『HOPE リバイバル』 崩れてもいい場所
夜は、風が強かった。
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青いコンテナの影。
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街灯が、少し揺れる。
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綾は、先に来ていた。
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理由はない。
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でも。
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(来る)
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そう分かっていた。
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自動ドアの音。
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遠くで鳴る。
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少し遅れて、足音。
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世古が現れる。
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いつも通りの姿。
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でも。
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(違う)
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綾は、すぐに気づく。
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「……おつかれ」
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「はい」
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短い返事。
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声は変わらない。
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でも。
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(薄い)
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何かが、削れている。
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沈黙。
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いつもなら、問題ない。
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でも今日は。
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少しだけ重い。
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綾が、先に言う。
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「……ねえ」
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「はい」
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「ちゃんと終わった?」
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世古は、少しだけ間を置く。
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「……はい」
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一拍。
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「形式上は」
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その言葉。
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綾の中で、引っかかる。
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「形式上ってなに」
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少しだけ強くなる。
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世古は、答えない。
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視線を外す。
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それが、答え。
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綾は、一歩近づく。
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「……ねえ」
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もう一度。
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「ほんとは?」
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沈黙。
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風の音。
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遠くの車。
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全部、少し遠い。
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世古の呼吸が、わずかに乱れる。
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ほんの少し。
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でも。
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初めて。
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「……遅れませんでした」
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小さく言う。
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「はい」
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「守れました」
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綾は、何も言わない。
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続くのを待つ。
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世古は、少しだけ目を閉じる。
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「……それでも」
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一拍。
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「足りない気がしています」
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その言葉。
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静かに崩れる音。
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「……なにが」
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綾が、優しく聞く。
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世古は、答えるまでに時間がかかる。
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言葉を選んでいる。
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いや。
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(認めるのを、遅らせている)
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「……防げた可能性があります」
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出た言葉。
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「事前に」
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「指導で」
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「管理で」
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一つずつ。
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積み上げる。
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自分の中で。
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「……火は、起きなかったかもしれない」
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綾の胸が、少しだけ締まる。
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それは。
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“結果の否定”じゃない。
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“可能性の自責”。
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「……ねえ」
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綾が、少しだけ強く言う。
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「それ、終わらないやつだよ」
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世古が、少しだけ目を上げる。
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「はい」
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分かっている。
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「でも、止められない」
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静かに言う。
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「止める理由がありません」
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その言葉。
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綾の中で、何かが動く。
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「……あるよ」
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一歩、近づく。
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「理由」
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世古が、わずかに揺れる。
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「……何でしょうか」
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綾は、迷わない。
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手を伸ばす。
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胸に触れる。
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軽く。
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でも、確かに。
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「ここ」
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一拍。
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「もう、やりきってる」
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世古の呼吸が、止まる。
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「……それは」
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否定しようとする。
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でも。
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言葉が続かない。
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綾は、そのまま言う。
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「足りないって思うのは、分かる」
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「でもさ」
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一拍。
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「それ、全部持ってたら」
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「壊れるよ」
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静かな言葉。
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でも、逃がさない。
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世古の中で。
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何かが、揺れる。
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張り詰めていたもの。
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ずっと保っていたもの。
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それが。
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少しだけ。
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緩む。
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「……私は」
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声が、わずかに低くなる。
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「遅れたことがあるので」
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綾の手が、少しだけ止まる。
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初めて出る言葉。
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「今回は」
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一拍。
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「繰り返さないと決めていました」
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その言葉。
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重い。
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過去。
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後悔。
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全部、そこにある。
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綾は、何も言わない。
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ただ。
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もう一歩、近づく。
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そして。
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抱きしめる。
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強くはない。
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でも。
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逃がさない。
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世古の身体が、一瞬だけ固まる。
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予想していない。
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準備していない。
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でも。
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(拒まない)
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数秒。
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何も起きない。
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でも。
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そのあと。
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ほんの少しだけ。
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力が抜ける。
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肩。
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呼吸。
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全部。
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ほんの少し。
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「……大丈夫」
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綾が、小さく言う。
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「遅れてない」
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一拍。
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「ちゃんと来てる」
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その言葉。
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世古の中で、何かがほどける。
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完全じゃない。
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でも。
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確かに。
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緩む。
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「……はい」
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小さく返す。
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それだけ。
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でも。
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今までで一番、弱い声。
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そして。
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一番、人間らしい声。
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風が、少しだけ止む。
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夜は、静かになる。
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崩れたわけじゃない。
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壊れたわけでもない。
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ただ。
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“崩れてもいい場所”を、見つけただけ。
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それでいい。




