汚れたウエディングドレス
平日の昼下がり。ランチタイムのピークが過ぎた喫茶『サフラン』の厨房で、私は満足げに髪をかき上げていた。
目の前にあるのは、とろっとろの半熟卵に、じっくり煮込んだ特製デミグラスソースをこれでもかと回しかけた、試作の新メニュー『特製オムハヤシ』。
ふん、完璧ね。大学のマドンナである私が作った料理よ?
あいつ――翔は、絶対に私が好き。だって、あんなに私にベタベタ執着して毎日サフランに通いつめてるんだから。……なのに、あいつは一度だって男らしく好意を言葉にしてこない。ぶっちゃけ、その生殺し状態に私は毎日めちゃくちゃ苛立っている。
でも、今日こそチェックメイトよ。
理学部物理学科の「物理学実験」のレポートは、パソコンでの膨大なデータ解析と数式の証明が必要で、計画性のないあいつは案の定、締切前日の今朝まで白目を剥いて自業自得の徹夜をしているはず。
脳のエネルギーが絶対零度まで冷え切ったこのタイミングで、私の作った極上のオムハヤシを食べさせてあげる。
胃袋を極限から掴みにいけば、ついに理性が消し飛んで「美緒さん、好きです!」って白旗をあげるに決まってるわ!
カランコロン、と店のドアが鳴った。
案の定、目の下にものすごいクマを作ったゾンビ状態の翔が、フラフラとカウンター席に滑り込んでくる。
「……死ぬ。マクスウェル方程式の呪いで死ぬ……」
「ちょっと、死にかけのゾンビ。ちょうど良かったわ。新メニューの試作だから毒味しなさい」
私はわざとツンとすましたトーンで、大盛りのオムハヤシを差し出した。
翔は一瞬、目をカッと見開いた。
「……救世主……!」
飢えた獣のような勢いでスプーンを動かし、オムハヤシを口に運ぶ翔。
一口、二口。限界を迎えていたあいつの脳に、卵のコクとデミグラスの濃厚な旨味が染み渡っていくのが見て取れる。
そして翔はスプーンを止め、いつになく真剣な、真っ直ぐな目で私を見つめてきた。
「……うまいっす。これ、めちゃくちゃ美味い。正直、一生毎日、この料理を食べさせてほしいくらいです」
――カーン、コーン、カーン、コーン……。
私の脳内で、突然まばゆい光と共に、盛大な教会のウェディングベルが鳴り響いた。
いっ、一生毎日食べさせて……!?
翔の無自覚な天然タラシ発言に、私の心臓はもはや爆発寸前だった。
「べ、別に……あんたがそこまで言うなら、毎日作ってあげなくもないけど……?」
赤くなる顔を隠すようにそっぽを向いた私に、翔はスプーンを動かしながら、あまりにもあっさりと告げた。
「あ、いや、毎日だとさすがに飽きるんで。たまにはナポリタンがいいっす」
――チーーーン。
盛大なウェディングベルは一瞬で消え去り、私の脳内には厳かな仏壇の鐘の音が響き渡った。
永遠の誓い、強制終了。
純白のウェディングドレスは、あいつがのたまった「ナポリタン」の、無慈悲に飛び散るケチャップのシミでもう台無しだった。




