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第27話 風を断つ

 馬車が揺れている。


 草の根を車輪が踏むたびに、背骨まで震えが伝わってくる。


 御者台では、シェリーが手綱を握っていた。

 朝の光を背に受けて、その背中は前のめりになっている。

 一刻でも早く着く。

 それだけを考えている背中だった。


 幌《ほろ》の隙間の向こうには、地平線まで草原が続いていた。

 風が吹くたびに草の葉先が銀色に翻《ひるがえ》り、緑と銀の波が遠くへ走っていく。


 太陽は、まだ東の低い位置にある。


 指定された刻限は、太陽が天頂に来るまで。


 私はその数字を、胸の奥で何度も繰り返していた。


 ——「風の王座」へ向かっているのだ。



 *



 幌の中は薄暗かった。


 外の光が、布一枚を挟んだだけで橙色《だいだいいろ》の翳りに変わる。

 継ぎ目から差し込む細い光が、揺れに合わせて床を行ったり来たりしていた。


 私は、硬い座面に腰を下ろしていた。


 体にまとっているのは修道服だった。

 黒い長衣の裾を、両手で軽く押さえている。

 胸元の白い襟が固く、慣れない布地が首筋に擦れた。

 頭を覆うヴェールの縁から、黒い髪がひと房こぼれて、頬の脇で揺れている。


 ——黒髪のシスター。


 手紙の一句が、まだ耳の奥に残っていた。

 引き渡せと名指しされたのは、この姿だった。


 私は膝の上で両手を重ねた。

 指の先が、少し冷たかった。


 向かいには、ベガが座っている。



 *



「で、リディア」


 ベガのしわがれた声が、馬車の揺れの上にゆっくりと置かれた。


「お前さんは、紋章だけではなく、魔力が集まる様子も分かると申すのか」


 ベガの両手は膝の上で軽く組まれていた。

 胸元の銀の鎖の先に、いつもの紫の魔石がローブの中で揺れている。


「はい」


 私は頷いた。


「紋章が出た後に……熱い魔力とか、風の魔力とか。

 そういうものが近くに集まってくるのが、分かります」


 言いながら、自分の言葉の頼りなさを感じた。


 熱い。風の。

 それは本で読んだ整った言葉ではない。

 皮膚で受け取った感触を、いちばん近い言葉に置き換えただけだった。


 でも、ベガはその言葉を軽く扱わなかった。


「ふむ」


 ベガはゆっくりと顎を引いた。


「魔法とはな、紋章で自然の力を借り、それを魔石で形にする術だ」


 研究者の声だった。

 長く一つのことを掘り続けてきた者の、静かな熱がある。


「火を借り、風を借り、掛け合わせて、魔法は初めて形になる。

 だが、その場にどれだけ力が満ちているかで、魔法の強さは変わる」


 ベガの指が、何かの形をなぞるように小さく動いた。


「吹雪の中では、火の魔法が弱い。

 なぜか、分かるか」


 私は少し考えた。


「……その場に、火の力そのものが、もとから少ないから、でしょうか」


「そうだ」


 ベガの声が、低く弾んだ。


「術者の腕の問題ではない。

 その場に、どの力が、どれだけ集まっているか。

 それが、魔法の底を決める」


 ベガはそこで言葉を止めた。


 そして、私の顔をじっと見た。


「お前さんには、それが見えるのかもしれぬ。

 魔術師が皮膚でかろうじて測るものを、お前さんは目で」


 ベガの目の奥に、小さな熱が灯った。


「そうなんですね」


 私はその熱を、静かに受け止めた。



 *



「ねえ」


 御者台から、シェリーの声が割り込んだ。


 手綱を握ったまま、肩越しにこちらを振り返っている。

 今日は鎧ではなく、動きやすい軽装だ。

 でも腰の左には、長剣がきちんと下がっている。


 その淡い青の瞳が、ベガと私を順に見た。


「今は、アルテミシアさんを助けに行くんでしょ?

 そんなこと、話してる場合……?」


 語尾に、焦りが滲んでいた。

 でも手綱を握る指の力は、まだ抜けていなかった。


「今だからこそだ。

 風の王座に着いてから試す時間は無い。

 失敗すれば全員が死ぬ。

 この場で使えるようになれ」


 ベガはすぐに答えた。

 その声に揺らぎはなかった。


「これは、大きな力になるかもしれぬ」


 ベガはシェリーの方へ目を向けた。


「シェリー。お前さんが剣を振るうのと、同じだ。

 戦いの場に着いてから刃を研ぐ者はおらぬであろう。

 研ぐのは、いつも、その前ぞ」


 シェリーは口を開きかけて、閉じた。


 ——剣を研ぐ。


 その言葉だけは、シェリーの中の何かにまっすぐ届いたようだった。


「……分かった」


 シェリーはそれだけを言った。


 でも、手綱を握る指が、革の上で一度、固く握り直される。

 アルテミシアを捕らえた相手のもとへ、自分たちは向かっている。

 その重さを、シェリーは指の強張りの中に押し込めていた。



 *



 私の胸の奥が、わずかに前へ傾いだ。


 ——役に、立てるかもしれない。


 私は魔法が使えない。

 どれだけ練習しても、一番簡単な火の紋章ひとつ、外に出せない。

 訓練場で、それを思い知らされたばかりだった。

 父の形見のスティックも、私の中の何も動かさなかった。


 ——だが。


 剣を振れない自分が、剣を研ぐ手にはなれるのなら。


「どういう、ことですか」


 私は思わず身を乗り出していた。


 修道服の膝が、向かいのベガの膝のすぐ近くまで寄った。

 狭い馬車の中で、二人の影が、揺れる光の上で重なった。


「まずは、試してみる」


 ベガの口の端に、研究者の笑みが浮かんだ。



 ベガはローブの懐に手を入れた。


 引き出されたのは、革紐に通された小ぶりな魔石だった。

 握り拳の半分ほどの大きさで、表面は磨き上げられた琥珀《こはく》色をしている。

 胸元の紫の魔石とも、スティックの五つの魔石とも、明らかに別の種類のものだった。


 私はその色に見覚えがあった。


 ——訓練場で、額に当てられた、あの石だ。


 あの時、この石は、ベガの魔力をすごい勢いで吸い取り、その流れを私の内側へ流し込んだ。

 受け止めきれず、私はそのまま気を失った。


「これを、スティックに付けてみよ」


 ベガはその革紐を、私の方へ差し出した。


 私は腰の脇の革袋に手を伸ばした。


 中には、父の形見のスティックが収まっている。

 握りに五つの魔石が並んで埋め込まれた、あの一本だ。

 修道服の下に隠して、ここまで運んできた。


 引き渡される身の自分が、なぜこれを手放さずにいるのか。

 その問いに、私はまだ答えを持っていなかった。

 ただ——手放せなかった。


 私はそれを取り出した。


 握りの五つの魔石——藍、白、紫、赤、緑——の上を、幌の細い光がひと筋滑った。


 琥珀色の魔石の革紐を、スティックの真ん中あたりにゆっくりと巻きつける。

 紐の結び目を二度、固く締めた。


 琥珀色の石が、父の形見の軸の中ほどで、揺れに合わせて小さく鳴った。



「では」


 ベガは自分の杖を、ローブの内側から引き出した。


 狭い馬車の中で、杖の先をこちらへ向ける。

 先端の紫の魔石が、薄暗がりの中でわずかに色を深めた。


「今から、リディアに対して、ごく小さな魔法をかける」


 ベガの声が低くなった。


「狭い箱の中だ。大きな風は起こさぬ。

 だが、それでよい。

 力が集まるところに、そのスティックを近づけてみよ」


「分かりました」


 私はスティックを両手で握り直した。


 父が長く使い込んだ握りの跡に、私の指の腹がゆっくりと重なる。

 掌の中の木目が、少し頼もしく感じられた。


 ベガが目を閉じた。


 ——周りの空気が、変わった。



 最初に、紋章が見えた。


 私の目の前に、淡い光の線が空中に立ち上がってくる。


 手のひらに収まるほどの、小さな円。

 外側へ放射状に伸びる、細い線。

 線の先端で、それぞれが緩く渦を巻いている。


 ——風の、紋章だ。


 ベガが皮膚でかろうじて測るものが、私の前では、ひと筆ひと筆、空中に描かれた線として見えている。


 そして、その紋章に沿って、風の力が寄ってきた。


 馬車の中に、ごく弱い空気の流れが生まれる。

 ヴェールの縁が、ほんのわずかに震えた。

 頬の脇の黒い髪のひと房が、紋章の渦の方へすっと引かれていく。


 熱くはない。

 火の力とは違う、軽い、流れる力だった。


 私は、スティックの琥珀色の石を、空中の紋章の線へそっと沿わせた。


 なぞる、というよりは、撫でるように。


 すると——


 紋章が、ほつれた。


 糸の端を引いた織物のように、風の紋章の線が端からするすると解けていく。

 同時に、渦を巻いていた風の力が、琥珀色の石へ吸い寄せられ、そのまま吸い込まれて消えた。


 ——紋章が、消えた?


 握りの中で、琥珀色の石が、ほんのわずかに温んでいた。



「むっ」


 ベガの口から短い音が漏れた。


 閉じていた目の眉の根元が、ぐっと寄せられる。


 ベガはもう一度、杖の先を立てた。


 再び、私の前に風の紋章が立ち上がってくる。


 今度は——速かった。


 紋章の線が勢いよく組み上がり、その渦の中へ風の力が急速に流れ込む。

 さっきより一回り大きな円が、空中に広がった。

 空気の回転が、目に見えて密になっていく。


 修道服の裾が、はっきりと持ち上がった。


 ——力が、高まっている。


 紋章の渦の中心に、風の力が束になって渦巻いている。

 さっきよりも、ずっと濃い。


 私はスティックを握り直した。


 そして——その紋章を、空中で軽くなぞるように振り抜いた。


 琥珀色の石が、渦巻く風の力の中を、すっと横切る。


 その瞬間。


 紋章が、風の力ごと、琥珀色の石へ吸い込まれて消えた。


 持ち上がっていた修道服の裾が、ふっと重みを取り戻す。

 馬車の中の空気が、何事もなかったかのように、元の薄暗い静けさへ戻った。


 ——だが。


 吸い込んだ瞬間、私の額の奥に、冷たいものが流れ込んできた。


 細い糸のような流れが、額から首筋を伝い、胸を抜けて、腹の底まですっと降りていく。


 訓練場で、額に石を当てられた時と——同じ感触だった。


 頭の奥で、低い音がひと鳴り、鳴った。

 視界の縁が、わずかに白む。


「——っ」


 私は思わず、スティックを握る手に力を込めた。


「もうよい」


 ベガの声が、鋭く飛んだ。


 杖の先が、すっと下りる。


 額の奥の冷たい流れが、そこでようやく止まった。

 低い音が遠のき、視界の色が戻ってくる。


 私は、ひとつ、息を吐いた。



「ふむ」


 ベガが目を開けた。

 その目の奥に、満ちた光があった。


「思った、とおりだ」


 私はスティックをゆっくりと膝の上へ下ろした。


 ——消えた。


 ベガの組んだ紋章を、自分の手で解いた。

 風の力を、吸って消した。

 指の腹に、まだその感触が残っている。

 糸を引いてほつれさせるような、あの軽い手応え。


 私の胸の奥で、何かが静かに灯った。


「これで……」


 私はベガの目を見た。


「消えた……? 今のは……私が?」


 声が、少し上ずった。

 抑えるつもりが、抑えきれなかった。


 魔法が使えない自分が。

 剣を振れない自分が。

 それでも——相手の組んだ魔法を、形になる前から見抜き、形になった後で、解いて消せる。


 それは、私が初めて手にした、自分の力だった。



「そうだと、思う」


 ベガは頷いた。


 でも、その声には少しの慎重さがあった。


「——なにしろ、前例が無い。これは、予想でしかないがね」


 ベガは、私の掌の中のスティックをしばらく見つめた。

 研究者の確信と、それと同じだけの未知への用心とが、その目には半分ずつ宿っていた。


 そして、ベガは私の目をまっすぐ見た。


「ただ、リディア」


 その声が低くなった。


「あの石が吸い取るのは、相手の紋章と、そこへ集まった力だ。

 だが、吸い取った力は、消えてなくなるわけではない。

 行き場を失って、お前さんの内側へ流れ込む」


 ベガの指が、私の腹のあたりを軽く指した。


「訓練場で気を失った、あれと同じことだ。

 小さな魔法を一つ二つ吸うくらいなら、なんともない。

 だが、大きな魔法を続けて吸えば——その分が、お前さんの中に溜まる。

 溜まりすぎれば」


 ベガはそこで、一拍、置いた。


「——また、倒れる。

 下手をすれば、それきりだ。

 あまり、連発するのではないぞ」


「はい」


 私は頷いた。


 ——何度も、は使えない。


 引き渡しの場で、もし相手が魔術師を擁していたら。

 自分が解いて消せる魔法の数には、限りがある。

 その細い余白の上に、アルテミシアの命も、自分の命も乗っている。


 私は、掌の中のスティックをもう一度握り直した。



 その時。


 背筋に、ぞわりと悪寒《おかん》が走った。


 首の後ろの産毛《うぶげ》が逆立ち、指の先がすっと冷えていく。

 馬車の揺れも、車輪の震えも、一瞬、遠くへ退いた。


 そして——


 私の瞼の裏に、別の景色が流れ込んできた。



 夜だった。


 机の上に、一冊の本が開かれている。

 羽根ペンの先が、余白に休みなく文字を書き込んでいく。

 指の腹は、もう、ずっと冷えていた。


 胸元には、大きな魔石が下がっている。

 その紫の光だけが、暗い部屋の中で本の上を照らしていた。


 ——あと、少し。


 その独り言が、自分の喉の奥から漏れた。

 いや、自分のではない。これは……


 顎に、片手をやる。


 指の腹に、ごわごわとした髭の感触が触れた。

 長く剃っていない、白髪混じりの髭の手応えだった。


 窓の外が、わずかに白んでいた。


「あぁ、もう……朝か」


 そのしわがれた声が、自分の口から漏れた。



 私は我に返った。


 馬車の揺れが、車輪の震えが、また背骨へ戻ってくる。

 幌の隙間の細い光が、床の上を行き来していた。


 掌の中のスティックの感触が、現実の重さを取り戻す。


 ——いまのは。


 机に向かう、冷えた指。

 胸元の紫の魔石。

 顎の、白髪混じりの髭の感触。

 窓の外の、夜明けの色。


 それは、私の記憶ではなかった。

 ベガの、昨夜だった。


 ベガの紋章を解く時、その魔力のやり取りの中で、ベガの昨夜がひと筋、私の中へ流れ込んできたのだ。


 以前にも、同じことがあった。

 応接間の後で見た、若いベガの夢。

 あれと——同じものだった。



 私はベガの顔を見た。


「ベガ、さん……」


 私の声は低かった。


「なんだね?」


 ベガは、杖をローブの内側へ仕舞いながら顔を上げた。


 私は一度、唇を結んだ。


 ——どこまで、言うべきか。


 人の記憶が流れ込んでくる、ということは言えない。

 でも、見たものを、何も無かったことにもできなかった。


「夜通し……研究を、していましたね」


 私はそれだけを言った。


 改めてベガの顔を見ると、目の下の隈がいつもより濃い気がした。


 白髪交じりの眉の下、皮膚の翳りが薄暗がりの中で深く沈んでいる。

 顎の髭も、確かにいつもより伸びていた。

 剃る間も惜しんで、研究に向かっていた者の顔だった。



 ベガは、私をしばらく見た。


 その目の奥で、何かがわずかに動いた。


 なぜ分かった。

 そう問おうとする色が、一瞬、皺の間をよぎる。


 でも、ベガはそれを問わなかった。


「ふむ」


 ベガはただ短く、そう言った。


「——なんのことか」


 そして、それ以上、何も言わなかった。


 ベガはローブの胸元を軽く整えた。

 仕舞った杖の重みを確かめるように、片手をローブの内側に当てる。

 その手の甲の皺の上を、揺れる光がひと筋、撫でて通った。


 私は、それ以上、追わなかった。


 ——この人は。


 アルテミシアを助けるための、この力。

 それを少しでも確かなものにするために、ベガは昨夜、一睡もせず頁に向かっていた。

 剃る間も惜しんで。

 胸元の魔石の光だけを頼りに。


 問えば、はぐらかす。

 でも、その隈と、その髭が、すべてを語っていた。


 ——ありがとうございます。


 その言葉を、私は口には出さなかった。

 出せば、ベガはまた「なんのことか」とはぐらかすだろう。


 だから、私はただ頷いた。

 仕舞われたスティックの上の琥珀色の石を、もう一度、指の腹でそっと確かめながら。



 *



「リディー」


 御者台のシェリーの声が、幌越しに聞こえた。


 幌の隙間から覗くと、前方の草原の向こうに、ごつごつとした岩の影が見え始めていた。

 外の光が角度を変えていた。

 太陽は、もう、東の低い位置にはいない。

 草原の銀の波が、先ほどよりも白く、強く輝いている。


「もう少しで着くよ」


 シェリーが、肩越しにこちらを見た。


「リディー……本当に、大丈夫?」



 その問いに、私の掌に汗が一気に吹き出した。


 握り直したスティックの軸が、汗でわずかに滑る。


「風の王座」。

 引き渡しの場。

 相手は、領民を一人残らず殺すと書いた、荒野の兄弟団。

 そこへ、私は引き渡される身として向かっている。


 生きて、国を救え。

 父が最後に遺した言葉が、胸の底に重く沈んでいた。

 その自分が、いま、自らの足で、敵の手の中へ運ばれていく。


 ——私が、捕まれば。


 私はその先を考えかけて、息を止めた。


 握りの中の、魔力を吸い取る石。

 自分に残された、ただ一つの牙。

 数えるほどしか振るえない、その細い力。


 そして——その場に、アルテミシアがいる。


 森で三人の盗賊を、修道服の裾を翻してほんの一瞬で地に沈めた、あの背中。

 井戸の縁で修道服を揉み洗いしていた、あの背中。

「同じ町の中だ。お務めの合間に、顔は出すで」と訛りをこぼした、あの声。


 その人が、捕まっている。


 私は膝の上で、汗ばんだ手を一度、固く握り直した。


「大丈夫」


 私は答えた。


 声が震えそうになるのを、喉の奥で押さえた。


「……シェリーも、気をつけてね」



「盗賊なんかに、負けないから」


 シェリーは、ふっと口の端を持ち上げた。


 手綱を握り直すその手に、ぐっと力がこもった。


「心配しないで。さっさとやっつけて、早く帰るよ」


 その声には迷いがなかった。


 でも、柄に添えた指の節は、わずかに白んでいた。

 相手はアルテミシアを捕らえた連中だ。

 それを誰よりも分かった上で、シェリーは強さの方を声に乗せていた。

 両親の老いという消えない重荷を胸に抱えたまま、それでも前を向くと決めた者の声だった。


「うん」


 私は頷いた。


 シェリーのその揺るがなさが、私の汗ばんだ手の強張りを、少しだけほどいた。



 馬車が揺れている。


 御者台のシェリーの背が、また一段、前へ傾く。

 蹄の音がわずかに速まる。

 草原の銀の波が、幌の隙間の向こうを、後ろへ後ろへと流れていった。


 太陽は、刻一刻と、天の高みへ昇っていく。


 私は掌の中のスティックを、両手で静かに握りしめた。


 巻きつけた琥珀色の石の冷たさが、汗ばんだ指の腹に、ひたりと伝わってきた。


 ——アルテミシアさん。


 私は目を閉じた。


 ——どうか、無事で。


 風の王座は、もう、その先にあった。

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