第Ⅳ章「攫われる夜」
その日、空気は最初からおかしかった。
放課後。
校門の前。
視線がある。
まとわりつくような気配。
清水は、嫌な予感を覚えていた。
だが、進学校の生徒が抱く「嫌な予感」は、
たいてい実際の暴力まで想像できていない。
少なくとも、その時の清水はそうだった。
数人の男に囲まれた。
反応するより早く、車のドアが開く。
押し込まれる。
腕を取られる。
腹に入る打撃。
息が止まる。
「……っ」
視界が揺れる。
隣には、小沼。
向かいには、岡野。
石川、大村。
全員、同じように顔色が悪い。
「清水、お前……」
岡野が何か言いかけるが、横から殴られて黙った。
車の中は狭かった。
汗と革の匂い。
怒鳴り声。
荒い笑い声。
清水は歯を食いしばった。
(落ち着け)
(状況を見ろ)
人数。
移動方向。
相手の会話。
どこに連れていくつもりか。
頭はまだ動いた。
恐怖を理屈で押さえ込もうとした。
だが、その理屈は、あっけなく崩れる。
着いた先で、彼らは吊るされた。
ロープ。
高い梁。
手首に食い込む痛み。
足先が、床に届かない。
そして、見せしめみたいに殴られる。
理由なんてない。
単なる娯楽。
単なる憂さ晴らし。
「優等生ってよ、見てるとムカつくんだよ」
「いい学校通ってるだけで偉そうなんだよ」
「その顔、潰したくなるんだよな」
笑いながら、平気で言う。
清水は、その時、初めて理解した。
法律も理屈も、ここでは一ミリも通用しない。
ここには契約も説明責任もない。
証拠も論点整理もない。
あるのは、力と悪意だけだ。
絶望は、暴力より先に来た。
(ああ)
(これ、終わるな)
最初は抵抗しようとした。
話そうともした。
金の話もした。
交渉できる材料を探した。
だが、無理だった。
相手は半グレ。
理屈の通じない、壊れた連中。
清水は、その場で、初めて本当に諦めた。
自分の力では、ここから出られない。
法律はここにない。
本は助けてくれない。
言葉は届かない。
そして。
一番つらかったのは、
自分が死ぬことじゃなかった。
隣にいる友人たちも、
同じように終わるかもしれないことだった。
(……俺が悪かったのか)
(目立ったからか)
(守れると思ってたからか)
(いや、違うな)
(何も守れてねえ)
清水の中で、何かが静かに折れた。
涙は出なかった。
むしろ、あまりにも現実味がなくて、妙に静かだった。
これが終わりなのか。
自分は結局、
何も守れないまま終わるのか。
小さい頃に開いた六法の重み。
人を助けるための言葉。
その美しさに感動したあの日。
全部が、遠くなった。
(……届かないじゃないか)
(現実には)
(全然)
そして、その絶望のまま。
清水は、目を閉じた。




