第42話 礎祭
執務室に、重い沈黙が落ちた。
法の時計は、五年。
私が作ろうとしている新しい法律が動き出してから、五年。それが、この土地に残された時間だった。
けれど、男爵ご夫妻の時計が、あと何年残っているのかは、誰にも分からない。
私が組み立てている法律の骨組みは、最後の一枚だけが、どうしても埋まらなかった。
スミス男爵領にしまわれた魔石は、もう残り少ない。魔力をためておく、大切な石だ。
平民が差し出す魔力を、一人あたり六に抑えても、それでも五年で底をつく。
その足りない分を、ご夫妻に背負わせるわけには、いかなかった。
――どうすれば、いい。
考え込んでいた私の耳に、のんびりした声が届いた。
「あらあら。みんなそろって、お葬式みたいな顔をして」
声の主は、当の夫人だった。
夫人は扇を開くと、ゆったりと自分を扇いだ。
「足りないなら、自分から出してもらえばいいじゃないの」
「……出して、もらう?」
「ええ。お祭りをするのよ」
その一言に、誰もが、言葉を失った。
「秋の収穫が終わったらね、みんなでお酒を飲んで、ごちそうを食べるの。歌って、踊って。そのついでに、元気の余っている人だけ、ほんの少し、魔力を分けてもらうのよ」
「お母様?」
シェリーが、額に手を当てた。
「今、真面目な話をしてるのよ」
「あら、大真面目よ」
けれど、私は笑わなかった。
笑え、なかった。
頭の中で、何かが音を立てて、かみ合いはじめていた。
――決まりで取られる魔力は、「奪われるもの」だ。
でも、自分から注ぐ魔力は。
「……『捧げるもの』に、変わる」
私は、ペンを取り落としそうな勢いで、紙を引き寄せた。
「魔力を差し出す日は、年に四回あります。そのうち、秋の一回だけを、お祭りに変えます」
言いながら、頭が、回りはじめる。
「午前は、いつもどおり。午後は、余裕のある人だけが、魔力をもう少しだけ注ぐ。あくまで、自分の意志で。そして夕方。注いだ人も、注がなかった人も、同じ席で、お酒と料理を囲むんです」
「順番が、肝心だ」
ベガが、静かに口を開いた。
「酔った身体から魔力を採るのは、危うい。先に注いでもらってから、樽を開けることだ」
「はい。注いだ人から、樽が開く。それを、お祭りの決まりにします」
書き留めるペンが、いつのまにか、速くなっていた。
集まった余りの魔力を、どこに使うか。
それは、もう、決めていた。
――男爵ご夫妻の、持ち出しを減らす。
ご夫妻の時計は、法律では延ばせない。ずっと、そう思っていた。
でも、もしかしたら。延ばせるかも、しれない。
「……待って」
シェリーが、眉を寄せた。
「それ、本当に『自分の意志』になる? 村は、狭いよ。誰が注いで、誰が注がなかったか、すぐに広まる。『あの家は、お祭りで注がなかった』。そんな陰口が始まったら、結局、断れなくなる気がする」
私は、はっとした。
紙の上の理屈には、村の人たちの目が、書かれていなかった。
「……そうですね」
私は、少し考えた。
「なら、一人ずつ、みんなの前で注ぐんじゃなくて。……踊りながら、注ぐのは、どうでしょう」
「踊り……ながら?」
シェリーが、目を丸くする。
「いい考えね」
夫人が、ぽんと手を打った。
「踊りの輪のあちこちに、吸魔石を置いておくの。魔力を吸い取る石よ。まだ踊れる人が、輪を回りながら、少しずつ、魔力を分けていくの」
「そうすれば、誰が、どれだけ注いだかも、分からない」
私の言葉に、シェリーは、ようやくうなずいた。
吸魔石が集めた魔力の行き先は、これまでと変わらない。
お祭りが終わり、人が去った真夜中。それを、地下の白礎樹へ流す。この土地を生かしている、白い大樹へ。
領民は、自分の注いだ魔力が、どこへ流れていくのかを、知らないままでいい。
「もう一つ」
戸口から、低い声が飛んだ。
アルテミシアだった。
「余裕のある者だけ、と言ったがね。余裕なんて、自分じゃ分からんて。見栄を張って、注ぎすぎるあほが、必ず出るで」
「だったら」
夫人が応じた。
「注ぐのがつらくなってきた人には、係の人が声をかけて、踊りの輪から外れて、休んでもらうの。誰が注いだかを見るためじゃなくて、無理をしていないか、を見るためにね」
「ええ」
私はうなずいた。
「それなら、誰がどれだけ注いだかは分からないまま、注ぎすぎる人だけを、止められます。……魔力の出しすぎを、前もって防げます」
私は、命数帳に手を載せた。
一人ひとりが、あと、どれだけ生きられるか。これまで、どれだけ魔力を出してきたか。それを記した、帳面だ。
「それに、いつもの魔力の差し出しも、この帳面と照らし合わせます。身体に余裕のない人は、その年は通さない。……記録をつける係には、産婆さんと、もう一人。信頼できる人を」
私は、アルテミシアを見た。
「……何だね、その目は」
「足が治ってから、で構いません」
私は、まっすぐに言った。
「帳面を見て、人を見て。通すか、止めるかを、決められる人が要るんです。情に流されず、それでいて、止められた人が、惨めにならないように言える人が」
アルテミシアは、しばらく、私をにらんでいた。
それから、ふん、と鼻を鳴らす。
「『今年は、あんたの番じゃにゃあ。食べて帰りゃあ』。とでも言やあ、ええんかね」
「……それです。それが、言える人です」
「ただな」
アルテミシアが、そこで目を細めた。
からかいの色が消えて、刃のような光が、戻ってくる。
「どれだけ綺麗なお祭りにしたところで。取っとることに、変わりはにゃあがね」
部屋が、静まった。
「歌って、踊って、酒を振る舞って。それでも吸っとるのは、人の寿命だて。飾った分だけ、たちが悪いとも言えるで」
夫人の扇が、いつのまにか、閉じていた。
私は、逃げなかった。
「ええ。取っていることに、変わりはありません」
一度、息を吸う。
「白礎樹がある限り、誰かが魔力を注がなければ、この土地は死にます。それは、私には変えられない。私にできるのは、取り方を選ぶことだけです」
私は、静かに続けた。
「奪うのか。捧げてもらうのか。同じ量を集めるなら、私は、あとのやり方を選びます。……それを飾りだと言われるなら、その通りです。でも。奪われて死ぬのと、捧げて生きるのとでは。残された人の心に、違うものが残ると、私は信じています」
アルテミシアは、長いこと、私を見ていた。
「……まあ、ええわ」
ぽつりと言って、壁に立てかけた松葉杖へ、手を伸ばす。
「うちは、帳面の番をしながら、見させてもらうで。あんたのお祭りが、飾りで終わるかどうか」
「リディア様」
男爵が、静かに、進み出た。
「そのお祭りの、最初の一注ぎは。私に、お任せいただけますかな」
私は、息をのんだ。
「皆の、前で……ですか」
「皆の前で、です」
男爵は、自分の右手へ、目を落とした。
袖口からのぞく手の甲には、染みと、深い皺が、いくつも走っていた。二十歳の顔をした領主の、老いた手だった。
「領民は、魔力を差し出すことを、『平民だけが取られるもの』と思うております。私が、先に注げば。何も語らずとも、伝わるものが、ございましょう」
「あなた」
夫人が、ふわりと立ち上がった。
「ずるいわ。わたくしも、注ぎます。夫婦ですもの」
その口ぶりは、いつもの、のろけと同じ調子だった。
けれど、その言葉の重さに、私は、思わず唇を結んだ。
「名前は、どうするの?」
シェリーが、紙をのぞき込んだ。
「お祭りの名前。みんなが呼べる名前が、あった方がいいよ」
私は、少し考えた。
地の底の、白い大樹。土地を支える、礎。
その名を、領民は知らない。知らないまま、それでも。
「礎祭、というのは」
「いしずえ?」
「土地の礎に、実りを捧げる、お祭り。……ただ、それだけの意味です」
シェリーは「いい名前」とうなずいた。
何も、知らずに。
机を挟んで。私と、男爵ご夫妻の視線だけが、一瞬、静かに、交わった。
*
その夜。
執務室に、灯りが、一つだけ残っていた。
私は、書き込みで真っ黒になった骨組みを脇へ置き、新しい紙に、清書を始めていた。
数える。守る。延ばす。戻す。増やす。
五つの柱が、みんなの声をのみ込んで、昼間よりも、太い柱になっている。
ペンを置いて、私は、一番上の行に、法律の名前を記した。
――スミス領民命法。
インクが乾くのを待ちながら、ふと、手元の小さな帳面を開く。
今日、あったことを。誰が、何を言ったかを。一つずつ、書き留めていく。
シェリーの、言葉。
アルテミシアの、あの目。
夫人の、笑い方。
――忘れない、うちに。
どうして、そんな言葉が浮かんだのか。自分でも分からないまま、私は、ペンを走らせ続けた。
この法律で、本当に、うまくいくのか。
魔石が尽きる、五年。
領地のお金が尽きる、十年。
日ごとに老いていく、ご夫妻の残り時間。
そして、いつかこれを、国全体の法律へと変えていくこと。
考えなければならないことは、大きな川の底の砂のように、数えきれないほど、あった。
扉が、小さく叩かれた。
「リディアちゃん。まだ、起きていたの」
夫人だった。
湯気の立つ杯を、机の端に、ことりと置く。
「根を詰めすぎては、だめよ。ただでさえ、何度も倒れるほど、身体が弱いんだから」
「……はい」
夫人は、清書の一枚目をのぞき込み、目を細めた。
「いい法ね」
「まだ、紙の上だけです」
「紙の上に書けたものは、いつか、土の上に立つわ」
そう言って杯を勧める夫人の、手の甲を。
私は、見ないように、した。
見れば、数えて、しまうから。
三つの時計が、夜の静けさの中で、それぞれの速さで、時を刻んでいる。
その音に、追い立てられるように。
けれど、確かな足取りで。
私は、二枚目の紙へ、ペンを進めた。




