『HOPE リバイバル』 第4章 呼び名と距離
夜は、少しだけざわついていた。
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街の音。
人の声。
遠くの車。
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その中で。
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綾は、歩いていた。
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特に理由はない。
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でも。
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(なんか、落ち着かない)
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胸の奥に、小さな引っかかり。
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昼間のことを思い出す。
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ドラッグストア。
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レジ。
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同僚の声。
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「今の人、いいね」
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軽い言葉。
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でも。
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(……やだな)
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初めて思う感覚。
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嫌だ、じゃない。
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でも。
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(……なんで)
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説明できない。
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青いコンテナ。
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いつもの場所。
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世古が、先にいた。
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「……こんばんは」
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「こんばんは」
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いつも通り。
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でも。
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(違う)
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綾の中が、違う。
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沈黙。
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悪くない。
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でも。
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(言いたい)
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言葉が、溜まる。
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「……ねえ」
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「はい」
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「今日さ」
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少しだけ間。
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「店来たでしょ」
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世古が、わずかに頷く。
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「はい」
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「なんかさ」
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言葉を探す。
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「……普通だったね」
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自分でも、変な言い方だと思う。
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世古は、少しだけ考える。
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「……問題があったでしょうか」
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「ない」
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即答。
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「ないけど」
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一拍。
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「なんか、やだ」
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出た。
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そのまま。
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飾らない感情。
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世古の目が、わずかに動く。
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理解しようとしている。
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でも。
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(分からない)
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「……理由を伺っても」
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綾は、少しだけ笑う。
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「分かんない」
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本当に分からない。
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でも。
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「なんかさ」
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一歩、近づく。
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「他の人と同じ感じなの」
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その言葉。
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静かに刺さる。
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世古の中で。
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何かが、わずかに揺れる。
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(同じ)
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それは、今まで守ってきた距離。
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均一。
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公平。
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必要な形。
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でも。
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(それでいいのか)
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初めて、疑問が入る。
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「……意図的です」
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静かに言う。
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「業務ですので」
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正しい答え。
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でも。
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綾は、すぐに言う。
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「知ってる」
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一拍。
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「でもさ」
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目をまっすぐ向ける。
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「それ、私にもやるの?」
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核心。
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逃げられない。
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世古は、言葉を失う。
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初めて。
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どう答えるべきか。
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ではなく。
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(どうしたいか)
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を問われる。
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「……私は」
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言葉を探す。
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「均一であるべきだと考えていました」
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一拍。
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「今も、そうです」
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でも。
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続ける。
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「ただ」
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ほんのわずかに、声が変わる。
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「綾さんに対しては」
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止まる。
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綾は、待つ。
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逃がさない。
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でも、急かさない。
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「……同じではありません」
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小さく言う。
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はっきりと。
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綾の胸が、少しだけ鳴る。
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(……そっか)
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理由は分からない。
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でも。
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納得する。
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「……じゃあさ」
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少しだけ笑う。
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「ちゃんと、違くしてよ」
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軽く言う。
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でも。
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本気。
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世古は、わずかに目をやわらげる。
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「……はい」
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短い返事。
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でも。
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初めての“偏り”の承認。
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沈黙。
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でも。
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今までと違う。
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少しだけ、近い。
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綾が、ふと視線を落とす。
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少しだけ迷う。
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でも。
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(言う)
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決める。
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「……ねえ」
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「はい」
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「さっきさ」
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小さく息を吸う。
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「“綾さん”って言ったじゃん」
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世古が、わずかに頷く。
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「はい」
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「……それさ」
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少しだけ間。
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「やめていい?」
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空気が、止まる。
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世古の目が、わずかに揺れる。
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理解する。
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その意味。
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呼び名。
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距離。
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関係。
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全部が、変わる。
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「……では」
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静かに言う。
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「どのように」
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綾は、少しだけ笑う。
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でも。
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逃げない。
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「……きーくん」
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言う。
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初めて。
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その名前。
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風が、少しだけ止まる。
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時間が、ほんの一瞬だけ止まる。
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世古の呼吸が、わずかに乱れる。
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初めて。
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完全に。
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“個人として呼ばれる”。
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「……はい」
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返す。
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少しだけ遅れて。
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でも。
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確かに。
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受け取る。
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綾が、少しだけ笑う。
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「なんか変」
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でも。
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「いいね」
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小さく言う。
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距離が、変わる。
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言葉で。
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ほんの少しだけ。
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でも、決定的に。
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夜は、静かに続く。
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同じ場所。
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同じ二人。
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でも。
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“同じじゃない関係”が、ここで始まった。




