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来客と出迎え

 野尻湖とは、奥信濃の最北端にある湖である。

 東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた高原にある野尻湖は、その形から『芙蓉湖』とも呼ばれており、信濃国の中では諏訪湖に次いで二番目に大きい。

 高地にあるにもかかわらず、諏訪湖と違って冬期に湖面が完全に凍りつく事は無く、それは、今年――永禄九年の冬も同じだった。


 湖の北東域には、形が楽器の琵琶に似ていた事から『琵琶島』と名付けられた島があり、南北朝時代に城が築かれた。それが、現在は上杉方の宇佐美定満が城主を務めている野尻城である。

 湖の中に浮かぶ島の上に築かれた野尻城に向かうには、舟に乗って行くしかない。当然、城を攻めようとしても、大量の舟を用意せねば攻囲する事も出来ない。

 その為、四囲を野尻湖の豊富な湖水に囲まれた野尻城の防御力は極めて高いと言えた――が、逆に城から打って出る事もまた難しく、野尻湖周辺地域を掌握する拠点としてはあまり適していなかったのである。


 永禄七年に武田方から野尻城を取り返した上杉輝虎も、その不利を憂慮しており、城主として置いた宇佐美定満に命じて、野尻湖の北岸にある尾根の突端に新たな城を築かせた。それが、野尻新城である。

 とはいえ、あくまで野尻新城は喫緊の必要が生じて急ぎ作られた仮造りの城でしかなく、平時の居住にはあまり適していなかった。

 その為、定満は戦時以外の時に関しては、専ら琵琶島の野尻城で過ごしていたのである。


 ――この日も。




 野尻新城から報せを受けた翌日。

 藍色の大紋に身を包んだ定満は、同じく正装した配下の者たちを引き連れて、琵琶島の岸に設けられた船着き場に立っていた。

 彼らが対岸の野尻湖北岸に目を凝らしていると、人を乗せた小舟が数隻、穏やかな波を立てる湖面を滑るようにゆっくりと近づいてくるのが見えた。

 船頭の巧みな櫂捌きで船着き場に留まった小舟から、数人の旅装の男たちが降りる。

 その中のひとり――中肉中背の男に向かって、定満は深々と頭を下げた。


「――越前守様。坂戸よりの御来訪、我ら一同心より歓迎いたします」

「うむ」


 定満の慇懃な挨拶に、“越前守様”と呼ばれた壮年の男は、少し雪焼けした顔に穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。


「わざわざの出迎え、御苦労至極。息災のようで何よりだ、駿河守」


 そう返した“越前守様”――越後坂戸城主にして、家中(かちゅう)で大きな影響力を持つ上田長尾家の当主である長尾越前守政景は、ぶるりと体を震わせる。


「ううむ、寒いな。ここに来るまでの間に、湖の上で冷たい風に晒され続けておったせいで、すっかり体が冷えてしまった。できれば、こんな吹きっ晒しの湖岸ではなく、温かい部屋の中でお主との旧交を温めたいところなのだが」

「おお、これは気が利かず、失礼をば致しました」


 政景の言葉に些か大袈裟な素振りで恐縮してみせた定満は、島の東端の小山を指し示した。


「さすれば、早速城へ案内(あない)いたしましょう。温めた酒などもご用意しております故、しばしごゆるりとなされまされ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 定満の案内で野尻城の本丸に入った政景は、温めた湯で身体を軽く拭いてから平服になり、用意された客間に入った。

 上座に敷かれた円座(わろうだ)に座った政景は、下座で平伏している定満に向けて穏やかに声をかける。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。楽にしてくれ、駿河守」

「はっ」


 政景の声に短く応えて、定満はゆっくりと頭を上げた。

 そして、少しだけ疲れた顔をしている政景に労いの声をかける。


「改めまして、お勤めご苦労様に御座います」

「いや、何の」


 定満が言葉にかけた僅かな皮肉にも気付かぬ様子で、政景は首を横に振った。


「確かに坂戸からここまで雪道を往くのは少し難儀だったが、上様直々の御命とあらば苦労では無い」


 そう苦笑交じりに答える政景の言葉に、偽りの色は見えない。

 定満が無表情で自分に探るような視線を向けているのを感じながら、彼は素知らぬ顔で小姓が差し出した陶器の椀を受け取り、中で仄かな湯気を立てている白湯を一息に飲み干した。




 ――長尾越前守政景は、その名字からも分かる通り、代々越後の守護代を務めてきた府中長尾家の分家筋・上田長尾氏の当主である。


 上田長尾氏は、代々越後坂戸城 (現在の新潟県南魚沼市)を居城としていた。

 坂戸は、越後府中 (現在の上越市直江津地区)と関東平野を結ぶ陸上交通、魚野川を利用した河川交通、さらに魚沼の豊かな穀倉地帯までをも擁した地である。

 越後の経済上の要地を抑えた上田長尾氏は、越後守護代である府中長尾氏にも劣らない力を有していた。

 政景の父である長尾房長は、その経済力を強力な後ろ盾として府中長尾と対立しており、関東管領・上杉顕定が越後に攻め込んできた時には、上杉方として長尾景虎 (後の上杉輝虎)の父である為景と戦った。

 だが、為景が越後国内で盛り返すとその許に降り、以降は府中長尾氏の臣として仕える事になる。


 房長から家督を継いだ政景は、為景の死後に発生した長男晴景と四男景虎の対立の際に、長尾家の家督を継いでいた晴景方についた。

 家督争いは、最終的に景虎が晴景の養子に入って家督を継ぐ事で決着した。政景は、それを不満として反乱を起こしたものの、景虎方の猛攻を受けて降伏する。

 政景を降した景虎は、経済的な地盤を持つ上田長尾家の忠誠を盤石なものとする為、血縁を繋ぐ事にした。自分の姉・綾姫を房長の嫡男・政景に嫁がせた。

 つまり、政景は越後上杉家当主の義兄にあたるのだ。


 景虎に臣従した後の政景は、忠実な臣として、そして当主の良き相談相手として、長尾家に欠かせない存在となった。

 弘治二年 (西暦1556年)に、景虎が家督を捨てて出家しようとした際には、城を出奔した彼を追いかけ、心を尽くして説得した結果、翻意させる事に成功している。

 また、永禄三年 (西暦1560年)に景虎が関東管領・上杉憲政の要請に応じて関東に出兵した際には、留守居役として春日山城を任されるほどに、家中と景虎からの深い信頼を得ていたのだった――。




 「……そう」


 飲み干した陶器の椀に目を落としながら、政景は余人に聴こえぬように独り言ちる。


「他ならぬ“お虎殿”の頼みとあらば、どことなりとも喜んで馳せ参じようぞ……」

 長尾政景は、上杉謙信の義兄に当たる人物です。


 彼は大永6年 (西暦1526年)、上田長尾家当主・長尾房長の嫡男として生まれました。

 長尾房長は、天文16年 (西暦1547年)に本家筋の府中長尾家で起こった家督争いにおいて、長男の長尾晴景方につき、嫡男の政景も父に従います。

 天文19年 (西暦1550年)に晴景の弟である長尾景虎 (後の上杉謙信)が家督を継いだ事を不服として挙兵した上田長尾家ですが、圧倒的な景虎の武力の前に屈し、その元に降り、その際に和睦の条件として政略結婚を結びました。その時に政景に嫁いだのが、景虎の姉である仙桃院です。

 天文20年 (西暦1551年)、父親の長尾房長が死去した後に家督を継いで上田長尾家の当主となった政景は、景虎の重臣……そして義兄として精力的に仕えます。

 景虎からの信頼も篤かったようで、弘治2年 (西暦1556年)に景虎が家督を捨てて出家しようと高野山へ出奔した際には、彼の後を追いかけ、必死の説得の末に翻意させました。また、永禄3年 (西暦1560年)に景虎が関東管領上杉憲政の求めに応じて関東に出兵した際には、春日山城の留守居役に任じられるなど、景虎から身内としても重臣としても頼りとされていた事が窺い知れます。


 ですが、彼の最期は唐突に訪れます。

 永禄7年 (西暦1564年)8月に重臣の宇佐美定満の元を訪れた政景は、彼から舟遊びに誘われました。その際に舟から転落し、溺死したと伝わっています。酒に酔って転落したとも、宇佐美定満の策によって謀殺されたとも言われておりますが、その真相は闇の中です。

 なお、政景と仙桃院の間に生まれた嫡男顕長は、その後叔父の謙信の養子に入りました。彼が、謙信の死後に上杉家の家督を継いだ上杉景勝です。


 前回のあとがきにも書きましたが、本来なら永禄9年の段階で鬼籍に入っている政景ですが、当作品の世界線では例の水難事故が起こっていないので健在してます。

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