十五.獄中の真実(二)
なおも頑迷に抵抗を続ける玲穎に根負けし、父たちはついに、毒を盛る実行役を春海に変更した。彼女は朱家に仕える一族の出身で、自らも強硬な「旧態派」の信者だった。玲穎の監視役兼、連絡役として送り込まれていた彼女が事件を起こし、玲穎には改めて、陽動と、いざという時の捨て駒の役割が振られた。
直謙が片目を眇め、冷たい声で言う。
「江妃の甜点心に盛られた毒は、仕上げの粉糖にでも混ぜ込んだか。あれは甘味が大好物だからな。潘妃の酒には、宴の最中に人目を盗んで入れたのだろう。給仕役として宴に出るはずだった女官たちの飲み水に、嘔吐薬を盛って寝込ませ、監視の目を減らして。
……母を人質に取られ、お前たちを止められなかった玲穎は、『陽動だ』と偽って脅迫文を側妃たちに送った。だが、その真意は周囲の警戒を集め、お前たちを動き辛くさせることにあった」
やがて、監視の目が厳しくなり、春海は魯皇太子妃を狙うことは断念した。だが、その代わり、比較的隙が見られた皇太子の子女に、狙いを切り替えたのだ。
玲穎は血の気を引かせた。そして、父たちのそれ以上の暴走を防ぐため、樹琉皇子の名前を出した。
「お前たちが皇太子にすげ替えるつもりの筆頭候補が、樹琉だったのだろう。だが、あいつは直情的で、短絡的だ。皇太子になり損ねた父親の分も、名誉を取り返すと息巻いていたようだが、……腹芸には向かない」
彼は新穀の宴で露骨に直謙に絡み、現帝への不満をいとも簡単に表出させてしまった。
神輿の第一候補ではあったものの、諸刃の剣でもあった皇子を、父たちは持て余し始めていた。ここへ来て、玲穎が直謙の関心を惹き始めたことも、誤算であったに違いない。ただ、万一寵愛の末に子が生まれたとしても、その子が帝位に就ける可能性は低かった。
そうした葛藤を敏感に悟った玲穎は、「目先の危険分子の切り捨て」を名目に、樹琉に影廠の注目を集めさせたのだった。
そして、あの日の宴で、やはり樹琉の様子に異変を覚えていた琴華公主が、玲穎が告発した従兄の名に反応したのだ。「何かある」と踏んだ彼女は、今朝玲穎のもとを訪れ、「父の裁定がくだる前に、全てを話した方が良い」と説得してくれた。
『自分しか知らない情報を、有利に使いなさい。悩みがあるのなら、それを切り札にして自分の道を切り開きなさい。罪人ではなく、告発者になるの。──朱妃、貴女には、その知性があるでしょう?』
真っ直ぐな公主の目は、臆病な玲穎の背中を押した。そして、夫が掛けてくれた「守る」という力強い言葉に、彼女は自身を縛る縄からようやく解き放たれたのだった。
皇太子の腕に守られた玲穎を、春海は憎しみに燃え上がる目で睨み付けている。彼女は華奢な身体を無理矢理地面に押さえ付けられながら、それでもどこか余裕を滲ませながら反駁を始めた。
「……失礼ながら、その話には何か、証拠があるのでしょうか?」
直謙はあくまで涼しい顔で、冷たく受け流す。
「物証はないな。玲穎の証言、影廠が集めてきた『真の』目撃情報。今のところはそれぐらいか」
「お話になりませんわ」
はん、と鼻で笑う春海の不敬ぶりに、彼女を捉えていた宦官たちが露骨に怒りを滲ませた。顔面を地面に押し付けられ、泥の混じった唾を吐きながら、それでも春海は玲穎たちを見る目に宿した光を消さない。
その様子を沈んだ面持ちで眺めながら、玲穎は不意に彼らの会話に口を挟んだ。
「……春海。その、薬」
彼女が指し示したのは、先ほど春海が取り落とした粉薬の器だ。春海は嘲笑うように、玲穎を見上げて答える。
「玲穎様が常用されている、眠り薬ですわ。このような不衛生な環境で、辛い拷問と取り調べを受けることになった主人がお労しくて……。せめてよく眠れるようにと、お持ちしましたの」
無理はあるが、否定もし辛い春海の弁明に、玲穎は表情を曇らせた。彼女は自分にぴったりと身を寄せている夫を見上げ、乾いた声で進言する。
「……殿下。あの薬入れを調べていただけますか。眠り薬ではなく、毒が検出されるはずです」
「分かった」
あっさりと答え、直謙は後ろに控えていた近侍にその陶器を拾わせる。春海は顔を歪め、吠えるように反論した。
「……毒など知りません! そもそも、これは玲穎様の薬入れではありませんか! もしこの中身が、側妃様方の事件で使われた毒だったとしたら……!」
だが、玲穎は悲しげに顔を歪め、小さく首を振った。
「……毒の種類は分からない。貴女は都度、追及に備えて毒を処分していたものね。新たな毒は、お父様の息のかかった女官に補充させていた。
ただ、何かあれば、貴女は私を自死に見せかけて殺そうとするだろうと思っていた。だから、影廠に取り押さえられる際に、わざと薬入れを落としたの。影廠も、貴女がそれを拾って、中身を入れ替えていたのを見ている」
「私は何も知りません。私はただ……!」
往生際悪く首を振る春海に、玲穎は微笑で答える。
「ねえ、春海。先ほど私、嘘を吐いたのよ。今、貴女が取り落としたその容器に入っているのは……堕胎薬なの」
春海がギョッとしたように目を見開き、玲穎の顔を見上げる。直謙も息を呑んで、玲穎の肩を抱く手に一層の力を込めた。
玲穎は聞き分けの悪い子どもを宥めるような目で春海を見下ろし、静かに続ける。
「貴女が毒を持っているだけじゃ、決定打に欠けると言われたの。それを誰かに使おうとしたという事実が欲しいと。
……でも、私も死ぬのは怖かった。だから、影廠が貴女を取り調べている間に、貴女が容器に仕込んだ毒薬と、この薬を更に入れ替えてもらったの。元の睡眠薬は貴女に捨てられてしまっていて、咄嗟に用意出来たのが、これしかなかったから」
手先が器用な影廠が居て、助かったわ。
そう呟いて溜め息を零した彼女の横で、夫が焦ったように言い募った。
「待て玲穎、堕胎薬とは……どういうことだ?」
「殿下、後でお話しますから」
慌てて押しとどめる玲穎に、直謙は納得がいかないように顔を顰める。だが、それでも彼は表情を切り替え、春海に向き直った。
「……まだ、抵抗を続けるか?」
春海は憎々しげに顔を歪め、玲穎を見上げて吐き捨てた。
「……与えられた役割も果たせない、生きる価値もない無能が。このまま一生子も成せず、虚しく枯れ果てるがいい」
玲穎がその言葉に反応するよりも早く、春海に駆け寄った直謙が、彼女の喉元を掴んだ。大きな手のひらに首を絞め上げられ、彼の背中越しに見える春海の顔がみるみる歪む。直謙は怒りに震える声で、彼女の身体を拘束し続けている男たちに命じた。
「早く連れて行け。間違っても自害などさせるな。──覚悟しておくんだな。楽に死ねると思うなよ」
その言葉に観念したのか、春海は大人しく宦官たちに連行されていった。それを複雑な思いで見送った玲穎も、直謙に促され、ひとまず獄の外に出ることにした。




