老臣と決意
――同刻。
野尻湖の中に浮かぶ琵琶島に築かれた、信濃における上杉家の版図の最南端にして最前線である野尻城。
『宇佐美様』
「……む?」
本丸に建つ奥御殿の一室で、燭台の灯りを頼りに兵法書の『孫子』を黙読していた城主の宇佐美駿河守定満は、襖の向こうからかけられた声に顔を上げた。
着ていた寝間着の襟を整え、襖の方に首を向けた彼は、落ち着いた声で問いかける。
「如何した?」
「善光寺 (現在の長野県長野市元善町)の寺町に潜ませている軒猿 (忍びの事)から報せが参りました」
襖の前で片膝をついた家臣が、僅かに緊張を孕んだ声で答えた。
「武田方の使者が、本日未の刻 (午後二時)頃に海津城へ入ったとの由」
「来たか……」
家臣の報告を聞いた定満も、その老いた顔を引き締める。
頬の白髯を指で頻りに擦りながら、彼は更に問いを重ねる。
「して……使者は変わらず……か?」
「はっ」
定満の問いかけに、家臣は小さく頷いた。
「武田の使者に変更は無く、正使は当主信玄の弟である武田左馬助信繁。自らの与力である武藤喜兵衛昌幸や、足利覚慶様の御使者である明智十兵衛光秀殿、その他の小者衆を含めて総勢五十名ほどを伴っているとの事です」
「左様か」
家臣の答えに、定満は目を眇める。
「……その武田左馬助信繁が影武者の可能性は?」
「先年の川中島合戦の折りに、間近で武田信繁を見た者に此度の使者の面を忍び見させたところ、此度参った信繁は本人に間違いないと」
そう言いながら、家臣は自分の右目から右頬までを指で縦になぞった。
「永禄四年の戦で我らが負わせた右目の傷もあったとの事に御座います」
「そうか……」
家臣の言葉を聞いた定満は、太い白眉をピクリと上げ、それから小さく頷いた。
「なれば、信繁本人と考えてよさそうだな」
そう言った定満は、見台の上で開いたままだった『孫子』を閉じると、すっくと立ち上がる。
そして、家臣が開けた襖の間を抜けて、廊下に出た。
廊下の向こう側には、小さいながらも良く手入れされた庭園があり、小ぶりの山桜の木が数本植わっている。
枝の蕾はまだ固く閉じたままで、綻ぶにはあと半月ほどはかかるだろう。
まだ寒々しい姿の庭木を板敷の廊下から眺めながら、定満は小さく息を吐いた。
「……武田信繁、か」
その名を口に出す度、彼の胸に疼くような痛みが走る。
(返す返すも、あの八幡原の戦いであの男を討ち漏らした事が惜しい……)
そう思いながら、彼はぎゅっと唇を噛んだ。
あの永禄四年の大戦以来、幾度となく考え、その度に悔いを募らせてきた思いだ。
(……あの男がいなければ、今頃当家は信濃の半ばを掌中に収める事が出来ていただろうに)
特にそれを痛感したのは、一昨年――永禄七年。武田軍と最後にぶつかった時だ。
(あの時の信繁の采配……あれさえ無ければ、儂と殿が立てた策通りに事が運んだはず。さすれば、前線を善光寺平あたりまで押し上げる事が出来たであろうな……)
そうなれば、今よりずっと自由に兵を動かす事が出来て、武田家の奥信濃経営の中心地である海津城に強い圧力と緊張をかけ続けられたはずだ。その間に善光寺街道沿いの城の整備と新造を進め、着々と上杉家の地盤を固めていけば、もはや奥信濃に武田家が付け入る隙など無くなる……そう、定満は計算していたのだ。
それなのに、あの戦の――信繁の存在のせいで、全ての目算が狂った。
(おかげで、このような山間の湖の中に浮かぶ小城に拠り、せいぜい嫌がらせ程度の小勢を出す事しか出来ぬ。これでは、信濃から武田を追い出す事など、とても……)
険しい表情を浮かべながら、細く長い息を吐いた彼は、山桜の蕾に向けていた目を閉じる。
そして、
(……やはり、この好機を逃すべきではないな)
そう心の中で呟きながら、彼は閉じていた目をゆっくりと開き、己の手を見た。
もう八十年以上も生き、その大半を戦場の中で過ごしてきた彼の手は、無数の皺に覆われ、ゴツゴツと節くれだっている。
若い者に後れを取るつもりなど毛頭ないが、自分の身に死の気配が忍び寄りつつあると自覚もしていた。
だが……このまま冥途に旅立つ日を大人しく待っているつもりは無い。
(最後の御奉公……だ)
恐らく、定満がそれを実行に移す事を、彼の主は決して許さないだろう。
だが……、
(今後、上杉家がますます繁栄する為には、甲斐の武田……その中でもあの男の存在は大きな脅威となるに違いない。たとえ……あえて殿の御意向に背き、逆臣の汚名を被る事になろうとも……!)
開いていた拳を山桜の蕾よりも固く握り込んだ定満は、薄雲がかかった月を見上げながら、背後に控える家臣に命を下そうとする。
……が、
「――宇佐美様!」
廊下を急いで歩く足音と少し上ずった声が、彼の耳朶を打った。
「……今度は何じゃ」
不退転の決意に水を差された形の定満は、不満と怪訝が入り混じった表情を浮かべながら、廊下を急ぎ来た小姓に問い質す。
裸足のまま廊下から庭へと飛び降り、その場で片膝をついた小姓は、定満に向けて深々と頭を下げてから口を開いた。
「お寛ぎのところを申し訳ございませぬ。野尻新城の方より、火急の報せが参りました」
「火急の報せ?」
小姓の言葉を聞いた定満の目が鋭くなる。
「一体何事じゃ? 早う申せ」
「はっ」
緊張を帯びた顔で急かす定満に小さく頷いた小姓は、一拍置いてから言葉を継いだ。
「さ……坂戸城より、長尾越前守 (政景)様がお越しになられた由に御座います! 何でも……『上様より武田家の使者を春日山城までご案内するよう仰せつかった』……と」
宇佐美定満は、上杉家の武将です。
上杉家の軍師として名高いのは宇佐美定行ですが、彼は『北越軍記』をはじめとした軍記物に登場する架空の人物です。その定行のモデルとなったのが、宇佐美定満と言われています。
定満の名は一次史料にもたびたび登場しますが、“宇佐美定行”のようないわゆる“軍師”という立場ではなく、あくまで武将のひとりという位置づけだったようです……が、あえて当作品では定満を軍記物の定行寄りの人物として書いています。
定満のエピソードして有名なのは、何といっても“長尾政景道連れ溺死事故(?)”でしょう。
永禄7年 (西暦1567年)8月に、主君上杉輝虎の義兄である長尾政景を自らの城に招いた定満は、舟遊びに繰り出した際に政景と一緒に水面へ転落し、共に溺死したと伝わっています。
この事故は謎が多く、発生した場所も信濃野尻湖説、越後野尻池説、越後魚野川の銭淵説と複数あり、事故の原因も「酒に酔った定満が足を滑らせ、政景を巻き添えにして転落した説」「秘かに謀反を企んでいた政景を定満が自分の身を挺して廃した説」「輝虎が定満に政景暗殺を命じた説」「単に舟の上でケンカしてたらバランスを崩して転落説」などが存在していますが、結論は出ていません。
……ここまで読んで、疑問に思った方もいるでしょう。「永禄7年に溺死したはずの宇佐美定満が、なんで永禄9年の時点で生きてるんだ?」と。
まあ……これはアレです。
諏訪勝頼の元服が史実よりも遅かったのと同様に、武田信繁が第四次川中島合戦で戦死しなかった事で歴史のあれこれが歪んだ結果という事で……(;'∀')。




