十三.告発
静まり返った部屋の中で、玲穎はぼんやりと宙を見据えていた。
突如部屋に現れた琴華公主が口にしたのは、彼女が想像すらしていない言葉だった。宝玉のように輝く瞳に押され、玲穎も最後には首を縦に振ってしまった。
彼女に問われるがままに答え、「全て」の情報を明け渡してしまうまでに、そう時間はかからなかった。
(公主様の話が本当ならば、影廠が皇帝陛下への報告を行うのは、朝議のあと。……時間がない)
朝議は近頃は長引くことも多く、昼を過ぎることもあるそうだ。だが、悠長にしている暇などない。様々な手筈は、琴華が付けてくれるということだった。
玲穎は唇を噛み締め、真っ直ぐに前方を睨み付けた。
「──春海。身支度を手伝って」
音もなく扉が開き、名を呼ばれた筆頭侍女が姿を見せた。吊り気味の鋭い目に、警戒したような色を宿した彼女は、寝台に身を起こした玲穎をじっと無言で見下ろしいる。玲穎は背筋を伸ばし、春海を見上げて告げた。
「時は来た。全て、手筈どおりに」
「……本気ですか?」
「こうしないと、私は『あの方』を守れないんでしょう?」
挑むような目をした玲穎に、春海の警戒が解けることはない。それでも彼女は不承不承に頷き、寝台を降りようとする玲穎にひんやりとした手を差し出した。
その日の午後。武装した影廠の一団が、突如、後宮の一画に踏み込んできた。漆黒の宦官の姿に、女官たちは金切り声を上げ、或いは真っ青な顔で手を取り合って震えている。
そんな女性たちには見向きもせず、彼らはとある殿舎に押し入り、その宮の主の腕を掴んだ。彼女は何も言わず、されるがままに立ち上がる。
影廠がどれほど調べても、皇太子側妃毒殺未遂事件の犯人を示す、明確な物証は出なかった。それでも、彼らの執念はついに、一人の女官から、とある女性の目撃情報を引き出した。そして、その女官の証言を精査していたところ、彼女が目撃した女性が犯人だとする密告があったのだ。
影廠の宦官たちに腕を強く引かれても、彼女は抵抗しなかった。観念するような表情を浮かべ、彼らに続いて無言で足を進めていく。
やがて、その女性が連れてこられたのは、央廷は清寧殿の一室だった。一人のなよやかな女性を、複数の宦官が連行する異様な光景に、人々はギョッとしたように立ち止まる。だが、影廠の宦官たちは一切構わず、女性の身体を室内に押し込んだ。
彼女は膝から崩れ落ち、更に後ろ手に捻り上げられ、苦痛に顔を歪める。髪を引かれて無理矢理顔を上向かされ、干上がりそうになる喉を鳴らしていた。
しんと静まり返ったその部屋に、彼女の震える吐息だけが響いている。
向けられた視線が重い。物理的な圧力をもって、彼女を推し潰そうとするかのようだ。
磨き上げられた冷たい板張りの床に跪く彼女を、黒檀の玉座に座した人物──現帝・蘇 冽然は、感情のない瞳で見下ろしている。その隣に立つ皇太子・蘇 直謙も、無の表情で彼女を見つめていた。部屋の脇にずらりと並んだ、主だった朝堂の高官たちは、ヒソヒソと何かを囁きあったり、嫌悪感むき出しに顔を顰めたりしている。
姿勢良く玉座に腰掛ける皇帝が、聴く者を震え上がらせるような声で、淡々と問うた。
「──そなたには、皇太子側妃の毒殺未遂及び、皇太子の皇子・皇女の暗殺未遂事件の容疑が掛けられている。
何か、申し開きはあるか? ……皇太子側妃、朱 玲穎」
彼女──玲穎は、観念したように目を伏せ、強ばる喉からか細い声を絞り出した。
「私が、やりました──」
全ての罪を認めた朱 玲穎は、夜半まで影廠の取り調べを受けた後、内廷北端の牢獄に身柄を拘束された。
彼女の犯した罪の中でもっとも重かったのは、皇太子の子──特に皇子を害そうとした一件だった。皇族を手に掛けようとした者は、誰であっても死罪。それが、この国における決まりごとだ。
(死の恐怖から、余計なことを口走る前に、……処分してしまわなければ)
そう決意した「私」は、深夜、彼女が捕えられているという牢獄へ向かった。
刃物を突き立てるか、首を締めるか。手っ取り早いのはどちらだろう。
(否、彼女の容疑から考えるに、毒が相応しい)
皇太子の妻たちを殺そうとした毒で、自らも命を絶つ。それが一番美しい終わり方。殿舎の捜索で、毒は持ち去られてしまったけれど、念の為「あちら」に預けておいて良かった。
わずかな月明かりしか届かないその獄は、じめじめとして、饐えた臭いが漂っている。極寒の牢獄で吐息を白くしながら、「私」は彼女が居るはずの檻へと近付いていった。見張りは買収し、下がらせた。
彼女を目撃したという女官の正体に覚えはなく、そちらも対処すべきだろう。だが、今はまずはこちらだ。
やがて、その檻の前に辿り着き、預かっていた鍵を鍵穴に差し込み、「私」は──
「──そこまでだ」
鞭のような鋭い声に背中を打たれ、「私」はギクリと全身を強ばらせた。
硬直した「私」の腕を、いつの間にか忍び寄ってきていた何者かが掴み上げる。手にしていた粉薬の器と水を入れた竹筒が滑り落ち、カンと床に跳ねる音が響いた。
無理矢理地面に膝を着かされ、「私」──馮 春海は、闇夜にも鮮やかに輝く、皇太子・蘇 直謙の氷の眼差しを見上げた。




