翔の反省
翔のアパートは、サフラン近くの古いワンルーム。
六畳のフローリングに、安いローテーブルと布団。
壁には天体写真のポスターが一枚だけ貼られている。
静まり返ったその部屋で、翔は信州の農家から買ってきた特産りんごの入ったレジ袋を前に座り込んでいた。
「……怒られたなぁ」
ぽつりと呟く。
サフランでの美緒の怒号が、まだ耳に残っているらしい。
翔はりんごを一つ取り出し、じっと見つめた。
そして、着ているTシャツの袖口でキュッキュッと表面を磨き始める。
(お土産、喜ぶと思ったんだけどな……。信州の採れたてだし、波長(色)の鮮やかさも抜群で、糖度と酸度のバランスも完璧だったのに。
美緒さん、サフランでいつも忙しそうだから、果糖で疲労回復してもらおうと思ったのに……)
本気でそう思っている顔だ。
翔にとって美緒は“サフランでよく話す人”くらいの認識で、怒鳴られた理由も半分くらいしか理解していない。
翔はスマホを取り出し、メモアプリを開いた。
画面には、翔なりの大まじめな思考が打ち込まれていく。
5日間行かなかったから?(常連としての顔出し不足?)
信州の星空の話で「大気が澄んでいて光害レベルが〜」と熱弁しすぎた?
電波の届かない山奥にいたとはいえ、連絡しなかったから?(でも連絡先を知らない)
りんごの品種が好みじゃなかった?
「……うーん」
根本にある「心配させた」という文字は、どこを探しても見当たらない。
完全に明後日の方向に頭を抱えている。
そのままスマホのフォルダを開き、サフランで見せた信州の夕焼け、そして一眼レフで撮った圧巻の星空写真を見返した。
(これ、見せたかったんだけどな……。“光の屈折率が〜”って説明したら、なんか余計怒られたし……)
自覚はないが、怒られた原因の半分はその“理系語り”である。
翔はため息をつき、布団にごろんと倒れ込んだ。
ポスターが一枚あるだけの静かな部屋。自分だけの無音の世界は落ち着くけれど、サフランで怒鳴っていた美緒のパワフルな声が、不思議と耳から離れない。
(あの人、怒ると声でかいし……店の空気が一気に変わるんだよな。でも……なんか、あったかいんだよな)
翔は天井を見つめながら、ぽつりと呟いた。
(……よし。明日、もう一回行こう。今度は『屈折率』の話は一切しないで、『このりんご、甘いです』とだけ言おう)
反省のベクトルはズレているが、本人は大真面目だ。
翔は布団の上で寝返りを打ち、静かに目を閉じた。
(美緒さん、明日は機嫌いいといいな……)
――その頃、閉店後の「サフラン」。
「……ハックション!」
美緒はカウンターで盛大にくしゃみをし、鼻を擦っていた。
誰もいない店内に、ぽつんと置かれた赤いりんご。
「あいつ……5日も消えておいて、連絡先すら教えていかないとか、ほんと何考えてんの……! 心配して損したわバカ翔!」
パイプ椅子をガラガラと引きずりながらイライラと毒づく。
だが、その視線はりんごから離れない。
美緒はふうと大きな溜め息をつくと、乱暴にりんごを手に取り、皮を剥くために調理場へと向かった。
「……次来たら、絶対に連絡先書かせるから」
――翔の静かな夜と、美緒の少し騒がしい夜は、こうして更けていった。




