十七.新たな時代へ
皇宮を混乱の渦に叩き込んだ、馮 春海の起こした事件の調査結果が纏まったのは、結局、正月を迎える直前のことだった。
直謙と父・冽然は、年明けの宴の準備に浮かれる声を聞きながら、地に跪いた影廠の長官からの報告を受けていた。手元の書類に目線を落とし、父帝が抑えた声音で呟く。
「朱家、馮家、梁家、丁家、……袁家もか。よくもまあ。──周家は積極的には関与しておらず、樹琉一人の暴走か」
「……面目次第もございません」
冷や汗をかく壮年の宦官に手を振り、父は小さく溜め息を吐いた。
「沙汰は追って下す。ひとまず、主だった者は外廷の牢にでも放り込んでおけ。逃亡の恐れがないのならば、関係者は自宅で蟄居で良い」
「承知しました」
「出来れば、正月内には片付けたいものだな。……以降の指揮は直謙に取らせる。余への報告は不要だ」
急に名前を出され、直謙はひっそりと息を詰めた。ただし、父には気付かれてしまったのか、彼もまた密やかに眉根を寄せてみせる。影廠の長は恭しく直謙に向かって頭を下げ、静かに部屋を出て行った。
頭痛を堪えるように額に手をやり、息を吐く直謙に、父帝はいつも通りの無表情で尋ねた。
「……さすがに、疲れたか」
淡々とした声音に弾かれたように顔を上げ、直謙は慌てて顔を振る。
「いえ、これしきのことで──」
「これしきのことか。余がお前なら、忙しさで発狂しているな」
「……は?」
直謙の多忙の原因は、間違いなく父から与えられた課題によるものが大きい。年々回される公務は増えていたが、父が配下に任せていたような仕事の決裁も全て、直謙に回ってきている。その上で、今回の事件だ。
直謙の鈍った頭では処理し切れない情報に、思わず固まってしまったのも仕方のないことだろう。
父は無表情のまま、そんな直謙を見上げている。
(私は、この人のことを、ずっと知らないでいた──)
ずっと、冷静沈着で聡明で、感情がないのではと思うほどに揺らがない父を尊敬し、同時に畏れてもいた。だがこの一年、誰よりも間近でその背中を追い続け、父のこうした茶目っ気や、意外なほどの負けず嫌いにも気付くようになった。
無言で目を瞬かせる息子に、父は片眉を上げて言った。
「判断能力と観察眼を磨き、自分の限界を知れ。自分の手が届く範囲と、目が届く範囲を自覚しろ。そして、少しずつその範囲を広げていけ。──まったく、三十半ばになってもこれほど手がかかるとは。甘やかしすぎたか」
「申し訳……ございません……」
呆然とする直謙の背を遠慮なく叩き、父は「さっさと次の公務をこなせ」と息子を追い出しにかかった。
その気安さは、父と息子の間柄ではついぞ見られることのなかった、……同じ「大国の皇帝」という重圧を背負う者に対する親しみだと、思っても良いのだろうか。
直謙はぎこちなく頭を下げ、すぐに背を伸ばして一歩踏み出した。
間もなく年が明け、皇都は文字通りのお祭り騒ぎとなった。
その中心である皇宮でも、連日、新年を言祝ぐ宴が開かれている。そして今日、朝堂に詰めかけた数多の官僚たちは、現帝・蘇 冽然の最後の言葉を噛み締めるように聞いていた。
不安定な情勢の中、巧みに民を導き、多くの発展をもたらした偉大なる賢帝は、いつも通りに背筋を伸ばし、朗々と声を張る。
「貴君らの献身に心からの謝意を述べ、大礼国の千年の繁栄と、民の永久の健勝を祈念する。……春の良き日に、余はこの国の未来を、次代に託す。どうか皆、新たな皇帝に力を貸してやってくれ」
力強く、あくまで自然体なその言葉に、朝堂に集った官僚たちは万感の思いで応えた。そして、いまだその熱狂が冷めやらぬ中、次期皇帝・蘇 直謙が玉座の一段下に立つ。彼は鍛え上げた身体で堂々と立ち、自身を見上げる千の瞳をしっかりと見据えた。
「皇帝陛下、万歳」
腹の底から出された声は覇気に満ち、目を輝かせた官僚たちが追随する。
「皇帝陛下、万歳。皇太子殿下、千歳」
熱気を帯びたその声を、直謙は両足を真っ直ぐに踏み締めて受け止めた。
人々が新たな時代の幕開けに沸く中、皇太子側妃暗殺未遂事件の犯人たちに対して、裁定が下された。
首謀者であった朱家当主・弘文ほか各家の長、実行犯の馮 春海は、皇族を害した罪により、死刑。各氏の本家は取り潰しとなり、姓は剥奪。親族は遠方の流刑地送りとなった。
皇太子側妃・朱 玲穎に関しては、その立場に対して酌量すべき余地も大きく、また事件解決に尽力したという功績もある。ただし、自身の侍女を制御出来なかった不明は恥じるべきであり、皇帝の妃嬪には相応しくない。
よって、新帝即位と同時に、内廷における一切の職位を返納させ、以後、母親共々、皇都への立ち入りは禁じられることとなった。
彼女の母の血筋──かつて族滅された行家に連なる生まれだということは、ついぞ表沙汰にされることはなかった。八年前の温家の事件で、「行家の残党」の名が出て騒ぎになったことは記憶に新しく、端明帝の威信にかけて、その存在は秘匿されることとなった。
朱 玲穎は最後の日まで、蒼花殿での蟄居を命じられ、彼女は粛々とそれに従った。




