表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
126/177

外伝 触れてもいい距離

午後の光は、どこかやわらかかった。


昼ほど強くなくて、夕方ほど沈んでいない。


ちょうど、その間。


病室の空気も、少しだけ軽くなっていた。



「……少しだけ、外の空気に当たりますか」


看護師の提案に、世古はゆっくり頷いた。


まだ長くは歩けない。

でも、ベッドの上だけじゃなくなることに意味がある。


車椅子に移る。


身体は正直で、思ったよりも重い。


でも、顔には出さない。



廊下に出る。


光の量が変わる。


人の気配が増える。


“外”に近づく感覚。



綾は、少し後ろからその様子を見ていた。


手伝おうと思えばできる。


でも、あえてすぐには触れない。


この人は、自分で立とうとする人だから。



少しだけ進んだところで、


世古の手が、車椅子の肘掛けを強く握る。


ほんの一瞬だけ。


でも、綾は見逃さない。



「……無理しないで」


静かに言う。



「いえ、大丈夫です」


即答。


でも、その“即答”が、少しだけ遅れている。



綾は、ほんの少しだけ息をつく。



「……そういうとこ」


一歩、近づく。



そして、自然に。


何も言わずに。


手を、添える。



支える、というより。


“そこにあるだけ”の手。



世古の動きが、ほんの少しだけ止まる。



「……綾さん」



「うん」



それ以上、説明しない。



少しだけ沈黙。



「……助かります」


小さく言う。



綾は、少しだけ笑う。



「知ってる」



それだけ。



歩く速度が、少しだけ安定する。



外に出る。


中庭。


小さな木と、ベンチ。


空は、思ったより青い。



風が、少しだけ通る。



「……外、久しぶりですね」


世古が言う。



「そうだね」


綾は隣に立つ。


距離は近い。


でも、くっついてはいない。



ベンチに座る。


世古は、ゆっくりと腰を下ろす。


呼吸を整える。



綾も、隣に座る。


間に、ほんの少しだけ空間。


でも、それはもう“壁”じゃない。



風が、また吹く。



「……あのとき」


世古が、ぽつりと言う。



「はい」


綾は、すぐに返す。



「戻るかどうか」



一拍。



「迷いは、ありませんでした」



綾の視線が、少しだけ動く。



「……そっか」



それだけ。



責めない。


驚かない。


ただ、受け取る。



「……でも」


世古が続ける。



「理由は、変わりました」



綾が、少しだけ息を止める。



「前は」


少し考える。



「間に合わせるため、でした」



“遅れないため”。


それが、この人の軸だった。



「今は」



言葉が、少しだけゆっくりになる。



「……戻る場所があるから、です」



風が止まる。



音が、少し遠くなる。



綾の心臓が、強く鳴る。



それは、告白じゃない。


でも、それ以上に近い。



綾は、少しだけ俯く。



「……それ、ずるい」


小さく言う。



「怒ったあとに言うやつじゃないでしょ」



少しだけ笑う。


でも、顔は少し赤い。



世古は、ほんのわずかに目をやわらげる。



「……そうかもしれません」



その“かもしれません”が、


今日は少しだけ温かい。



沈黙。


でも、気まずくない。



綾は、ゆっくりと手を動かす。



さっき、支えた手。


そのまま、離さない。



軽く、指を重ねる。



“握る”ほど強くない。


でも、“触れている”と分かる距離。



世古の呼吸が、ほんの少しだけ変わる。



でも、引かない。



むしろ、ほんのわずかに。


応える。



指が、少しだけ動く。



触れたまま。



「……これくらいなら」


綾が、小さく言う。



「いいでしょ」



確認じゃない。


許可でもない。



ただ、“置く”言葉。



世古は、静かに頷く。



「……はい」



その返事は、


前よりも少しだけ柔らかい。



空は、ゆっくり色を変えていく。



午後から、夕方へ。



二人は、しばらくそのまま座っていた。



会話は、ほとんどない。



でも、それでいい。



触れている。



ただ、それだけで。



十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ