第Ⅴ章「来るはずのない男」
騒ぎの音が変わった。
最初、何が起きたのか分からなかった。
怒号。
鈍い音。
悲鳴。
誰かが壁に叩きつけられる音。
清水は、ゆっくり目を開ける。
そこにいたのは、ひとりの男だった。
小柄。
眼鏡。
そして。
よく知っている背中。
(……は?)
世古公士。
一人で来ていた。
馬鹿なのかと思った。
本気で。
相手は半グレだ。
数もいる。
武器もある。
そしてこちらには人質がいる。
来るな。
来るなよ。
来たら終わる。
清水は、そう思った。
でも。
世古は来ていた。
しかも、躊躇がない。
「おい、チビメガネ!」
相手が叫ぶ。
「優等生見ると殺したくなるんだよ!」
世古は、少しだけ首を傾げた。
「へえ」
その一言に、温度がなかった。
「まあいいよ」
そして。
「俺も、お前らみたいなやつ見ると壊したくなるから」
空気が変わる。
あまりにも静かに言うからこそ、怖かった。
そこからは、一瞬だった。
世古は、躊躇わなかった。
軽くかわす。
沈める。
近づく。
倒す。
無駄がない。
怒鳴りもしない。
ただ、壊す。
清水は、吊られたままそれを見ていた。
現実味がなかった。
(なんだ、これ)
(なんで一人で来てる)
(なんで勝てる)
(なんで)
でも、一番分からなかったのは。
なんで来た。
そこだった。
数十人沈めたあたりで、相手が叫ぶ。
「待て!それ以上やったら、こいつら潰すぞ!」
人質。
当然の手だ。
清水は、終わったと思った。
だが次の瞬間。
別方向から、嫌な音がした。
拳が顔面に入る鈍い音。
親衛隊隊長、山下為五郎。
外道を殴り潰していた。
その瞬間、流れが切れた。
世古が動く。
山下が動く。
吊るされた友人たちが、次々下ろされる。
清水の足が床につく。
痛い。
でも、生きてる。
世古が、こちらを向く。
顔に血はついている。
でも、息は乱れていない。
そして、言った。
「ごめんな、早く助けてやれなくて」
その言葉に、清水は一瞬何も言えなくなった。
世古は続ける。
「あと、俺が何者か分かっちゃったろ?」
少しだけ笑う。
困ったように。
「お前らみんな賢いから」
そして、静かに言った。
「俺は、お前らの迷惑にならないように、学校じゃもう話しかけないからよ」
その瞬間。
清水の中で、何かが切れた。
違う。
そこじゃない。
今、言うことは、そこじゃない。
この男は、命をかけて来た。
一人で来た。
終わるかもしれない場所に、自分たちのために立った。
それなのに。
“迷惑にならないように離れる”?
ふざけるな。
清水は、唇を噛んで、はっきり言った。
「……待てよ、世古」
声は震えていなかった。
「俺たちを、見損なうなよ」
世古が、少しだけ目を見開く。
清水は、まっすぐ見た。
「お前が何であろうと、ダチのままだ」
その言葉は、感情だけじゃない。
理屈でもあった。
ここで離れたら、自分は一生、自分を許せない。
助けられて、何も返さないまま、体裁だけ守るのか。
そんな人間に、法律を語る資格があるか。
ない。
だから、選んだ。
「俺たちは仲間だ」
「俺たちも、お前のチームに入れてくれ」
世古は、本気で困った顔をした。
「何言ってんだ、お前」
清水は、少しだけ笑った。
「お前の言う通り、賢い人間の集まりだよ」
だから、分かる。
何が本物か。
その夜、清水は初めて、
自分の理屈を超えて人を選んだ。




