かれ、驚きに満ちていた。


「えっ……! 本当すか!?」


「……え?」


美緒の思考がフリーズした。


翔の顔は、美緒の予想した「気まずい動揺」ではなく、純粋無垢な、宝くじに当たった子供のような輝きを放っていた。


「めちゃくちゃ紹介してほしいです! 俺、大学入ってからバイトと漫画の往復だけで、女の子の連絡先、実家のオカンと姉貴しか登録されてないんすよ! マジすか美緒さん、神!」


「……は? え? あ、ええ……?」


ノリノリである。100%の善意と期待を込めて、翔は身を乗り出してきている。


美緒の完璧なシナリオが、音を立てて崩れ去っていく。


(な、何よこれ……!? どうしてそんなに大喜びしてるのよ! 普通はそこで私に気を遣って、ちょっとは否定するものでしょう!?)


プライドを粉々にされた美緒は、みるみるうちにパニックに陥った。焦りと屈辱で、心臓がうるさいほどに脈打つ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「へ、へえ……。やっぱり、男の子だもんね。そういうの、興味あるんだ……。じゃ、じゃあさ、どんな子がタイプなわけ? ほら、この雑誌の表紙みたいな、グラマーな子とか?」


美緒は苦し紛れに、翔が机に広げていた週刊誌の表紙をバシッと指差した。そこには、水着姿で豊満なバストをこれでもかと強調した、今をときめく巨乳グラビアアイドルの写真が印刷されていた。


これならどうだ。どうせ男なんて、こういう分かりやすい身体に目を奪われる生き物なのだ。そうやって俗っぽい本性を現せばいい。


しかし、翔は表紙のグラドルを一瞥すると、心底めんどくさそうに首を横に振った。


「あー……。いや、こういう子はちょっと苦手なんすよね。なんていうか、胸が大きすぎる人って、品がなさそうだし、なんか圧迫感あるじゃないですか。僕はもっと、こう……スラッとしてて、スレンダーな子の方が断然好みなんです。胸なんて、むしろ無い方が綺麗っていうか、Aカップくらいが一番最高じゃないですか?」


「…………っっっ!!!!」


美緒の全身の血が、一瞬で沸点に達した。


パシィィィン!! と、美緒の脳内で何かが弾ける音がした。


(Aカップ……!? スレンダー……!?)


何を隠そう、大学一のマドンナと謳われる木崎美緒の、唯一にして最大のデリケート・ゾーン。それが、モデル並みの高身長に対して、いささか慎ましすぎる「Aカップの激スレンダー体型」だった。


美緒の顔が、耳の裏まで真っ赤に染まっていく。


(な……な、ななな……何言ってるのよ、この男は……っ!?)


美緒の脳内コンピューターは、この想定外の事態を処理するために、ものすごい速度でウソの計算を弾き出し始めた。


『可愛い友達を紹介する』という罠に対し、あえて乗っかることで私の嫉妬心を煽った。


その上で、タイプを聞かれた瞬間に、私の最大の特徴である「Aカップ・スレンダー」をピンポイントで指名してきた。


つまりこれは、「俺が好きなのは、今ここにいるお前(美緒)だ」というメッセージを、遠回しに、しかし確実に突きつけているのだ……!


(な、なんて恐ろしい男……!! 「グラドルより、お前の方が最高だ」って、私の体型を完璧に狙い撃ちした上級口説きテクニックじゃない……っっ!!)


「美緒さん? 顔真っ赤っすよ? エアコン、温度下げます?」


邪心ゼロの、純粋に心配そうな目で覗き込んでくる翔。


その「無邪気な獲物を狙う目(と美緒には見える)」に耐えきれなくなって、美緒はトレイを胸に抱きしめ、ガタガタと震えながら一歩後ろに下がった。


「な、何言ってるのよバカじゃないの!! うちのエアコンは26度固定よ!! 誰がアンタなんかに友達を紹介するもんですか!! 漫画読んでないで、さっさとコーヒー飲み干して帰りなさいよねっ!!」


「えぇーっ!? 紹介してくれるって言ったのに! 理不尽すぎる!」


理不尽に怒鳴られ、本気でショックを受ける翔を置き去りにして、美緒は逃げるようにカウンターの奥へと引きこもった。


胸元をぎゅっと押さえる。心臓のバクバクが止まらない。


(あぶなかった……。もう少しで、あの涼しい顔をしたハンターの術中に嵌まるところだったわ……。なんて底知れない後輩なのかしら……っ)


カウンターの影で、一人顔から火を吹きそうになっている美緒。


窓際で、「やっぱり、綺麗な人は気まぐれでめんどくさいなぁ」と、すぐに漫画に目を戻す翔。


美緒の壮大なる勘違いの羅針盤は、狂ったようにさらに速度を上げて回り始めていた。


(第2話・終わり)

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