『HOPE リバイバル』 立つ場所を選ぶ
朝は、いつも通りに来る。
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カーテンの隙間から入る光。
キッチンの小さな音。
コーヒーの匂い。
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何も変わらない。
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でも。
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(……違う)
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綾は、静かに思う。
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昨夜のこと。
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きーくんの声。
ほんの少しだけ崩れた呼吸。
自分の腕の中で、力が抜けた感触。
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(あの人、ちゃんと人だった)
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当たり前のこと。
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でも、ずっと“崩れない人”として見ていたから。
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初めて、現実として入ってくる。
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「……おはようございます」
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世古の声。
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いつも通り。
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少し低くて、整っている。
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綾は、振り向く。
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「おはよ」
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短く返す。
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目が合う。
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一瞬だけ。
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昨日の続きが、そこにある。
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でも、言葉にはしない。
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それでいい。
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テーブルに座る。
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「今日は?」
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「本庁との打ち合わせがあります」
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「そっか」
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会話は、いつも通り。
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でも。
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(もう違う)
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綾は、少しだけ考える。
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今までなら、
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“見送る側”
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だった。
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「いってらっしゃい」
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それで終わり。
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でも。
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(それじゃ足りない)
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昨日、見た。
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あの人が、どこで揺れるか。
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どこまで抱えるか。
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だから。
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(ここじゃない)
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玄関。
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靴を履く。
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世古が、扉に手をかける。
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「いってきます」
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その瞬間。
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「……待って」
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綾が、呼ぶ。
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世古が振り返る。
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少しだけ意外そうな顔。
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綾は、迷わない。
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「今日、行く」
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「……どちらへでしょうか」
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「きーくんのとこ」
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即答。
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空気が、少しだけ止まる。
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「……必要ありません」
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世古が言う。
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反射的な言葉。
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いつものやつ。
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“自分でやる”という線。
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でも。
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「あるよ」
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綾が、すぐに返す。
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「必要」
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一歩、近づく。
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「私が行きたいから」
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その言葉。
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世古の中で、わずかに揺れる。
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「……綾さん」
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「ねえ」
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言葉を遮る。
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「支えられるだけの関係、やめる」
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はっきり言う。
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一拍。
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「私も、立つから」
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その言葉。
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逃げ場がない。
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でも、押し付けでもない。
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“選択”。
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世古は、しばらく何も言わない。
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考えている。
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拒むか。
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受け入れるか。
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でも。
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(もう、決まっている)
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昨夜の時点で。
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「……はい」
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短く。
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でも。
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初めて、“頼ることを許す”返事。
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本庁。
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会議室の外。
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人の出入り。
重い空気。
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その中に。
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綾が立っている。
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場違いではない。
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でも、異物でもある。
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世古が、少しだけ視線を向ける。
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(……来た)
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会議が始まる。
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また、同じ流れ。
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責任。
判断。
再発防止。
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言葉が飛ぶ。
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重い空気。
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その中で。
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綾は、座っている。
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何も言わない。
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ただ、見ている。
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逃げないで。
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全部。
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一瞬。
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世古の言葉が、詰まる。
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ほんのわずか。
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でも、確かに。
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そのとき。
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綾は、動かない。
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助けない。
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遮らない。
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ただ。
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(大丈夫)
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目で伝える。
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世古が、言葉を続ける。
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「……今回の件は——」
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声が戻る。
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整う。
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でも。
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(ひとりじゃない)
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それが、分かる。
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会議が終わる。
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外に出る。
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空気が軽い。
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綾が、隣に来る。
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「……どうだった」
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「……問題ありません」
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短い返事。
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でも。
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「嘘」
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すぐに返される。
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世古が、少しだけ目を細める。
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「……少しだけ」
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認める。
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「疲れました」
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綾が、少しだけ笑う。
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「でしょ」
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一拍。
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「だから来た」
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その言葉。
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軽い。
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でも、深い。
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歩き出す。
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並んで。
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同じ速度で。
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「……ねえ」
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綾が言う。
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「はい」
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「今日さ」
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少しだけ間。
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「ちゃんと立ててたよ」
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世古が、少しだけ止まる。
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「……そうでしょうか」
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「うん」
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迷いなく。
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「でもさ」
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一歩、近づく。
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「ひとりで立ってたわけじゃないからね」
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その言葉。
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静かに、入る。
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世古は、少しだけ空を見る。
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呼吸を整える。
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それから。
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「……はい」
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小さく言う。
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夕方の光。
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少しだけやわらかい。
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綾は、前を向く。
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もう迷っていない。
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“どこに立つか”
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決めたから。




