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外伝 はじめての約束の日



朝の空気は、少しだけ軽かった。


退院して、まだ数日。

体調は万全じゃない。


でも、“外に出る理由”がある日は違う。



綾は、駅前で時計を見ていた。


約束の時間より、少し早い。


(……なんか、変な感じ)


何度も会っている。

何度も一緒にいる。


でも、“デート”として待つのは初めてだった。



ふと、人の流れの中に、見慣れた姿が入る。


整った立ち方。

無駄のない歩き方。


でも、今日は少しだけゆっくり。



「……お待たせしました」



「ううん、今来たとこ」



ありきたりなやり取り。


でも、二人とも少しだけ笑っている。



世古の服装は、いつもより少しだけラフだった。


それでも整っているのは変わらない。



「……なんか、ちゃんとしてるね」


綾が言う。



「普段と変わりませんが」



「変わってるよ」


少しだけ、からかう。



「デートっぽい」



その一言で。


ほんの少しだけ、空気が変わる。



世古の視線が、わずかに揺れる。



「……そうですね」



その“そうですね”が、少しだけ照れている。



綾は、少しだけ満足する。




向かったのは、小さな商店街だった。


大きな場所じゃない。


でも、歩きながらいろいろ見られる場所。



「……こういうとこ、来る?」


綾が聞く。



「いえ、あまり」



「だよね」



少し笑う。



「じゃあ、今日は案内する」



世古は、素直に頷く。



「お願いします」



歩く。


ゆっくり。


世古のペースに合わせて。



途中、パン屋の前で立ち止まる。



「ここ、好きなんだよね」



「そうですか」



「あとで寄る」



「はい」



そんな会話が、いちいち少し楽しい。




少しして。


横断歩道。



信号が変わるのを待つ。



人が多い。


少しだけ、距離が近くなる。



そのとき。



綾の手が、ふっと触れる。



意図したわけじゃない。


でも、離さない。



一瞬だけ、間。



世古の指が、ほんの少しだけ動く。



触れたまま、少しだけ重ねる。



“握る”まではいかない。


でも、確かに触れている。



信号が青になる。



歩き出す。



手は、そのまま。



綾は、前を見たまま、小さく言う。



「……これくらいなら、いいよね」



世古は、ほんの少しだけ息を整える。



「……はい」



その返事は、ちゃんと受け入れている。




喫茶店に入る。


あの、約束していた場所。



木の椅子。

少し古いテーブル。


変わらない空気。



「……ここ」


世古が、周りを見ながら言う。



「いい場所ですね」



「でしょ」



少しだけ得意げ。



席に座る。


向かい合う。



前に来たときよりも、少し近い距離。



「今日は、ちゃんと甘いの頼むんでしょ?」



「……はい」



メニューを見る。


少しだけ真剣。



「……こちらにします」



綾が覗き込む。



「え、なにそれ」



「ケーキセットです」



「ほんとに頼むんだ」



「約束ですので」



その言い方に、綾は少しだけ笑う。




ケーキが運ばれてくる。


小さな皿に、きれいに盛られた一切れ。



世古は、少しだけ迷う。



フォークを持つ。



一口。



ほんの一瞬、動きが止まる。



「……どう?」


綾が聞く。



「……甘いです」



「当たり前でしょ」



でも、その顔を見て、綾は少しだけ満足する。



「でも?」



世古は、少しだけ考える。



「……悪くありません」



綾は、吹き出す。



「なにそれ」



「褒めてるんですよ」



「分かりにくい」



二人で、少しだけ笑う。




帰り道。



夕方の光。


少しだけ色が深くなっている。



歩く速度は、来たときより少しゆっくり。



綾が、ふと立ち止まる。



「……ねえ」



「はい」



「今日さ」



少しだけ間。



「ちゃんとデートだったね」



世古は、少しだけ考える。



そして。



「……はい」



「そう思います」



その答えに、綾は少しだけ笑う。



「よかった」



それだけ。



でも、その“よかった”は、軽くない。



少しだけ、手を握る。


今度は、はっきりと。



世古も、応える。



強くはない。


でも、確かに。



離さない。



夕方の街。


人が流れる中で、


二人だけが、少しだけゆっくり歩く。



特別なことは、何もない。



でも。



ちゃんと選んだ時間。



ちゃんと並んだ距離。



それが、


この二人の“はじめてのデート”だった。

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