美緒のあいあい傘か香織の助手席か
平日の夕暮れ前。
さっきまで晴れていた空が急に暗転し、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が喫茶『サフラン』の窓を激しく叩きつけ始めた。
カウンター席では、翔がスマホの画面を見ながら頭を抱えて白目を剥いている。
「嘘だろ……。あと30分で『クローバー』のバイトシフトなのに、この豪雨は傘なしじゃ10秒でびしょ濡れになる……」
店の入り口で外を睨みつける翔の背中を見ながら、私は自分のバッグの中にある、お気に入りの可愛い折りたたみ傘をそっと指先でなぞった。
――……勝ったわ。完全勝利よ。
私の脳内に、今度はまばゆい後光とともに『恋愛の神様』が降臨した。
これは天が私に味方したとしか思えない。あいつのボロアパートはここから目と鼻の先。
常連のお客さんに「ちょっとすぐそこまで、店をお願いね!」と留守番を頼んで、私が「仕方ないから、すぐそこのあんたのアパートまで入れてあげるわよ」と、極上の慈悲(相合い傘)を差し伸べるの。
わずか数分間の短い道のり。だけど、狭い傘の下で肩を寄せ合い、雨の音に心臓のバクバクをごまかしながら歩く。アパートに着いたら「これ、クローバーまで使っていいわよ」って傘を貸してあげる。
濡れた髪を気にする私の横顔を見て、あいつは今度こそ理性を消し飛ばして、雨の中で愛を叫ぶに決まってるわ!ウフフフフ
「ちょっと、翔。あんた傘持ってないんでしょ? 仕方ないから、すぐそこの――」
私が声をかけようとした、まさにその瞬間。
カランコロン! と激しく店のドアが鳴った。
「お疲れさまでーす! 翔先輩、やっぱりここにいましたね!」
……は?
入ってきたのは、濡れた大きなゴルフ傘をパタパタと振り払いながら、満面のひまわりみたいな笑顔を浮かべる女の子――香織だった。
「香織!? なんでここに……」
「クローバーの店長から、繁華街の方はもう土砂降りだから、翔先輩が足止め喰らってたら車で拾ってってあげてって言われて。今日、たまたまお父さんの車を借りてきてたんでラッキーでした! お店の前に横付けしてるんで、早く乗りましょ!」
「マジで!? 助かったー! 香織、お前マジで女神!」
翔はこれ以上ないほどの歓喜の表情を浮かべると、身軽に立ち上がった。香織はそんな翔を面白そうに見つめ、それから私の方を向くと、すべてを察したような確信犯の笑みで小さくウインクした。
「じゃあ美緒さん、俺バイト行くんで! ごちそうさまでした!」
ガラガラ、ピシャーン。
ドアが閉まり、香織の運転するセダンが激しい水しぶきを上げて走り去る。
静まり返る視界。
「なによ……なによあれーーーーーー!!」
手の中の、まだ開いてさえいない折りたたみ傘がみしりと軋んだ。
私の脳内には今、目の前の景色以上のゲリラ豪雨と、巨大な落雷が荒れ狂っている。




