外伝 それでも、言葉にするなら
夕方の中庭は、少しだけ静かだった。
昼の喧騒が引いて、
夜の気配がまだ来ていない、曖昧な時間。
空は、薄い橙色。
風は、さっきよりもやさしい。
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ベンチに並んで座る。
距離は、もう迷わないくらいに近い。
手は、触れたまま。
自然に。
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しばらく、何も話さない。
でも、その沈黙は、前とは違う。
言葉がないからじゃない。
“言葉を選んでいる沈黙”。
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綾が、少しだけ息を吐く。
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「……ねえ」
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世古が、ゆっくりと視線を向ける。
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「はい」
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短い返事。
いつも通り。
でも、少しだけやわらかい。
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綾は、少しだけ迷う。
ここで言うのか。
言わないで、このままでもいいのか。
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たぶん、このままでも成立する。
言葉にしなくても、分かる距離にいる。
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でも。
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(それじゃ、だめな気がする)
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綾は、指先に少しだけ力を入れる。
触れている手。
そこに、ほんの少しだけ意思を乗せる。
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「……私さ」
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声が、少しだけ震える。
でも、止めない。
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「きーくんのこと、頼ってるよね」
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世古は、すぐに否定しない。
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「はい」
静かに受け取る。
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綾は、小さく笑う。
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「最初はさ」
少し遠くを見る。
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「変な人だと思ってた」
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世古の口元が、ほんのわずかに動く。
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「必要なことだけ言って」
「必要なときだけ来て」
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一拍。
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「でも、いなくならない人」
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その言葉に、世古の呼吸がわずかに変わる。
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綾は、ゆっくり続ける。
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「……でね」
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視線を戻す。
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「気づいたらさ」
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言葉が、少しだけ詰まる。
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でも、逃げない。
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「いないと、困る人になってた」
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沈黙。
風が、少しだけ通る。
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世古は、何も言わない。
でも、逃げない。
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綾は、少しだけ俯く。
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「……怖かった」
小さく言う。
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「いなくなるの」
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あの16時47分。
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「だから、怒った」
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それはもう、説明じゃない。
ただの事実。
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そして。
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「……でも」
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ここで、一度だけ深く息を吸う。
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「それだけじゃなくて」
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顔を上げる。
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「ちゃんと、好きだよ」
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時間が、止まる。
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それは、飾っていない言葉。
言い換えも、逃げもない。
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そのまま、置かれる。
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世古の目が、わずかに揺れる。
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予想していなかったわけじゃない。
でも、“言葉になる”ことは、別だった。
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沈黙が、少しだけ長くなる。
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綾は、目を逸らさない。
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逃げたくなる。
でも、逃げない。
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「……答え、いらないから」
少しだけ付け足す。
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「今は」
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それは、優しさでもあるし、
少しの臆病さでもある。
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世古は、その言葉を受け取る。
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そして。
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ゆっくりと、息を整える。
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「……綾さん」
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呼ぶ。
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綾の肩が、ほんの少しだけ揺れる。
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「はい」
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「答えは、必要です」
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その一言で、空気が変わる。
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逃げない。
曖昧にしない。
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それが、この人のやり方。
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世古は、少しだけ視線を落とす。
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言葉を選ぶ。
丁寧に。
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「……私は」
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一拍。
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「誰かを好きになることを」
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少しだけ止まる。
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「やめていました」
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綾の胸が、少しだけ締まる。
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過去。
あの夜。
守れなかった記憶。
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「理由は、ご存知の通りです」
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短く。
でも、十分。
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「ですから」
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少しだけ、顔を上げる。
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「この感情が、何なのか」
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「どこまで許していいのか」
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「正直に言えば、まだ整理がついていません」
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綾は、黙って聞く。
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それでいい。
それが、この人の誠実さだから。
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「……ですが」
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ここで、少しだけ声が変わる。
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「戻る理由になったのは、事実です」
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さっきの言葉と、つながる。
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「あなたがいるから、戻った」
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それは、言い切りだった。
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綾の目が、少しだけ揺れる。
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「……だから」
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世古は、ゆっくりと言う。
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「軽い言葉で、応えることはできません」
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「ですが」
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一拍。
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「離れるつもりも、ありません」
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風が、少し強く吹く。
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綾は、少しだけ笑う。
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「……なにそれ」
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「ずるいじゃん」
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でも、その声は、嬉しそうだった。
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完全な“好き”じゃない。
でも、“離れない”という選択。
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それは、この二人にとって、十分すぎるくらい重い。
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綾は、指を少しだけ絡める。
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今度は、はっきりと。
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「……じゃあさ」
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少しだけ顔を近づける。
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「そのまま、でいいよ」
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「ちゃんと好きになるまで」
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逃がさない言い方。
でも、縛らない。
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世古は、静かに頷く。
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「……はい」
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その返事は、
今までで一番、やわらかかった。
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夕方の光が、少しずつ沈む。
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二人の影が、少しだけ重なる。
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言葉にした。
でも、終わりじゃない。
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ここから、始まる。
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“選んでいく関係”。




