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外伝 見えてしまう人



北山学園の地域連携会は、思ったよりも人が多かった。


体育館の一角。

簡易的に並べられた椅子。

地域の代表、保護者、教職員。


ざわざわとした空気の中に、どこか独特の緊張感がある。



「結構いるね」


綾が、小さく呟く。



「そうだな……こんなに集まるもんか」


父も、少し驚いている。



母は、静かに周囲を見ていた。


人の顔。

雰囲気。

そして、どこかで探している。



「……あの人、どこ?」



綾が、少しだけ視線を動かす。



「あそこ」



壇上の少し横。


資料を確認しながら、誰かと短くやり取りしている姿。



世古だった。



スーツ姿。

無駄のない動き。

それでいて、張り詰めすぎていない空気。



(……仕事の顔)



綾は、少しだけ息を飲む。



普段知っている“きーくん”と、少し違う。


でも、違和感はない。


むしろ、繋がっている。



会が始まる。



司会の挨拶。

形式的な進行。



その途中で、世古に振られる。



「では、現状の取り組みについて、副校長からご説明を」



静かに立ち上がる。



「はい」



それだけで、空気が少し整う。



声は、大きくない。


でも、よく通る。



「本校では現在——」



説明は、無駄がない。


難しい言葉を使っているのに、分かりやすい。



具体と抽象のバランス。

聞いている人の顔を見ながら、少しずつ言葉を調整している。



保護者が頷く。

地域の年配の方も、真剣に聞いている。



(……すごい)



綾は、素直に思う。



父も、腕を組みながら、じっと見ている。



母は、何も言わない。


でも、その視線は少しだけ変わっていた。



説明が終わる。



質問の時間。



「うちの子、最近少し元気がなくて……」



一人の保護者が手を挙げる。



世古は、すぐに頷く。



「ご心配のことと思います」



否定しない。

軽く扱わない。



「具体的な状況を、後ほど詳しく伺えればと思いますが」



一拍。



「まず、学校としては——」



丁寧に、でも逃げない。



個別の問題を、全体の仕組みに繋げて説明する。



「……ありがとうございます」


保護者の声が、少しだけ軽くなる。



そのやり取りを、何人も見ている。



信頼が、積み重なっていく瞬間。




会が終わる。



人が少しずつ動き出す。



「あの副校長、すごいね」



「話が分かりやすい」



「安心するわ」



あちこちで、そんな声が聞こえる。



そして。



「……独身らしいよ?」



小さな声。



「え、ほんとに?」



「うちの娘、どうかしらね」



「いやいや、うちも考えちゃうわよ」



笑い混じり。


でも、本気も混ざっている。



母の耳に、しっかり入る。



(……独身)



その言葉が、少しだけ残る。




帰り道。



三人で歩く。



少しだけ沈黙。



最初に口を開いたのは、父だった。



「……すごいな、あの人」



「うん」


綾が答える。



「ただの知り合いじゃないな、ありゃ」



少しだけ笑う。



「分かるでしょ」



「分かる」



母は、少し遅れて言う。



「……ちゃんとしてる人ね」



その言い方。



評価が、変わっている。



最初は“娘の周りにいる人”。



今は、“一人の大人の男性”。




家に帰る。



靴を脱ぐ音。

日常の空気。



でも、どこか少し違う。



母が、台所に立ちながら言う。



「……綾」



「なに」



「どう思ってるの?」



一瞬、時間が止まる。



「……何が?」



分かっている。


でも、聞き返す。



母は、少しだけ振り向く。



「あの人」



直球。



綾は、少しだけ黙る。



父は、何も言わない。


でも、聞いている。



(……どう思ってるか)



頭の中に、いろんな場面が浮かぶ。



ベンチ。

病室。

雪。

手の温度。

あの夜。



そして。



「……好きだよ」



静かに言う。



飾らない。


逃げない。



母の手が、少しだけ止まる。



父も、視線を向ける。



「そう」



それだけ。



でも、その一言には、いろんな意味がある。



否定しない。

軽くしない。

ちゃんと受け取る。



母は、少しだけ息をつく。



「……いいんじゃない」



綾が、少しだけ顔を上げる。



「ちゃんと見てる人だし」



一拍。



「ちゃんと、見てくれる人だし」



それは、母の評価。



綾は、少しだけ笑う。



「うん」



父が、小さく言う。



「……大事にしろよ」



短い言葉。



でも、それで十分。



綾は、少しだけ頷く。




夜。



自分の部屋。



ベッドに座る。



スマホを見る。



メッセージを開く。



少しだけ考えてから、打つ。



『今日、見てた』



少しして、返信。



『ありがとうございます』



いつもの文。



でも、今日は少し違う。



綾は、少しだけ笑う。



『すごかった』



送る。



少し間。



『綾さんに見られるのは、少し緊張します』



その一文。



綾の心臓が、少しだけ鳴る。



「……なにそれ」



小さく呟く。



そして、もう一度打つ。



『ちゃんと、好きになってよかった』



送信。



今度は、少し時間がかかる。



やがて、返ってくる。



『……はい』



短い。



でも。



今までで一番、やわらかい。



綾は、スマホを胸の上に置く。



目を閉じる。



今日、いろんなものが見えた。



仕事の顔。

社会の中での立ち位置。

家族の視線。



全部含めて。



(……やっぱり、この人だ)



静かに、そう思う。



それは、“選んだ”じゃない。



“選び続ける”という感覚。



少しずつ、でも確かに。



距離は、もう戻らないところまで来ていた。

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