無自覚のプレデター
私は山下香織。バイトしている洋風居酒屋『クローバー』のカウンターは、今日もそれなりに賑わっている。
私はいつもホール担当、翔先輩もメインはホール担当だが、時々カウンターに入っている。今日はその時だ。
ぶっちゃけ、翔先輩の仕事は完璧だ。無駄のない動きでオーダーをこなし、グラスを磨く姿は絵になる。昼間は髪ボサボサでさえない、大学3年目留年中の理系劣等生のはずなんだけど。
「あの、すみません。飲みやすくて、パッと華やかなお酒ってありますか?」
カウンターの端に座った、二十代半ばの若いOL風の女性客――マユミさんが、少し疲れた顔で先輩に声をかけた。
いつもなら、カシスオレンジかシャンディガフあたりでお茶を濁すところだ。なのに、翔先輩はいつもの気の抜けた平熱トーンのまま、とんでもないキラーパスを繰り出してきた。
「実は……まだお客様にお出ししたことのない、僕が考えた新作のカクテルがあるのですが。そちらでもいいですか?」
(ちょっと先輩、何その『君が初めてだよ』みたいな特別感の演出!?)
案の定、マユミさんの目がパッと輝いた。私はおしぼりを畳みながら、心の中で全力のツッコミを入れる。
先輩が差し出したのは、息をのむほど鮮やかなエメラルドグリーンのカクテルだった。
グラスの周囲にはパインやオレンジが華やかに飾り付けられ、そして何より――中心にはバチバチと火花の散る「花火」が突き刺さっている。
薄暗い店内に、パチパチと弾ける光とエメラルドの液体が美しく浮かび上がる。
「わあ……! すごいきれい……! 最新の演出ですか?」
マユミさんは、完全に目がハートになっていた。
花火が静かに消え、余韻の中で彼女がストローに口をつける。
「……おいしい。すごく美味しいです」
「良かったです」
「あの、このカクテル、なんて名前なんですか?」
上気した顔で身を乗り出すマユミさん。
すると先輩は、何かの名前を思い出したように、淡々と言い放った。
「『マユミラブ』です」
ぶっっ!!
私は持っていたおしぼりの山を、そのままカウンターの床にぶちまけた。派手に膝をガクつかせ、あやうく自分まで床に転がるかと思った。
何それ!? いきなり初対面のお客さんを口説きにいったよこの人!?
心臓のバクハツ音をBGMに慌てておしぼりを拾い集める私を完全に無視して、マユミさんに至っては、完全にキュン死状態だ。顔を真っ赤にして、カウンター越しに先輩の手元へ限界までジリジリと距離を詰める。
「マユミ、ラブ……。ねぇ、お兄さん。この後、お店何時に終わるの? もしよかったら、この『ラブ』の続き、別の場所で教えてくれない……?」
トドメの猛アプローチ。完全に仕留めにいっている。
対する翔先輩は、1ミリも表情を変えず、首を傾げて、ただの「システムエラー」を処理するようなトーンで返した。
「え? 別の場所では無理ですよ。ここで無いと材料が揃わないから出来ません」
……はい?
マユミさんの動きが、ピキリと止まった。
チーン、という幻聴が聞こえた気がした。
あまりにもノンシャランな、100%の現実の壁。
息をするように女心を現実の底へ突き落とした先輩は、何事もなかったかのように「あ、お冷や足しますね」とピッチャーに手を伸ばしている。
ちなみに後で知ったが、カクテルに使ったハーブの和名が『マユミ』で、ベースがラム(RUM)だったらしい。もはやLOVEでも無い。悪意ゼロ。だからこそタチが悪い。
私は、石化して財布を握りしめているマユミさんに、そっと「うちの先輩、頭の回路が物理の法則でできてるんで、すみません……」と心の中で平謝りしながら、別の強いお酒を差し出した。
美緒先輩。
先輩が普段どれだけ高負荷な脳内ウルトラCを強いられているか、私、今なら地球レベルで理解できます……。
(……ふふ、でもこれ、美緒先輩に告げ口したらどんな顔するかな)
「な、何よそれ! 私への当てつけ!?」と脳内暴走するだろうな。
(第11話・終わり)




