EP75:風の試練の終わり、女神顕現 [LOG_EXAM_PASS]
風の修行も、いよいよ卒業試験です。
羽根一枚から始まったはずなのですが、
なぜか石が増え、大岩が増え、水まで増えました。
どうやらセレスティアには、まだ凛の底が見えていないようです。
そして、無事に試験が終わればそれで終わり……とはならないのが今回のお話。
風修行編、ひとつの節目です。
どうぞ最後までお楽しみください。
その日の修行場は、皮肉なほど静かだった。
風を学び始めてからというもの、凛は無意識に空気の流れを探す癖がついていた。頬を撫でる冷たさ、草の葉が傾く角度、木々の梢がわずかに擦れる音。けれど今朝は、そのどれもがほとんど動かない。山あいの空気まで息を潜め、これから始まるものを待っているようだった。
修行場の端には、岩を積み上げて造られた細長い塔が立っている。見上げれば首が痛くなるほど高く、頂は地上から数十メートルはあるだろう。
凛の正面にはセレスティアが立ち、その少し後ろにはラヴィとスカイゼルが控えている。いつもの修行なら何かしら騒がしい二人まで、今日は妙におとなしい。
セレスティアが白い羽根を一枚、指先でつまんだ。
「今日は卒業試験よ、凛」
凛は羽根ではなく、セレスティアの目を見た。
「承知しました」
「ずいぶん素直になったじゃねえか、嬢ちゃん」
「スカイゼル様。今は茶化すところではありません」
「俺様は緊張をほぐしてやってんだよ」
「それこそ、無用かと」
ラヴィが小さく息をつき、セレスティアは二人を一瞥しただけで、羽根を地面へ置いた。
「最初はこれよ。地面から、この塔の高さまで持ち上げてごらんなさい」
「それだけですか?」
「ええ。ただし、触れないこと。シルフィアにも手伝わせないこと。それから、周囲の草を一本も揺らさないこと」
『僕は見学なの?』
「当然でしょう。これは私の試験なのよ」
『はいはい。今日は静かに見てるよ』
軽い返事が頭の内側で遠ざかる。
凛は羽根へ視線を落とした。
何の変哲もない、柔らかな白い羽根。強く吹けば飛ぶ。弱すぎれば浮かない。しかも数十メートル先まで、周囲へ一切の影響を漏らさず運ばなければならない。
だが、それだけなら考えるほどのことではない。
掌を向ける必要すらなかった。
羽根の真下だけに、細い上昇の流れを置く。
白い羽根がふわりと浮いた。
周囲の草は動かない。凛の髪も、ラヴィの外套の裾も揺れない。羽根だけが見えない糸で吊られたように上昇し、やがて塔の頂と同じ高さで静止した。
「これでよろしいですか?」
「そうね」
セレスティアは淡々と答えると、足元から小さな石を一つ拾った。
「では、これも」
「石も?」
「羽根と同時に。同じ速さで、同じ高さまで」
スカイゼルが片眉を上げる。
「お師匠、最初っから嫌な感じだな」
「あら、そうかしら? 褒め言葉として受け取っておくわ」
セレスティアが石を羽根のあった場所へ置いた。
凛は二つを見比べる。
同じ風で持ち上げれば、石が浮くより先に羽根が空の彼方へ飛んでいく。ならば、同じ風である必要はない。
求められているのは同じ結果であって、同じ扱いではない。
羽根には羽根の流れを。
石には石の流れを。
二つの風を、それぞれ必要な場所だけに置く。
白い羽根と石が同時に地面を離れた。
片方は触れれば形を崩しそうなほど軽く、もう片方は地面へ落ちるだけの重さを持つ。それでも二つは隣り合ったまま、まるで最初から同じ重さだったかのように塔へ向かって上昇していく。
数十メートル先。
塔の頂と同じ高さで、羽根と石が同時に止まった。
ラヴィの目が細くなる。
「凛どの、今の二つは別々の風ですか?」
「ええ。同じように扱う理由がないわ」
「なるほど……」
セレスティアは何も言わなかった。
その沈黙が、凛には少し気になった。
合格とも、不合格とも言わない。ただ、こちらを測るように見ている。
やがてセレスティアが視線を横へ向けた。
修行場の端に、人の背丈ほどある大岩が鎮座している。
「次は、あれね」
スカイゼルが今度こそ顔をしかめた。
「お師匠。本気か?」
「本気よ」
「羽根と石と、あの岩を同じ速さで上げろって?」
「そう言っているの」
ラヴィもさすがに口を挟んだ。
「セレスティア様。一般的な卒業試験の範囲を、すでに越えているように思いますが」
「ええ。だから見てみたいのよ」
セレスティアはあっさり答えた。
凛は大岩へ視線を移す。
「分かりました。やってみます」
スカイゼルが呆れたように笑い、ラヴィは額へ指を添えた。
重い。
だが、重いというだけなら理は単純だ。
羽根や石より大きな力が要る。それだけのこと。ただし力を広げれば、周囲の草木まで巻き込んでしまう。必要なのは巨大な風ではない。大岩の底面へ、逃げ道なく必要な力だけを通すことだ。
凛は呼吸を整えた。
三つの対象へ、三つの異なる流れを置く。
白い羽根が浮く。
小石が続く。
そして大岩の下から、黒い影が細く剥がれた。
遅れてはいない。
重さを持った岩が浮いたという事実を、目が理解するまで一瞬を要しただけだ。
羽根、石、大岩。
大きさも重さもまるで違う三つが、見えない一本の線に結ばれたように、同じ速度で空へ昇っていく。
大岩の下にあった砂粒すら舞わない。
やがて三つは数十メートルの高さまで達し、塔の頂と横一線に並んで静止した。
スカイゼルの笑みが消えていた。
「……嬢ちゃん、お前それ、いつからそんな細けえことできるようになった?」
「さあ、いつからかしら? 必要になったから、できたのね。きっと」
「答えになってねえ」
「正直、私にもさっぱりね」
実際、凛にも分からなかった。
できると確信して始めたわけではない。ただ、羽根と石と大岩を見た瞬間、それぞれへ同じ風を当てることの方が不自然に思えた。
それだけだった。
セレスティアが、ほんのわずかに口元を緩める。
次に彼女が見たのは、修行場の窪みに残った浅い水たまりだった。
凛は嫌な予感がした。
「まさか」
「そのまさかよ」
「セレスティア様」
ラヴィの声が低くなる。
「水まで加えるおつもりですか?」
「ええ」
「水は岩とは違います。形を保ったまま持ち上げるとなれば、単純な浮上では済みません」
「だから加えるの」
「大人げありませんね、お師匠」
「スカイゼル。今日はずいぶんラヴィと意見が合うのね」
「そこじゃねえよ!」
珍しく二人の抗議が揃った。
セレスティアは気にする様子もなく、凛を見る。
「羽根、石、大岩。それから、あの水。全部を同時に、同じ速さで、塔の高さまで。一滴もこぼさず、周囲の草も揺らさないこと」
凛はしばらく水面を見つめた。
風ひとつない修行場で、水たまりは青い空を映している。
岩なら底から押せばいい。形が決まっているから、力を掛ける場所も決められる。
だが水は違う。
一点を強く押せば盛り上がり、端から崩れる。強引に包めば、今度は周囲へ余計な流れが漏れる。
水を一つの塊として扱おうとするから難しい。
凛は目を細めた。
水には、水の理がある。
一か所だけを持ち上げるのではない。
底のすべてへ同時に、均等に力を通す。
新しい形を作る必要もない。そこにあった形を、そのまま支えればいい。
「分かりました」
ラヴィが思わず振り向いた。
「凛どの?」
「やってみます」
「無理をなさらず。これはもう試験というより、セレスティア様の興味に近い気がします」
「聞こえているわよ、ラヴィ」
「聞こえるように申し上げました」
スカイゼルが吹き出した。
凛は二人のやり取りから意識を外し、四つの対象だけを見る。
羽根。
石。
大岩。
水。
必要な風は、どれ一つ同じではない。
けれど、求められている結果は同じだ。
同じ速さで、同じ高さへ。
凛の周囲で、何かが吹いたようには見えなかった。
最初に白い羽根が地面を離れる。
その隣で小石が浮き、大岩の影が薄くなる。
最後に、水たまりの縁が静かに地面から剥がれた。
水は球にならなかった。
皿のようにもならない。
地面の窪みに沿っていた浅く不揃いな形をそのまま保ち、透明な水面だけが空中へ持ち上がっていく。
一滴も落ちない。
波紋さえほとんど立たない。
白い羽根、小石、大岩、そして地面の形を写し取ったままの水。
四つが並び、同じ速度で上昇する。
すぐ下の草は静止したままだった。
途中で羽根が揺れれば、その一点だけ流れが弱まる。
大岩がわずかに傾けば、その底面だけへ力が足される。
水面の端が膨らめば、そこへ集まりかけた流れを別の場所へ逃がす。
四つを同時に動かしているのに、凛の中では一つにまとめてなどいなかった。
違うものを、違うまま扱う。
だから結果だけを揃えられる。
数十メートル。
塔の頂へ到達した四つが、ほとんど同時に止まった。
白い羽根は空中で乱れず、小石も回らない。大岩は傾かず、水は青空を映した形のまま浮かんでいる。
ラヴィが息を呑んだ。
スカイゼルはもう何も言わない。
セレスティアだけが凛ではなく、四つの対象を順番に見ていた。
「止めて」
四つは微動だにしない。
「下ろして」
凛は風の向きをただ反転させなかった。
重さも形も違う以上、下ろすときにもそれぞれ別の扱いが要る。支える力を少しずつほどきながら、四つの速度を揃えていく。
羽根が先走らない。
大岩が落ちない。
水も崩れない。
やがて四つは同時に地面へ戻った。
水が元の窪みへ触れたとき、ようやく小さな波紋が一つだけ広がった。
それを見届けてから、凛はセレスティアへ向き直る。
「セレスティア様。これでよろしいでしょうか?」
返事がない。
セレスティアは少しの間、白い羽根を見ていた。
「凛」
「はい」
「最初に私のところへ来た頃なら、今の課題をどうしたと思う?」
思いがけない問いだった。
凛は答えを急がなかった。
最初の自分なら。
風を掴もうとした。
大きな力を作り、形を整え、思いどおりに従わせようとした。羽根も石も大岩も水も、すべて同じ尺度へ押し込もうとしたに違いない。
「きっと、全部まとめて持ち上げようとしたと思います」
凛は自分で想像し、わずかに眉を寄せた。
「羽根は飛んで、水は撒き散らして、大岩だけが残ったかもしれません」
スカイゼルが喉の奥で笑った。
「ありそうだな」
凛は振り返らずに続ける。
「違うものを、同じように扱う必要などなかったのです。羽根には羽根の、岩には岩の、水には水の理がある。必要な場所へ、必要なだけ風を通せばいい」
セレスティアは黙って聞いている。
「ですが」
凛はそこで言葉を切り、空を見た。
風は見えない。
それでも今は、そこに何があるのか、以前よりずっとよく分かる。
「どこへ運ぶのかまで、風に決めてもらうつもりはありません。合わせるべきところは合わせる。でも、最後に決めるのは私です」
セレスティアの表情から、試す者の色が消えた。
「そう」
それだけ言って、彼女は白い羽根を拾い上げる。
「合格よ」
ラヴィの顔が明るくなり、スカイゼルが大きく息を吐いた。
けれど凛は、セレスティアから目を逸らさなかった。
「凛。あなたの風の修行は、これで終わり」
ほんの少し間を置いて、セレスティアは微笑んだ。
「卒業よ」
その言葉を聞いた瞬間、凛の中で何かが劇的に弾けたわけではなかった。
むしろ逆だった。
肩のどこかに残っていた力が、静かに抜けていく。
最初は腹立たしかった。
答えを知っているくせに教えない。
できない理由を言わず、できるまで考えさせる。
何度、性格の悪い教師だと思ったか分からない。
けれど、その時間がなければ今の自分はいない。
凛は背筋を伸ばしたまま、誤魔化さずに頭を下げた。
「ありがとうございました、セレスティア様」
セレスティアが少し目を丸くした。
「……あなた、本当に変わったわね」
「失礼ですね。以前から礼節は心得ています」
「そういうところは変わってないみたいで安心したわ」
ラヴィが小さく笑い、スカイゼルは声を上げて笑った。
「やったな、嬢ちゃん。これでお師匠の説教から解放だ」
「スカイゼル様。修行の価値を下げるような言い方はお控えください」
「お前、どっちの味方だよ」
「礼節の味方です」
「面倒くせえな!」
いつものやり取りが戻ってくる。
凛はそれを聞きながら、セレスティアの掌へ目を向けた。
そこには、最初の白い羽根がある。
セレスティアは握らなかった。
ただ掌を開く。
山を渡ってきた小さな風が、その羽根をさらった。
セレスティアの風ではない。
誰の命令も受けていない。ただそこを通り過ぎただけの風だった。
白い羽根は一度ふわりと高く舞い、木々の間へ流れていく。
凛は追わなかった。
その行き先を知る必要は、もうなかった。
「……さて」
セレスティアの声がした。
凛は嫌な予感を覚えた。
卒業を告げた人間の声とは思えないほど、妙に落ち着いている。
「何でしょう」
セレスティアは少し離れた場所を指さした。
訓練場の外れに、黒銀色の金属塊が小山のように積み上げられている。ひとつひとつが鈍い光を返し、見るからに密度が高い。刃を打ち込めば、金属ではなく刃の方が欠けそうなほど硬質な塊だった。
「凛。あの金属でできた山を砕きなさい」
沈黙した。
最初に声を上げたのはスカイゼルだった。
「おい、お師匠! 今、卒業っつったばっかだろ!」
「言ったわね」
「じゃあ何だ、それ!」
凛は黒銀の山を見たあと、セレスティアへ視線を戻した。
「承知しました、セレスティア様。ただ、どのような意図があるのかお尋ねしても?」
「特に明確な意図はないわ」
「……ないのですか?」
「そうね。あえて言うなら、私の個人的な興味ね」
ラヴィが一瞬、目を閉じた。
「やはり卒業試験ではないのですね」
「とっくに終わっているわよ」
「お師匠、大人げねえぞ」
「まだ凛の底が見えないんだもの。気になるでしょう?」
もはや隠す気すらないらしい。
凛はもう一度、金属の山へ目を向けた。
「そうなのですね」
理由が分かれば、それでよかった。
セレスティアが山を指す。
「風球を一点へ絞れば、表面から崩せると思うわ。無理なら無理で構わない。卒業を取り消したりはしないから」
「確かに、風球ならば……」
凛は右手を上げる。
掌の上へ空気が集まり始めた。
流れが圧縮され、逃げ場を失った風が透明な球形を結ぶ。
風球。
その圧が凛の髪をわずかに揺らした。
黒銀の山へ撃ち込み、同じ場所を繰り返し削る。時間はかかるだろうが、道理としては間違っていない。
凛が狙いを定めようとした、そのときだった。
左手に刻まれた螺旋の紋様が、淡く光った。
「……?」
だが、新たな風は吹かなかった。
草は揺れない。
砂も舞わない。
右の掌には、確かに風球がある。
それとはまったく別の現象として、凛の左右の空間へ白い霞のようなものが集まり始めていた。
線が生まれる。
指。
掌。
手首。
そして腕。
何もなかった空間に、一対の巨大な女の腕がゆっくりと輪郭を得ていく。
肩も身体もない。
凛の左右に、両腕だけが浮かんでいた。
細く整った指。
滑らかな手の甲。
手首には幾重にも重なる細い装飾が揺れ、指にも淡い光を帯びた環が浮かんでいる。
巨大で異様なはずなのに、その形だけは妙に優美だった。
『……僕じゃないよ、凛』
シルフィアの声から、いつもの軽さが消えていた。
「分かっています」
凛が右手を開く。
巨大な右手も開いた。
一本だけ指を曲げる。
巨大な指も、ほとんど遅れなく同じように曲がった。
スカイゼルが低く唸る。
「何だ、ありゃ……」
ラヴィは巨大な手をしばらく見上げたあと、妙なところで眉を寄せた。
「凛どの」
「何?」
「どうして、その腕だけ妙に綺麗なのですか?」
スカイゼルも改めて見上げる。
「言われてみりゃそうだな。なんで飾りまでついてんだ?」
凛は二人を見た。
質問の意味が分からない、という顔だった。
「綺麗な方がいいに決まっているわ」
「そこは即答なのですね……」
ラヴィの呟きを置き去りにし、セレスティアが一歩前へ出た。
「凛。その腕……あなたが動かしているの?」
「そう見えます。少なくとも、私の動きには従っています」
「正体も分からないものを試すつもり?」
凛は巨大な両手を見上げた。
正体は分からない。
なぜ出たのかも分からない。
だが、動く。
そして目の前には、砕いてよいと許可された金属の山がある。
「無闇には使いません」
「その顔、使う気よね」
「確認するだけです」
『凛、それはだいたい使う人が言うやつだよ』
「静かに見ているのではなかったの?」
『いや、これは言わせてよ』
凛は右手の風球へ目を落とした。
そのまま撃つのではなく、意識を少し変える。
圧縮した風をほどきながら、その性質だけを保つ。
それを巨大な両拳へ。
透明な風が二つに分かれ、巨大な指の隙間を抜け、拳の輪郭へ薄く幾重にも巻きついていく。
風球をそのまま大きくしたのではない。
拳の表面そのものへ、圧縮された風の層を重ねる。
巨大な腕の装飾が触れ合った。
シャラン――。
場違いなほど涼やかな音が、静かな修行場へ響いた。
凛が目を細める。
「……この腕にも、風を纏わせられるのね」
『凛。今さらっと済ませていい話じゃないと思う』
「あとで考えるわ」
凛は右拳を引いた。
巨大な右腕も、まったく同じ軌道で後方へ引かれる。
黒銀の山が、その拳の正面へ収まった。
「では、いくわよ」
拳が走る。
ダァンッ!!
最初の一撃が黒銀の山肌へ突き刺さった。
金属の塊が大きく跳ねることはなかった。
拳が触れた一点だけが陥没し、その周囲から黒銀の粉が噴き出した。
セレスティアの目がわずかに開く。
凛は止めない。
左。
右。
左。
次の瞬間、巨大な両腕から右と左の区別が消えた。
ダダダダダダダダダダダダダダッ!!
金属を穿つ音が、一つの長い轟音へ変わる。
巨大な拳が残像を引く。
速い。
けれど、乱暴ではない。
右拳が作った亀裂へ、左拳が寸分違わず滑り込む。その奥へ右。さらに深く左。
一撃として無駄に同じ場所を叩かない。
拳を覆った圧縮された風が、接触するたびに金属の表面へ食い込み、砕けた欠片をさらに細かな粉へ変える。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
腕を飾る環が激しく揺れる。
シャラララララララッ――!
澄んだ装飾音と、凄まじい打撃音。
優美な女の腕が繰り出しているとは到底思えない連撃だった。
黒銀の山肌へ拳大の窪みが次々と生まれ、その一つ一つが繋がる前に、さらに奥の金属が粉砕される。
破片は飛ばない。
拳を覆う風が、砕けた金属片までその場に捕らえ、さらに削る。
硬い塊だったものが、黒銀の砂へ変わる。
さらさらと。
拳が触れた場所から。
砂山を崩しているように。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
山の稜線が消えた。
続いて斜面が沈む。
拳の雨が一段下へ移り、残った塊を外側から内側へ削り取っていく。
スカイゼルは口を開いたまま、何も言わない。
ラヴィも言葉を失っている。
セレスティアだけが、凛ではなく、目の前で自分の想定した解答が跡形もなく消えていく様子を見つめていた。
風球で穴を穿つ。
そのつもりだった。
だが凛がやっているのは、穴を開けることですらない。
山そのものを、端から粉へ変えている。
ダダダダダダダダダダ――
最後に残った中央の塊へ、巨大な左右の拳がほとんど同時に引かれた。
一瞬だけ、音が消える。
ダァンッ!!
両拳が叩き込まれた。
黒銀の山頂が内側から崩れ、輪郭そのものを失った。
遅れて、細かな金属粉が低く舞う。
それすら風に捕らえられ、飛び散ることなく静かに地面へ降り積もっていった。
巨大な両腕が止まる。
シャラン……。
最後に聞こえたのは、手首を飾る装飾が触れ合う小さな音だった。
そこに山はもうない。
地面を覆う黒銀の粉だけが、先ほどまでの形をぼんやりと残していた。
沈黙。
スカイゼルは山だった場所を見たまま固まり、ラヴィは何度か口を開いては閉じる。
セレスティアでさえ、すぐには言葉を見つけられない。
『……僕、本当に何もしてないからね?』
シルフィアの声だけが、妙に遠慮がちに響いた。
凛は返事をせず、自分の両手を眺める。
汗はない。
指先も痛くない。
そして何より。
爪は一本も欠けていなかった。
凛は満足そうに頷いた。
「便利ね、これ。汗をかかなくて済むし、なにより爪が割れなくて済むのがいいわね」
* * *
凛が次の一歩へ進むまで、山あいには束の間の静けさが戻る。
けれど王都では、音無海を取り巻く空気が、静かに変わり始めていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも「続きが気になる」「凛と海を見守りたい」と思っていただけましたら、
ブックマーク・評価・感想で応援していただけると、とても励みになります。
この物語は、異世界ファンタジーに変身ヒーロー要素と高飛車令嬢コメディを混ぜ込んだ作品です。
凛と海の全力変身を、これからも見届けていただければ嬉しいです。




