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妹とは良いものだ






 無事求婚を成功させたジギスムントは上機嫌でアネッタの手を取る。


「えっ!? あの、ジギスムント卿?」


 いまだ花束を抱えたままのアネッタは戸惑うが、ジギスムントはニカっと笑顔を見せ、子爵邸門前に繋がれていた馬を指さした。


「さあ、アネッタ! 早速父上と兄上に報告に行くぞ!」

「お、お待ちください。いえ、ご報告に参るのは当然のことですが、この格好では馬には乗れませんし、ご挨拶にも行けません!」


 言われてジギスムントはアネッタの上から下まで視線を巡らせる。

 恐らく、彼女の普段着であろう質素で飾り気のない服を身に着けている。

 そして自分の装いを思い出す。兄に半ば無理やり着せられた正装だ。

 なるほどこれも言われてみれば確かに、婚約の挨拶ともなれば多少は形式ばったことも必要なのだろう。

 そこへ、ラドクリフ子爵が正気を取り戻したかのように二人の間に割って入る。


「ジギスムント卿、そういうことでしたら、私も伯爵にご挨拶をせねばなりません。ちょうど王宮に出仕するための馬車を整えておりましたので、そちらにご同乗いただき、伯爵邸へ向かいましょう、我が家もお供いたします。娘も準備がございますので、少々お待ちいただいてもよろしいですか?」


 額に汗しながらも切羽詰まったように言う未来の義父に、ジギスムントは鷹揚に頷く。


「では、そうしよう。すまないが、乗って来た馬の世話を任せて良いか」

「はい、そちらは我が家の厩舎で世話しておきましょう」


 そうしてしばらく待つと、正装を身に着けたラドクリフ子爵が姿を現し、ドレス姿に装いを変えて化粧を施したアネッタが続いた。

 そのドレスは、これまでの見合いのために仕立てたものだった。良い思い出はないが、他に選べるほどドレスを持っているわけでもない。

 伯爵家に向かう馬車の中で、ようやく一息ついたアネッタは正面に座るジギスムントに気になっていたことを問いかける。


「ジギスムント卿、本日は突然のことで私も大変驚きました。伯爵家のジギスムント卿がどうして私を選ばれたのか、理由をもう少し詳しくお聞きしたいのですが」


 先ほど、能力に惚れた、と言葉は貰っていた。そのときは嬉しくてそれ以外のことを考える余裕がなかったが、落ち着いて考えるとやはり奇妙な縁だ。

 能力を欲したとして、無理に婚姻せずとも部下として召し抱えればよい。それだけの権力をベレスフォード伯爵家は持っていた。

 アネッタの問いに、ジギスムントにしては珍しく考えを整理しながら少しずつ答えていく。


「まず、俺は政務が苦手だ。考えることよりも、身体を動かすことを好ましく思っている。将来はそちらの方面で身を立てていこうと常々考えていた」

「はい」

「騎士も悪くはないのだが、綺麗な鎧を着て儀礼を気にしながら立ち居振る舞うのはどうも性に合わん。正直なところ、俺は土嚢を運び、鍬で大地を拓く方が好きなのだ」


 ラドクリフ子爵父娘は目を丸くした。

 ベレスフォード伯爵の次男が平民に交じって治水工事や開墾に参加している、という噂は知っていたが、それも伯爵から命令されてやっていることだろう、と考えていたのだ。


「そこで先日、アネッタ嬢の仕事を見て、こんな素晴らしい令嬢がベレスフォード領にいたことに気づいてな。それで父と兄に相談して、今日こちらにお邪魔したというわけだ」


 黙って聞いていたラドクリフ子爵が口をはさむ。


「その、娘の仕事の……どのあたりがジギスムント卿の目に留まりましたか」

「数字の整った報告書も見事だった。だが、それ以上に、何を尋ねても自分の言葉で答えられることに驚いた。その後領地を回ってみれば、民からも君を評価する声をいくつも聞いた」


 そんなことまでしていたのか、と父娘は驚いた。

 アネッタは嬉しくてたまらないが、それでもまだ疑問は完全には解消されない。


「部下として召し抱えよう、とはお考えにならなかったのですか?」


 問われたジギスムントは一瞬きょとんとした。


「そうだな……。男であったならば、そうしたかもしれぬ。しかし、アネッタ嬢は女性で、しかも独身だ。これほど素晴らしい女性を他の男に獲られては敵わぬ」


 アネッタはカッと顔が熱くなるのを必死に堪えた。

 あの言葉は本当だったのだ。

 


世間では、顔や性格がきっかけで人を好きになるらしい。ならば、俺が君の能力と君の仕事に惚れたとして、何の問題がある?



 ジギスムントは、アネッタの不美人さを否定しなかった。鼻を笑いもしなかった。



 それで良いのだ、とアネッタは思う。


自分の鼻はだんご鼻だ。正面を向けば鼻の穴も見える。これまで何度も、それを理由に見合いを断られてきた。

 


だが、それがどうした。

 


美しい仕事ができる。それを好きになってくれる人がいる。

 


その言葉をくれたジギスムントを、アネッタはすでに愛し始めていた。

 アネッタは視線をしっかり目の前の大男に向けて、微笑んだ。



 ——目の前の男は、不美人な自分を笑うような人間ではない、と信じられた。




 ◇




 ベレスフォード伯爵邸の応接室。両家の父たちが書類を整えるために別室へ消えた後、残されたのはマクシミリアンとアネッタ、そして上機嫌で茶を啜るジギスムントだった。


「……ラドクリフ子爵令嬢。いや、これからは、義妹と呼ぶべきかな」


 マクシミリアンが、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「驚かないで聞いてほしい。……あの日、君が納税報告に来たその夜から、我が家の食卓は君の話題でもちきりだったんだ。ジギスムントが、君の作った報告と、君の語る言葉がいかに美しかったか……。壊れたオルゴールのように繰り返し語り続けていたよ」

「え……? 卿が、私の話を、そこまで……?」


 アネッタは頬を染め、俯こうとした。しかし、マクシミリアンの次の一言が、彼女の顔を上げさせた。


「私も同感だ。君の事務能力、物資の手配、そして何より領民の生活を守ろうとする姿勢。それは我がベレスフォード家にとって、どんな宝石よりも得難い宝だ」


 その言葉をアネッタは胸に深く刻んだ。

 ベレスフォード伯爵嫡男マクシミリアン。伯爵家の長男で、次代の伯爵。自分は代官の娘にすぎず、そんな認識を持ってもらっていたなど、考えたこともなかった。

 朝、ジギスムントが訪ねてきてから、あまりにも急激な、これまでの人生を一変させるかのような出来事の数々。

 人生の転機というものは、そんなものかもしれない、と考えながら頭を下げる。


「過分なお言葉、恐れ入ります。今後もお預かりしております領地の発展に尽くすことをお誓いいたします。……お義兄様」


 その言葉にマクシミリアンは、これまで纏っていた完璧な貴族の仮面をどこかへ忘れてきてしまったかのように、満面の笑みを浮かべて、ジギスムントに小声で、妹とは思ったより良いものだな、などと囁く。

 ジギスムントは少し面白くなさそうな表情を見せている。


「アネッタ嬢。どうして俺のことはジギスムント卿で、兄上はお義兄様なんだ」

「そ、それは……その、まだ、恥ずかしくて……」

「よし、俺もアネッタ嬢ではなくアネッタ、と今後は呼ぶことにしよう。アネッタも俺のことはジギスムント、と呼んでくれ。愛称のジギでも良いぞ」

「ジギスムント……卿。申し訳ございません、やっぱりまだ無理です!」


 にやにやと笑うマクシミリアンと、やはり不満気なジギスムント。


「まあ、今は仕方がないとしよう。考えてみれば、その方がアネッタらしい、という気もするしな。当面の目標は敬称なくアネッタに名を呼んでもらうことだな」


 と、アネッタにとってはとんでもないことを言いながら笑って茶を啜るジギスムントだった。




 一方、別室ではベレスフォード伯爵とラドクリフ子爵が、婚約誓約書を前に向かい合っていた。


「……ジギスムントを、ラドクリフ家の婿に出す。これで相違ないな、子爵」


 伯爵の言葉に、子爵は額の汗を拭った。次男とはいえ、伯爵家の息子が子爵家へ婿入りするのは子爵家にとって大変な名誉だ。

 伯爵家としても、アネッタを手放したくない。


「ハインリヒ。お前の娘は大したものだな」


 伯爵は、手元の報告書を見つめて呟いた。


「ジギスムントとマクシミリアンが二人して『これほどの才能を他家に流出させるのはベレスフォード家の損失だ』と私を説得したが、実際にこの数字の並びを見れば納得せざるを得ん。彼女をただの飾りの夫人にするのは、やはり損失が大きいように私も思う」


 伯爵は、子を思う親としての顔で続けた。


「我が家には娘はおらぬが、同じ子を持つ親ではある。娘を大切に育ててきた自負はあるだろう。だが、彼女がジギスムントの妻になるのであれば、今後はその才能をもっと表舞台で活かす道を考えても良いのではないか。彼女の能力こそが、ラドクリフ家とベレスフォード家を繋ぐ力になろう」


 その言葉に、ラドクリフ子爵は言葉を失った。


(私は……娘がどれほど見事な仕事をしていたのか、一番近くにいながら何も見えていなかったのだな)


 思い浮かぶのは、これまで何度も断られた見合いの結果だ。

 不美人を理由に、あるときは遠回しに、またあるときは直接的に断られ続けた。

 自分も、腹を立てていたのだ。娘の価値もわからぬくせに、と。

 しかし、自分も同類ではないか。娘の価値を令嬢としての美しさという世間の浅はかな物差しで測り、ただ一般的な貴族夫人の枠に押し込めようとしていた。彼女が流した汗の尊さを一番知っていたはずなのに、彼女を傷つける見合いの場へ何度も送り出していたのだ。

 アネッタは自分の力で未来を勝ち取ろうとしている。

 ラドクリフ子爵の胸には、安堵と、後悔と、反省がある。


(しかし、伯爵家の次男が義理の息子か……)


 しかも、長年仕えてきたベレスフォード伯爵と今後は縁戚である。

 アネッタの縁組は望むところであったが、伯爵家のような高位貴族との縁組とまでは考えていなかった。

 婚約が成立したからには、今後仕事場である王宮では質問の山が待っているだろう。

 娘は大丈夫にしても、自分がその重圧に圧し潰されはしないか、少し不安になるラドクリフ子爵だった。




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